2024年4月21日

<再配信版 第50話 心弱きゆえ>

こんばんは

先週の「桜におもう」にたくさんの感想をいただきました。

ありがとうございました。

敷島の 大和心を 人 問はば 朝日に匂う 山桜花

(本居宣長)

この歌に感動された方も多かったです。

(*^_^*)

今日は頂いた感想の一部を匿名にして皆さまにご覧いただきたいとおもいます。

☆Aさんより☆

けいくうさんへ

桜におもうこと…あります。

毎年この季節になると思いだすことがあります。

小学4年生の時、1~3年生まで同じクラスでしたが4年生でクラス替えがあり

仲良かった友達とは1人も同じクラスにならず寂しい新学期でした。

通学路に三角公園があり、桜がきれい。

学校帰り、毎日ベンチに座って桜を見ながらアルト笛を吹いていたら

同じクラスになった子が声かけてくれて…Mちゃん。

Mちゃんも友達いなくて寂しい話をしてくれて

それにお互いアルト笛が大好き!!

3年生の授業でならった歌を一緒に吹いて…息がぴったり合って嬉しかった。

桜の花がちらほら散ってて、「きれいやなぁ~」と笑い合ったあの日…。

Mちゃんとは6年生までずっと仲良しでした。

毎年、三角公園でアルト笛を吹いて楽しかった思いでです。

でも…中学生になってから、Mちゃんは別人になりました。

茶髪になって、たばこ吹かして…私と目があったらニコッとはしてくれましたが…。

同じクラスにもなれず…。すっと話がしたいと思ってましたが出来なくて…。

Mちゃん…どうしたのだろう…と心配でした。

高校生になって時々、通学電車で会うこともありうれしかったけど…。

話す機会もなく…と思ってるうちに、「Mちゃん学校退学になったらしいよ」と聞いて…。

シンナー吸ってて補導されたとかで。

それからどうしているかわからず年月が過ぎていきました。

桜を見るたびMちゃんを思いでしながら、看護学校に通っていたある日。

バスの中で「Aちゃん!全然変わってないなぁ~!制服着て~学生なん?」

よくよく見るとMちゃんでした。

凄く上等な洋服着てて、きらびやかでした。

ソープランドで働いてると…。

でも…痩せこけてて、眼の下が真っ黒で、まるで別人でした。

「そっかぁ~!看護学校に行ってんのかぁ~!看護婦になりたいって桜の木の下で行ってたの覚えてるで!頑張りなっ!!私はお金だけが頼りやから、手っ取り早く稼げるしごとして、お金持ちのパトロン見つけるために頑張るわ!!」と…。何にも言えなかった…。

「そんなん!!やめとき!!」となんであの時、言わなかったのか…バスで別れてからずっと後悔してました。

そらから1年後…Mちゃんが死んだと連絡が入り…。

シンナー中毒で警察と入退院を繰り返していたそうです。

身体が震えたあの日も桜がきれいな日でした。

三角公園でMちゃんに手を合わせました。

その三角公園、今はもうありません。

今日、けいくうさんのメルマガを読んで、Mちゃんに手を合わすことが出来ました。

ありがとうございます!!

☆ここまで☆

私も、今朝、Mちゃんに手を合わせました。(けいくう)

(>人<)

ピン!と来る所があり、このメールをBさんに転送しました。

Bさんは、最愛の息子さんを交通事故で亡くされました。

詳細は、あまり申し上げられませんが、それはそれはおつらい日々を過ごされたのです。

涙なくしては語れませんしそのことをおもいだしますと昨日いただいたメールを

拝見しても涙がほろほろ流れます。

(;_;)

☆Bさんより☆

けいくうさん

こんばんは

メールありがとうございました。胸にじぃんときました。

お便りされたAさん 看護士になりたいという希望を叶えられて、きっと心のあったかい方でしょうね。 Mちゃん きっと一生懸命だったと思いますが、もし、生まれ変わりがあるなら、こんどは、もっと 沢山の人に愛されて、愛して、自分のことが大好きになるまで、長生きしてほしいです。

私は当時、ショックで、息子の火葬場には行きませんでしたが、待合室に桜の花びらが、はらはらと舞い込んできてた事を聞いてから、桜に嫌悪感を持つようになっていました。 数年して、キュブラー・ロスのLDTワークショップを受けました。

その後の桜の時期に頂いた けいくうさんからのお便りには「桜は、その場を動かず、雪の日も雨の日も台風の時も、じっと耐えて季節が巡ってくれば、素直に美しい花を咲かしてくれる」といった自然の素晴らしさ、美しさを書いてありました。それから、たくましさ や 素直さ等、自然に教えられることをいっぱい気付かせてもらうようになりました。

今年は桜のアーチの下を、有り難うございます と独り言を言いながら歩いてました。

毎年の桜は変わらないのに、心の状態で、映り方は どの様にも見えますね。

有り難うございました。

☆ここまで☆

先日、ご法事でこの話を紹介していましたら本当に涙が止まりませんでした。

(;_;)

Bさん、よかったですね。

∈^0^∋

☆Cさんより☆

19**年4月7日

父が肝臓ガンで亡くなりました。前年の入院した病院の父の病室からもさくらがきれいでした。8日が葬儀、お花祭りの日でした。

さくらの花散る花吹雪の中を火葬場へ。父がこの世でガンバった最後のはなむけのような気がして、悲しい気持ちより、ご苦労さま、私たち、姉弟もあなたのように、人に尽くす人生を送ります、と思った事を思い出しました。参列者の方々も、父の人柄を死に様が生き様だねぇ~と云われてました。

さくらをみる度、あの日の事を思い出し、今年一年ガンバろうと思ってます。

☆ここまで☆

さくらを見てお父さまをおもい一年一年頑張っておられるCさんにエールを贈ります。

p(^_^)q

がんばってください。

もし仏さまがアナタに一人で生きていける「強さ」か人に優しくできる「弱さ」を

下さるとしたらどちらを選びますか?

「弱さ」は時として迷いを呼び劣等感を抱き投げやりな気持ちにさせるもの。

弱いから、傷つき、痛みを感じる。

しかし、自分が痛みを感じたから隣人(ひと)の痛みがわかるようになる。

自分が強いとき、その強さを誇示しないのもやさしさですが…

人の痛みを感じて、涙を流してハグしあえる時

心と心が通じ合い

心に抱えていたものが溶けだして涙となる!

その涙は、人生の宝ものだとおもうのです。

弱いから助け合える、笑いあえる、手を取り合える、心と心が通じあえる

そして桜のように一つひとつの花びらは小さくともそれぞれが精一杯輝いて全体ですばらしい調和をとって気品をかもしだし大きな感動を人びとに与える存在になれる。

なんて、すばらしことでしょう。

。.:*.;.*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*.;.*:

今週もご機嫌よう。

けいくう

☆☆☆

広大無辺の みちからに みちびかれゆく 我なれど 

            弱き心の 悲しさに つまずきころび 日をおくる

力なき身を 投げ出して まもるミオヤを 念ずれば

            久遠大悲の みちからが わが身心に みちわたる

                            (田中木叉上人道詠)

(この文章は2012年4月29日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2024年4月14日

<再配信版 第49話 桜におもう>

こんにちは

先週は、桜が風にヒラヒラと舞う姿にみとれしばし車をとめること しばしば。

ふと桜にオモイをよせている。

さまざまなこと思いだす桜かな

(芭蕉)

今日も、さくらについて書きます。

一体、一本の木に何枚の花びらがついているのだろう。

と、おもっていたら知り合いから「昔、トリビアの泉でやっていたよ」と

言われ教えて貰った枚数は

10,000枚

いえいえ↑↑↑

!Σ( ̄□ ̄;)

100,000枚

いえいえ↑↑

!Σ( ̄□ ̄|||)

なんと

(゜o゜;) ドキドキ…

593,345枚です。

!Σ(×_×;)ギャフン!

1巻7mのセロハンテープに貼っていったら2013巻距離にして約14kmになる計算です。

すごいですねー。

!Σ(→o←;;;

☆☆

桜は「日本人のこころ」と言われますが

どうしてそんなにいいのでしょうか?

皆さまの意見も教えて下さい。

ェ(__)ェ

私は、一つひとつの花だけでもきれいのですがそれぞれが自己主張をせずに全体で、美しさをかもしだしているからだとおもいました。

バラとかユリとかチューリップとか一輪一輪が美しい花もありますが

無数とも言える小さな花びらが集まって一つの大きな調和を保ってさくらの花になっている。

人工的でなく、自然がかもしだす美しさ!

これが日本人の生き方に日本の風土にピタッとるのではないでしょうか。

敷島の 大和心を 人 問はば 朝日に匂う 山桜花

(本居宣長)

さくらの品性がただよってくる句です。

さらに、散り際の潔さ!

さっと咲いてはらはらと散る!

そのはかなさゆえに日本人から愛されるのではないかとおもいます。

ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ

(細川ガラシャ)

花にあこがれ 花のように生き そして 花のように散っていく

そんなおもいの方も多いのでは。

願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ

(西行法師)

☆☆

ところで

さくらに限らず 人・ものの いいところを 見つける練習をしましょう。

なぜなら、自分が幸せになれるからです。

欠点・短所・間違いは意識せずに見つけることができますが、良いところは意識して見つけようとおもわないとなかなか気付けないものです。

そして相手(人でも物でも)をほめると自分の無意識くんは喜ぶのです。

だって無意識には主語がありませんから。自分がほめられたとおもってっくれます。

(*^_^*)

きれい!  すてき~!  すご~い!

周りのものをどんどんほめましょう!!

それができればできるほど心の豊かだということです。

☆☆

名残の桜を眺めつつ

今週もよい一週間でありますように。

けいくう

☆☆

散れば散り 散らねば散らぬ ままによぶ 呼ぶうち通い くるぞみ心

称うれば 声にお慈悲の 息かよう み名より開く 信心の華

                         (田中木叉上人道詠)

(この文章は2012年4月22日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2024年4月7日

<再配信版 第48話 我も桜なり >

こんばんは♪

先週、さくらの話を書きました。

先人のオモイを感じながら花見をしましょうって。

(*^_^*)

こういうことを感じる感性、昔の方は、とてもすばらしいですね。

私もアンテナの感度を磨かなくてはおもいます。

(>_<)

皆さまは、桜のどこに一番魅力を感じますか?

今朝のお話では、色、あのうすいピンク色に癒される!とか散り際がいい!とか、それぞれ感想を言って頂きました。改めて、自分が桜の何が好きかを考えてから、愛でるのもいいかもしれません。

☆☆☆

私たちは目に見える世界で生きています。目に見えるから比べてしまいます。

比べるから、嫉妬したり、優越感に浸ったり、劣等感に落ち込んだり、あれができない!これがない!と、自分のことをありのまま認められない。

そして、理由を付けてはいかに自分が幸せでないかをいっています。

比較・条件の中では、調和や安らぎは感じられません。

見える世界にだけ住んでいると息苦しくなってきます。

息苦しい

  ↓

生きるのが苦しくなってきます。

咲いた花見て 喜ぶならば 咲かせた根元の恩をしれ

花は、根っこがないと咲いてこないのです。

見える世界だけに生きているのは、根っこがない切り花の状態です。

切り花は、いくらキレイに咲いていてもあとは、枯れていくばかりですね。

それはこの身体が自分だとおもい80年ほどで、終わりをむかえて何も無くなるというのと同じではないでしょうか。

それでは行き詰まるのも無理はないです。

仏教では、仏さまの大きな懐に抱かれて今の私が存在している。誰しも仏さまになる種を持っていると説いています。

種は、大地に蒔かなければ、芽が出ません。根を張って大地から栄養をもらっていのちが続いていくのです。いのちは、与えられて生かされている。

ソメイヨシノが誰かの手によって植樹して、増えていったように

この私もお父さんとお母さんからいのちを頂いて今、生きている。いのちの根をしっかりと伸ばしていないと【無条件の愛】を感じにくいです。

自分が、「生かされている」と心底、感謝できたとき人にやさしさをプレゼントでき

人の喜びのために無条件で、尽くせるとおもうのです。いのちの根を深く伸ばすのが祈りです。

目に見えない世界のことを大切におもって心、豊かにすごせるのです。日常の生活の中で祈りの時間を持ちましょう。そうすればいろいろなおかげを感じるアンテナの感度が上がってきて、今、私がいることが申し訳なくて、ありがたくて、もったいなくて、「なんて生きているって 生かされているって素敵なんだ」と生きる喜びが湧いてくるでしょう。

我も桜なり かけがえのない 一つのいのちなり 

           このいのち 誇りをもって 尊く生きん

                                (啓空)

☆☆

桜の木も、私も、鳥も、虫もかげがえのない、いのちを授かって今、ここ に存在している。

いのちの芽吹きを感じいのちを謳歌する。

花見の季節にいのちを謳歌しないでいつするのでしょう。

今週もよろこびにあふれた一週間をすごされますように。

ご機嫌よう!!

けいくう

☆☆

一切の縁の 集まる成り行きの 大き流れに 高き意味あり

授かりし 境遇 いさぎよく しのび 果たす使命に 光る身の上

                          (田中木叉上人道詠)

(この文章は2015年4月12日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2024年3月31日

<再配信版 第47話 咲き初める >

こんばんは♪

桜だよりが聞こえてきました。

(*^_^*)

なんと言っても日本の桜の代表は「ソメイヨシノ」です。

これは、「ソメイ」と「ヨシノ」に分かれます。

ここで問題です。

「ソメイ(染井)」は人の名前でしょうか?それとも場所の名前でしょうか?

   ↓

   ↓

   ↓

正解は 「場所の名前」です

簡単でした?

(>_<)

明治のはじめ染井村(現在の東京都豊島区あたり)の植木屋さんがエドヒガンサクラとオオシマザクラを交配させて「ヨシノサクラ」をつくりました。

しかし、千本桜で有名な吉野桜と混同してしまうため1900年に「ソメイヨシノ」と命名されました。

このソメイヨシノは、交配種ですから自分で増えないのです。

しかし、沖縄・北海道を除いて全国津々浦々「サクラ」と言えば、このソメイヨシノと言われるぐらい広がっています。

もう一度言います。

ソメイヨシノは、自分で増えません。

ですから誰かが接ぎ木して苗木を植えたのです。

そして、誰もお世話をしなければ、100年経てば、ソメイヨシノは、無くなってしまうのです。

このことを知った時、感動しました。

(>_<)

ソメイヨシノには植えた方のオモイがつまっている、と。

接ぎ木してオモイがつながっている、と。

4月の声を聞くとサクラが、咲き始めました!と、ニュースが流れますが

花は、咲き初めるのです。

???

どう違いますか?

咲き始(はじ)める と 咲き初(そ)める

「始」と「初」

どちらも新しく何かをするときに使う言葉ですが

「初」は衣をつくるとき刃物で、布を裁ち切るところから「はじめ」の意味になりました。そして他の言霊と一緒に使われることが多いです。

月初め、書き初めなど。

ちなみに「始」は、はじめ(台)の女で、長女の意味です。

「始」と「初」違いは「初」は、動詞では使いません。

そして「見」を付けてみるとどうでしょう。

「見初める」 「見始める」 は、明らかに違いますよね。

見初(そ)めるは、相手(人やもの)を気に入るさま

見始めるは、映画がはじまったから見ましょう!みたいな感じ。

初(そ)めるには、オモイがこもっています。

それは心が染まっていくということに、つながっていくのではないでしょうか。

染井吉野にも「染」が使われているのは偶然ですが、桜を植えた人のオモイ

後の世に、この木が生長してキレイな花を咲かすのを人々が、感動しながらみることを夢見たオモイ

それが淡いピンクとなって咲き誇る

ソメイヨシノ

桜を愛でてるとき、その色はアナタの心を、きっとやさしい幸せ色に染めていることでしょう。

桜に触れると日本人って、日本っていいなぁとつくづくおもいます。

花から元気をもらって今週もニコニコで。

けいくう

☆☆

接ぎ木の枝が つながれば 親木のいのち 通いくる 

             すがるおもいの 一心を 接ぎ木する南無 阿弥陀仏

みすがたおもう そよ風に 心の庭は 花ふぶき 

             おもいにお慈悲の 息かよう とけて とろくる 南無 阿弥陀

                           (田中木叉上人道詠)

(この文章は2015年4月5日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2024年3月24日

<再配信版 第46話 一枚の紙なれど>

こんばんは♪

昨日、お能のお稽古に行きましたら師匠から去年(2015年)、舞台に立った舞囃子「船弁慶」のお免状をいただきました。

ちなみに

昨年(2023年)いただいたお免状は、碇潜でした。

一枚の紙なのですが

その一枚の奥に稽古した時間、熱意、舞台での経験が込められているので、手にすると何かジーンといたします。

舞台をやり終えた時とは違う感動を得ます。

この時期、卒業証書を手にされた方も多いと思います。

大げさな言い方をしますと卒業証書一枚の中に6年間や3年間などの学生生活のみならず自分の人生が凝縮されていると言ってもいいかもしれません。

そうした一枚を手にした時は大きな節目、飛躍のときです。

Change は

Chance!! です。

変化を恐れずさらなる飛躍を目指しましょう。

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

☆☆☆

世の中、縮図になっていることが多いように思います。

いい一生だったと思えるような人生を送るためには今日の一日を心を込めているかどうかです。

調子のいい時も 体調不良の時も

その時、できることを精いっぱいするのです。

☆☆

今、幸せですか?

幸せに生きたくない人いますか?

いませんよね。

(・・;)

幸せに生きる!

そのコツは 「自分は幸せです!」と、言い切ること。

幸せの国の住民だと道端にゴミが落ちていたらサッと拾えます。

お年寄りが手を引いて欲しそうならサッと手を貸します。

座席もスッと譲れます。

そこに迷いはなく、すぐに行動に移せると思うのです。

行動が大切。

頭の中であれこれ考えているのと行動するのとは大きな違いがあります。

うまくいっても いかなくても

自分の人生にとっては、すべて必要なこととして経験できる。

一緒に行動して手に手を取り合って、人生を楽しみましょう!

こうして 今 生きているのだから。

☆☆

今週もお元気で!

御機嫌よう!!

けいくう

☆☆☆

微妙荘厳(みみょうしょうごん) 無辺際 ひれ伏し拝む 尊さに

  不思議ごころの 新天地 澄みし流れの 路(みち)かわる

大本願の 汽車の中 アナタおつれの 旅なれば 苦楽はしばし 窓景色 ゆくては 華のよしの山

(この文章は2016年3月27日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2024年3月17日

< 第1002話 東日本大震災 訪問記 >

こんばんは♪

先週の11日、日帰りで東北に行って来ました。

コロナの期間を除き、ほとんど毎年にように行かせてもらっています。

誰かに頼まれたわけではなく、言わば、個人の趣味のような感じとも言えますが。。。

東北の地に足を運び、未曾有の震災の爪痕を体験することは、とても大切なように思えています。

今年は、飛行機のチケットを検索したとき、たまたまJALのタイムセールの日でした。

こんな安いんだ!と思っただけで、コースを考えてから購入しようとおもったら

次の日には、セールが終わっており、値段が3倍近く高くなっていました。

それで、スカイマークにして、神戸→仙台とすると3月11日は、ほぼ満席。

今年は、どうしようかなぁとおもいましたが、何日かすると空席ができたので

購入しました

仙台空港に出発する前、レンタカー会社から連絡があり、無償でグレードアップしてくれるというありがたい話。

仙台空港で、車の手続きをしていると「啓空さん!」と昨年、ご縁のあったNさんが来てくれました。

昨年、お母さまを亡くされ、お辛い中でお仕事を頑張っておられたNさんに再会できて、うれしくおもい、車を走らせたあとに、Nさんが、グレードアップの手続きをしてくれたんだと気づき、感謝しました。

晴れわたった仙台の空、遙かの山々には、雪を冠し、空港の近くに公園墓地が増えていました。

今年は、一路、岩手県陸前高田市の奇跡の一本松へ。

そこは、どちらかというと観光客(私もですが、)が多かったです。

そこで、祈り、南三陸町へ。

ちょうど、14時半すぎに、到着。高台にある大雄寺の墓地から、三陸の海を眺めるところには、多くの方々が手を合わせに出てきておられ、震災を告げるサイレンとともに、黙祷をささげました。

手持ちの線香50箱は、あっという間に無くなってしまいました。

そうして

大川小学校に、向かいました。

到着すると、僧侶の一団が!

よく見ると、どうやら、同じ浄土宗のような気がする。

と、思っていると、「お~~~!」と友人のTさんが、声を掛けてきてくれました。

なんという偶然!

大川小学校で、祈りを捧げ、立ち話をしていたので、すっかり身体は冷えてしまいました。

どこか簡単に入れる温泉があれば、いいのになぁとおもいつつ、夕方には、空港で追悼茶会を予定していたので、与えられた時間は、15分ほどしかなく、、、

とおもいつつ、車を走らせていると、道の駅と温泉がセットの場所があるではないですか。

温泉に入りたいけど、時間ないなぁとおもっていたら、隅っこに足湯!!無料!!!という看板。

すぐに靴を脱ぎ捨て、足を湯に。

生き返りました。

ありがたい計らいでした。

そうして、仙台空港に帰り着き、チェックインした後、U先生が用意してくださっていた会議室での茶会に行き、

亡き人々を偲びつつ、お茶をいただきました。

神戸空港に到着したのが、21時過ぎ。

お寺に帰着が22時。

長い一日でしたが、一日で、東北を体験できるという文明の力にも感謝しました。

まだ、もう少し寒い日が続きます。

どうぞ、お元気で!

ご機嫌よう。

けいくう

☆☆

ひらかば 散らぬ 永遠(とわ)の花 かおりも高く 咲きそむる 春まつ土の

 雪の下 のびる白根に 光 ふる

見る人もなき 岩かげに つつましく咲く ひな菊の 花 一輪に

 あめつちの 栄えあらわす 日本ばれ

                           (田中木叉上人道詠)

2024年3月10日

<再配信版 第45話 お悩みですか?>

こんばんは♪

いきなり問題です。

懐かしいでしょう?いかがですか?解けましたか?

そう

(1) の 答えは 点A(2,2)です。

(*^_^*)

簡単でしたか?出来なかった方もガッカリしないでくださいね。

( ^o^)ノ

これは、2018年の東京大学の前期日程の数学の入試問題です。

(゚_゚;)

それをはじめに言ってくれていたら真剣に取り組まなかったのに、、、いやいや数式を見た瞬間今週は読まないでおこう、、、私には関係ないわ。。。とお感じになられた方!

大正解です!!

(*^_^*)

私には、わからない! とおもうと問題を出されてもそのことに悩まないで済むのです。

目の前に問題が来た時にこのままではいけない。なんとか答えを見つけなければと思ってしまうと夜も眠れなくなってしまうことがあります。

しかし人生の問題は先の東京大学の数学問題より難しいんですよ!

なぜなら決まった答えがないから。

答えを出しても、それが正しいかどうかなんてわからないから。

その時は、ベストを尽くした!とおもっていても10年20年と経って振り返ってみたら笑ってしまうこともあるでしょう。

あの時は持てる力をすべて発揮したんだけどなぁ。。。

でも20年前と今ではコンピューターでできることも格段に違います。今やAIの時代ですから。

写真も印刷もまるでプロのようにできるソフトがあります。写真屋さんが姿を消しましたね。

SNSのおかげで世界中の方の智慧を借りてものごとを進めることもできます。

クラウドファンドなど金銭面でもそうです。

未来の可能性は無限大!のようにも感じます。

そんな中で今、突きつけられている問題の答えが○○だ!とは言い切れないです。

みなさんが取り組んでいる人生の問題!(自分とは?自分の使命?などなど)は東大の問題よりも難しいんです!

東大の問題ならサッサと投げ出して悩まないでしょう。それより難しいから答えなんて簡単にでないですよ。

わからないことはわからない!と思うことも大事。

わかる必要があることはきっと誰かがベストのタイミングで教えてくれるはず。

そうでなければその問題で学ぶことがあるのです。

人生は、学びの場。

失敗して、ころんでも 学びがあれば それは自分に必要なこと。

楽しみにながら自分に与えられた人生の問題に取り組みましょう。

時には、さっさと白旗あげて 降参!して 楽々コースを選ぶのもありです。

自分にできることを心を込めてコツコツと。

その積み重ねが自分の人生が終わった時に「アナタの人生はこうでした!」と仏さまから教えてもらえるでしょう。

( -人- )

受験生の皆さま うまく行った方もそうでない方もおつかれさまでした。

(m_m)

受験を通して、何を学ばれましたか?

それを今後の人生にいかしてください。

どこどこの学校に行くことだけがすべてではないようにおもいます。

勉強は机の上だけではなく目の前に起こってくることから学べます。

どんどん成長していきましょう。

今週もお元気で!

ご機嫌よう!!

けいくう

☆☆

花だより 心早れど 足 弱み 吉野は千里 空は飛べなく

朝夕に 歓喜感謝の むね晴れて 希望こおどる 無量寿の旅

                       (田中木叉上人道詠)

(この文章は2018年3月25日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2024年3月3日

<再配信版 第44話 不機嫌よう>

こんばんは♪

今日は、お雛さまの日ですね。

女の子たちの健やかな成長を祈ります。

( -人- )

メールマガジンの最後に「ご機嫌よう!」と書いていますが

今日は「機嫌」について書きたいとおもいます。

機嫌が良い・機嫌が悪い

と、似た言葉に

気分が良い・気分が悪い

というのがあります。

「機嫌」・「気分」 どう違いますか?

 ☆考え中☆

自分で、自分の状態が良いとか悪いを言うときに使うのが「気分」

  気分がいい 気分が悪い

他人が自分の状態を尋ねるときに使うのが「機嫌」

  ご機嫌はいかがですか? 機嫌がよさそう。 機嫌が悪そう。。。

ではないかとおもいます。

☆☆

「機嫌」 は もともと「譏嫌」 と 書いていました。木偏ではなく、言偏でした。

「譏」は、そしる という意味です。「嫌」は、きらい ですね。

そしって、きらうのが「譏嫌」

これ斜めにもなるみたいですよ!

 譏

  嫌

   な

     な

      め

       で

        す

         ね ~。

というとたたかれそうです。 バキッ!!☆/(x_x)

ちなみにハラは、立つそうです!

 ハ

 ラ

 立

 つ

 わ

 | 

(`ヘ´) プンプン。

譏嫌 も ハラ も 寝かせておきましょう!

ムクッと起きてきたら あっ、斜めになってる! 注意しよう! 立ってしまったら、、、

深呼吸! 深呼吸!! です。

☆☆

「気」は、長さがあるようです。

「心」は、まるくてやわらかいほうがいいのにかたくなり、角ができるそうです。

そして「口」は、慎む!

(^_^;

それを今日は「不譏嫌のススメ!」です。

譏らない! 嫌わない! が 楽しく生きるコツでしょう!

それでは今週は「不譏嫌よう!」

(+_+)

けいくう

☆☆

咲き出るも 散るも同じく あめつちの 大き流れを はこぶ紅梅

散らば散れ やがてみのらん 梅の花 うたえ鶯 「時」の魅力を

                       (田中木叉上人道詠)

今、お寺の紅白の梅が満開です。

是非、お参りください!

2024年2月25日

<再配信版 第43話 性無作の仮色>

こんばんは♪

旧正月を迎え、少し寒さも和らいだでしょうか。

今日(2018年2月)の写経会のお話より。

法然上人が18才の時師匠の慈眼坊叡空上人について学んでいましたがあるとき

天台大師チギの戒体についての話になりました。

叡空上人は「こころ(精神的なこと)が、大事だ!」と言ったのに対し

法然上人は「からだ(物質・目に見えること)が大事だ!」と主張したのです。

戒体について天台大師は 戒体不起而已 起即性無作仮色 と言っています。

今日は、少し難しくてごめんなさい。

(^_^;

上の句は戒体は、おこさずんばやみなん起こさば すなわち 性なる無作の仮色

と、読むのですが

簡単に説明しますと

たとえば車に乗るときキーを回してエンジンをかけます。でギアを入れて走り出しますがキーを差し込まなければずっと動かないままですよね。それが、一句目の意味です。

しかしキーを回してエンジンをかけるとずっと走れますよね。

その都度キーを回す必要がありません。

これが二句目の意味です。

起こさなければずっと寝ているまま。

一旦、起こしたら自然に、働きだす。

と、言ってもいいかも。

「自然に」というのが無作の仮色の内容なのですが、、、

これを日常の言葉では「無作法」といいます。

お茶室に招かれすいません。「無作法」で何もしりません。というのは、間違いです!

それは「不作法」と、いいます。

「無作法」というのはやることなすことがすべて理にかなって文句の付け所がない達人のことなのです。

それを混同してしまっているんですね。

もしかしてわざと、皮肉を込めて使っているのかも。。。

(^_^;

だって縁起は、お釈迦さまが説かれた最高の教えですが

「縁起悪い」こと言わないで、、、と、使うでしょう。

オシャカになるって「壊れてしまう」という意味でしょう。

同じく阿弥陀さまに丁寧語の「お」を付けて

オダブツ、、、って。

「一巻の終わり」というように使われますよね。

なんとも残念な話です。

(>_<)

利益もいっぱんにはリエキ と読みますよね。

お金を儲けること。。。

だけど仏教ではリヤク ですよ。

お金が儲かったり病気が治ったりいい人と巡り会えるというのは

リエキです。

ゴリヤクがある、というのは今、こうして あることをよろこべることです。

今、生きていることをステキだと、実感してあ~ありがたいなぁと自然の働きに感動することです。

そうすると顔付きが変わります!生きざまが変わります!日々の行動が目に見えて変わってきます!

心だけ変わっても、、、

すぐに心変わりしますから。。。

話が元に戻ります。

目に見える顔付きが、日常の行動が、変わってこないと、本物ではない!と

法然上人は師匠の叡空上人に言ったのです。

師匠は最初は、討論の末、腹を立てて法然上人を木枕で叩きます。

法然上人は師の前からすーっといなくなり部屋に帰っていると、しばらくして師が法然上人のところへやって来てじっくり考えたら法然、お前の方が正しい!と自分の非を認めこれからはお前を師と仰ぐと法然上人の弟子になられたのです。

これはこれですごい話だとおもいます。

親は、子どもに謝れますか?

先生は、生徒に謝れますか?

親でも先生でも時には間違いをしてしまいます。

間違いに気づき悪かったとおもったら素直に謝って

「ごめんなさい」と相手に伝えること大切なことだとおもいます。

一日、一日を真剣に生きた先人の生きざまから、私たちの日々の暮らしを見なおしたいですね。

今週もお元気で!

来週までご機嫌よう!

けいくう

☆☆

道 問えば 砂ほりやめて 浜の子は ただ笑いつつ 三日月を指す

正しさを 好まぬ人は 無きものの 欲にすべりて 踏みはずす道

                         (田中木叉上人道詠)

(この文章は2018年2月18日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2024年2月18日

<再配信版 第42話 根っこ大事>

こんばんは♪

寒かったり温かったりなんとも不思議な気候です。

今日は晴れなのに小雨が降ったりしていました。

先週の日曜日通照院の涅槃法要でした。

お昼前に役員のMさまが私のところに来られて

本堂のトイレが使用できません。

お昼休みの前に皆さまにお伝え下さい、とのこと。

本堂に3つトイレがあるのですがそのうち2つは使用禁止!

法要で多くの方がお参りに来られているのにご迷惑をおかけして申し訳ないとおもいつつ参詣の方にお伝えしました。

なんとか協力していただいてその法要が終わり翌日は祝日でしたから火曜日早速、業者に来て頂き調べてもらいました。

そうしたらなんと下水管の中に木の根が入り込み管いっぱいに根が巡らされ流れなくなっていました。

これでは住職、トイレが流れませんよ!

と木の根を取り除いてくださいました。

しかしながら、そのことを聞きましてすごいなぁ~と感動しまいた。

木の生命力というか、いのちのたくましさ・躍動感にです。

表面では何も無いような顔をしていても根は一生懸命水分・養分をもとめて伸ばし続けている。

いのちってすごいなぁ~と思いませんか?

いのちがある以上

伸び続けていくのが生きているということ。

目に見える部分が成長するとわかりやすいですが

目に見えない部分の成長も土台を支える上では必要なこと。

いのちの根を伸ばしていくといつかはそのいのちの根源にたどり着きます。

いのちの根源をアミターといい阿弥陀さまの世界です。

落ち込んでいる時

辛い時

悲しい時

寂しい時

そんな時にこそ祈りましょう。

いのちの根は根源に向かって確実に伸びていきます。

そうした根に支えられて地面に足をふんばって笑顔で生きていきたいです。

寒い風が、吹いても冷たい雨が降ってきても

根っこがあれば大丈夫!

根っこさんありがとう!

今週もお元気で。

けいくう

☆☆

光さし 見なおす意味に わく歓喜 打ちかつ不幸ぞ 幸福のもと

寒中を 咲きし花なり まずしくも 思え幾朝 堪えし霜雪

                         (田中木叉上人道詠)

(この文章は2019年2月17日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2024年2月11日

< 第1001話 屈折率>

こんばんは♪

今日は通照院のお涅槃法要(ねはんほうよう)でした。

涅槃法要とはお釈迦さまのご命日が2月15日と言われていますのでその命日の前の日曜日におつとめしております。

今日は、晴天で比較的あたたかく70名近くの方の参詣がありました。

ありがたいことです。

(*^_^*)

午前中、30分ほどですが法話をしました。

宮澤賢治の詩

『春と修羅』から

「春」は、豊かなおだやかな世界、満ち足りた安息の世界、夢や希望に溢れた世界、夏の暑さの前の清々しい世界。

これが、お涅槃の世界だと言っても良いと思います。

対して

「修羅」は、「春の世界」という理想を掲げ、すべての人とと一緒に到達したいと願いつつも、実現できず、苦悩、悲哀、焦燥に駆られた賢治の心境。

それを「おれは、一人の修羅なのだ」と言い切り

燃える願いを持ちながら、世間の無理解、身体の弱さ、欲望の激しさに災いされて、苦しむ姿を想起させます。

『春と修羅』の中の

屈折率

            宮澤 賢治

  七つ森のこつちのひとつが

  水の中よりもつと明るく

  そしてたいへん巨きいのに

  わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ

  このでこぼこの雪をふみ

  向ふの縮れた亜鉛(あえん)の雲へ

  陰気な郵便脚夫(きやくふ)のやうに

      (またアラツデイン 洋燈(ラムプ)とり)

  急がなければならないのか

                     二二・一・六

これは、賢治26才の時の詩ですが、

賢治には

あるとき、小岩井の南にある山の一つが、不思議に明るく、大きく見えたのでしょう。それは、まるで理想の世界、光輝く仏の世界、涅槃の世界。

しかし、

ふと足もとに眼を落とすと、現実世界がある。

凍ったデコボコ道。

そして、その先には亜鉛の雲。

陰気な郵便配達人のように、

どんなに激しい雨風や吹雪の日にも、困難な場所にも、指定された道を歩き、指定された手紙を配る。

賢治にとっては

その手紙は、仏の心なのに、なかなか伝わらない。

ランプとり、、、

まだ、仏の心(洋燈)を取り得ていないのか。

(法話では、アラジンの話も少ししましたが、ここでは割愛します。)

それは、今すぐしないといけないのか

どうなのか、、、

☆☆

詩を味わうのは、個人差があるので、難しいですが

外の世界がどんなであっても、内面は穏やかに、煩悩に振り回されず

過ごして行きたいですね。

そんなお話をさせていただきました。

その後は、寺庭で浄火供養をして

燃えさかる火に、去年からの白木塔婆や経木塔婆をくべて、浄めました。

まだ、もう少し寒い日が続きます。

どうぞ、お元気で!

ご機嫌よう。

けいくう

☆☆

ひらかば 散らぬ 永遠(とわ)の花 かおりも高く 咲きそむる 春まつ土の

 雪の下 のびる白根に 光 ふる

見る人もなき 岩かげに つつましく咲く ひな菊の 花 一輪に

 あめつちの 栄えあらわす 日本ばれ

                           (田中木叉上人道詠)

2024年2月4日

<再配信版 第41話 無字の公案>

こんばんは♪

今日は、節分!

豆まきはしましたか?

恵方巻は食べましたか?

四季の節目、しっかり味わって明日から春を迎えましょう!

(*^_^*)

今朝の法話で趙州(じょうしゅう)禅師の公案についてお話しました。

僧問う「狗子(くし)に還って 仏性 有りや なしや」

州云く「無」

簡単に言いますと

お坊さんが聞きました。

「犬は、仏さまになれますか?」

州は、答えました。

「いや、無理でしょう」

アナタはどうおもいますか?

「犬は、仏さまになれますか?」

これ考えても答えは、出ないのです。

(゜◇゜)ガーン

趙州禅師は他の箇所では

「犬も仏になれる」と答えているとも言われています。

答えを出すことが大切ではなく

考えても答えがでないことをトコトン考えさすことで

頭の中がパンクして真っ白になってはじめて感じられる境地があるのです。

言葉では、こんな感じにしか書けなくて、すいません。

(m_m)

とにかく

あぁだ、こうだ

頭だけで考えてばかりではなく

日々、自分のまわりにあることを感じましょう!

☆☆

明日から、立春

春! 感じていますか?

英語のSpring!という言葉は

バネ

などという意味がありますが、、、

大きな自然の力が湧き上がってくることです。

寒さの中にも少しずつ春を感じて元気に生きましょう!

最後に趙州禅師のお話をもう一つ。

ある人が趙州禅師に聞きました。

「あなたのようなすぐれた禅僧なら、死んだ後は極楽に往かれるのでしょうね?」

禅師は答えました。

「真っ先に地獄行きです!」

(゜゜;)エエッ

「どうしてですか?」

(?_?)

「私が先に地獄に堕ちて行かなければアナタが堕ちたときに救うことが出来ないでしょう!」

(*^_^*)

こんな温かい禅師の公案なら

「犬も仏さまになれるのか?」

一度は真剣に考えてみるのもいいかもしれません。

今週もお元気で!

ご機嫌よう。

けいくう

☆☆

大願成就 きおいたつ 苦もまた楽の 弾力で

八重の山路は けわしくも 越して 越されぬ 峠なし

大みちからを ちからとし いさむ心の 奮い立ち 

南無阿弥陀仏の かけ声で 出来ないからぞ やってみる

                      (田中木叉上人道詠)

(この文章は2019年2月3日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2024年1月28日

<再配信版 第40話 愛し・愛される>

こんばんは♪

日本列島大寒波ですね。

{{ (>_<) }}

寒行托鉢で、駅前で1時間ちょっと立っていただけで、身体の芯まで凍りました。

{{ (>_<) }}

スターウォーズのヨーダさんが

Fear is the path to the dark side.

Fear leads to anger,anger leads to hate, hate leads to suffering.

恐れは、闇の世界へつづく道。

恐れは、怒りを生み 怒りは、憎しみを生み 憎しみは、苦しみを生む。

という言霊を

言っています。

(*^_^*)

苦しみ・憎しみ・怒りの奧には恐れがあるというのです。

さすがヨーダさん、深いです。

怒りやすい人は、

自分のオモイが強い人・自分がかかわっておきたい人・自分の誇りが高い人

でしょうか?

その裏には人一倍のさびしさへの恐れがあるようにおもいます。

☆☆

倉田百三氏の『愛と認識との出発』(人と人との従属の章)

(amazon kindle版、無料で読めます)に

人と人とは互いに求むるときにのみ初めて従属する。

愛したい願いのみあって愛されたい願いのないところでは幸福な交わりは生じない。

私たちの心の底には実際に愛されたい願いがあるのである。

と、あります。

「愛」大切ですが自分が愛するだけでなく

「愛される」自分になることも大切。

愛されたいと思っても愛されなかったら倉田百三氏は「歎くがよい そして歎きつつ なお愛されたいと願うがよい」と言っています。

愛されたいのは人間の理想!

傷つくのを「恐れて」愛されることをしないより

愛されなかったら歎きなさい!と。

人は愛されたい、仲良くしたいと思っている人へ動いていくもの。

だから自分から「愛してもらいたい!」と思った方がいい。

そう思うと自分の格が下がるように感じる人がいるかもしれませんが、

そんなことはないとおもいます。

もう一度、書きます。

愛したい愛されたいは、【人間の理想】です。

(*^_^*)

この「愛されたい!と願う気持ち」をお釈迦さまの言霊でいうと「無我の生活」です。

「自分(エゴ・我)」を少なくしていかないと愛されたいという願いは実現しないから。

愛されたいという気持ちの中に「愛したい」という相手の思いが入ってくる。

仏さまと人間の関係もそう。

仏さまに愛されたいと念じるところに仏さまの声が入ってくるものです。

恐れは入れなくてもいいのです。

みんなで楽しくいきましょう!

寒い日が続きます。

どうぞ皆さまあったかくしておすごしください。

今週もお元気で!

ご機嫌よう!!

けいくう

☆☆

寒くとも 庭の光を なつかしみ 人 よろこばせ 咲くや 白菊

寒中を 咲きし花なり 貧しくも 思え幾朝 堪えし霜雪

                      (田中木叉上人道詠)

(この文章は2016年1月24日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2024年1月21日

<再配信版 第39話 幼稚園で学んだけど>

こんばんは♪

週末は、寒さもやわらぎ、時折、春の陽射し、春の風を感じました。

見えないけど寒い中から春はやってきていますね。

(*^_^*)

今日、紹介するのはR・フルガムさんの『人生に必要な知恵は すべて 幼稚園の砂場で学んだ』 です。

人間、どう生きるか、どのようにふるまい、どんな気持ちで日々を送ればいいか、本当に知っていなくてはならないことを、私は全部残らず幼稚園で教わった。

人生の知恵は大学院という山のてっぺんにあるのではなく、日曜学校の砂場に埋まっていたのである。わたしはそこで何を学んだろうか。

何でもみんなで分け合うこと。

ずるをしないこと。

人をぶたないこと。

使ったものはかならずもとのところに戻すこと。

ちらかしたら自分で後片付けをすること。

人のものに手を出さないこと。

誰かを傷つけたら、ごめんなさい、と言うこと。

食事の前には手を洗うこと。

トイレに言ったらちゃんと水を流すこと。

焼きたてのクッキーと冷たいミルクは身体にいい。

釣り合いのとれた生活をすることーー毎日、少し勉強し、少し考え、少し絵を描き、歌い、踊り、遊び、そして、少し働くこと。

毎日かならず昼寝をすること。

おもてに出るときは車に気を付け、手をつないで、はなればなれにならないようにすること。

不思議だなぁと思う気持ちを大切にすること。

発砲スチロールのカップにまいた小さな種のことを忘れないように。

種から芽が出て、根が伸びて、草花が育つ。

どうしてそんなことが起きるのか、本当のところは誰も知らない。

でも人間だって同じ。

金魚もハムスターも、二十日鼠も、発砲スチロールのカップにまいた小さな種さえも、いつかは死ぬ。

人間も死から逃れることはできない。

ディックとジェーンを主人公にした子供の本で最初に覚えた言葉を思いだそう。

何よりも大切な意味を持つ言葉。「みてごらん」

        

これ、国単位で考えてみるとどうでしょう。

自分の国にしてほしいことを他国にする。

政府は、自国が使ったものは、きちんと片付ける。

表にでたら、手を繋ぐ!

分かち合う!

政府の人は、世の大人は、わたしたちは、幼稚園で何を学んだのでしょう。

(>_<)

幼稚園は簡単な教えだから価値が無くて、大学院は高等な教えだから、最高!

とは、言えません。

大切なのは知識をつめこむことではなく、知恵を得て日常生活に実践できること。

お念仏もただお称えるだけでなく、日常生活に落とし込んでくること。

そして、目の前にいる人を笑顔に!

さらに自分も微笑む!

今週もお元気で!

けいくう

☆☆

乱れざる 一心 凝りて 感性も 理性も眠り 光る霊性

この心 身の内のみか 満天地 みる所に みる心かも

                        (田中木叉上人道詠)

2024年1月14日

<再配信版 第38話 心を鍛えるには>

こんばんは♪

皆さま、今年の抱負は何でしょうか?

一年の最初にいろいろとやりたいことをおもい浮かべておられるとおもいます。

どんどんいろいろなことに挑戦していきましょう。

(*^_^*)

☆☆

筋肉を付けるには同じ訓練を繰り返し行うといいのです。

例えば、腹筋を鍛えたければ毎日50回でも100回でもすればいい。

では、心を鍛えるには?

ズバリ!お念仏です。

何回も、何回も、どんなときもお念仏をしていく。

お念仏を称えると、自分勝手から離れて物事を見つめ、受け取っていくことができます。

そうしないと、心は、固まってきて、弱くなってくる。

誰しも知っています。こころはしなやかなほどいい、と。

先入観や思い込みをもって行動し、言葉を発するのは心が固くなっている証拠。

心を鍛えるのにはお念仏が一番。

こころはコロコロころがっていろいろなことに想いが飛んで行きますが、仏さまと一緒ならどこに飛んでいっても大丈夫!!

肉体は30代ぐらいをピークに衰えはじめますが、心は齢を重ねても成長し続けるもの。むしろ30代後半からがグッと成長する時かもしれません。

今年一年もうれしいこと、楽しいことばかりではなく苦しいこと悲しいこともいろいろと起こってくるでしょう。

それらはアナタの心のいろいろ面を鍛えてくれる貴重な経験!

大きな愛でもってそれを経験することを受け止められたとき、私の心はよろこびの声をあげ一歩、階段をのぼれることになります。

これは以前にご縁のあった三輪康子さんの言葉

怒鳴られたら やさしさを一つでも 多く返すんです

強く強く感動したので今日も、紹介させていただきました。

さぁ、いっしょに手を取り合って今年も人生街道に笑顔の種をいっぱい蒔きながら

歩いていきましょう。

けいくう

☆☆

心配するなかれ

ただ現在を

処分すれば

足れり

道のよからんことを祈るより

いかなる道にも堪え得らるる

力のくわわらんことを願え!

(弁栄聖者法語)

There is nothing to worry about.

All you have to do is to take care

Of the present.

Ask not for relief,

But ask for the strength

To endure anything you may encounter.

(St. Benney)

(この文章は2012年1月1日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2024年1月7日

<再配信版 第37話 初夢・初笑>

2024年、元旦に「初春のおよろこびを申し上げます。」と書いていると夕方に、大きな地震が発生。

能登半島の震災でお亡くなりになった方のご冥福をお祈りし

被災されている方へ、お見舞い申し上げます。

「初夢」

1.新年にはじめて見る夢。

2.元旦から2日かけて見る夢。

3.2日から3日にかけて見る夢。

吉兆としての 一富士二鷹三茄子

ブジに志タカくことをナスなどいろいろ言われていますが

どんな夢を見るのでしょう。

(*^_^*)

夜の夢は選択できませんが、

昼の夢は自分で描くことができます。

さて、今年はどんな夢に向かって歩いて行かれますか?

「初笑」 笑っていますか?

笑うという漢字の「夭」(よう)は巫女さんが神さまの前で舞いを待っている姿から来ています。

「竹」冠は巫女の踊る手を表しています。

つまり笑うは神さまの前で舞いを奉納し楽しんでもらうことです。

ですから神さま仏さまに礼拝することも「笑う」ことになります。

仏さまの前で「あ~幸せ!」って祈りを捧げるとき口元が柔らかくほころびます。

それが蕾から花びらが開く「咲く」になりました。

「笑う」と「咲く」は旧態字は同じです。

お釈迦さまがサトリを開かれて後伝道の旅に出られますが歩かれた跡足跡から花が咲きほこった」という話があります。

「リトル・ブッダ」という映画をご覧になってみてください。

これは赤ちゃんがニコッと微笑むとどんな人でも微笑み返すように

お釈迦さまと出会った後は爽やかな風が吹き気持ちが優しくなって自然と頬がゆるんだことを表しています。

出会った人が、笑顔になっていく。

仏道を歩むとは、自分と出会った人が笑顔になっていくこと。

自分も微笑み、相手も微笑む。

そんな一年を過ごしていきたいです。

まずは仏さまに手を合わすことから。

(^人^)

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

手を合わせて 心の花 咲かせましょう!

皆さまにとりまして 良き一年となりますように 心から祈念いたします。

けいくう

☆☆

濁りにいでて いさぎよく 咲ける蓮(はちす)の 香りこそ

         聖(きよ)き光に 開かれし 人の心の花ならめ

茜さすてふ 朝日かげ 見るも まばゆく輝くは 

         聖(きよ)き光に 照らされし 人の心の花ならめ

                          (弁栄聖者「清浄光」)

(この文章は2011年1月2日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年12月31日

<再配信版 第36話 大晦日>

こんばんは♪

今年もいよいよあと数時間を残すのみになりました。

今年、一年、どんな年でしたか?

喜怒哀楽

嬉しいことも

腹が立つことも

哀しいことも

楽しいことも

いろいろあったとおもいます。

それでこそ人生!

しっかりと一つ一つを味わわれたことでしょう。

どんなことでも心を込めてすると、自分の中から愛情が溢れ出してきて

”いのち”が、”生きていること”がとても愛おしくなってきます。

今日こうしてここにいる奇跡!

よろこびにひたり

除夜の鐘を聞きながら

「ありがとう!」 「ごめんね!」と、ご縁のあった人・出来事を振り返り

新年を迎えましょう!

今年もお世話になりました。

どうも、ありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願いします。

けいくう

☆☆

つみの我 捨てず 身に添う ミオヤにぞ 叱るるかな 護らるるかな

小さくとも 永遠の命の みのる華 光にそだて 三昧の庭

                       (田中木叉上人道詠)

☆お誘い☆

明日元旦の朝、7時から8時半。

通照院 本堂で修正会(しゅしょうえ)・年頭礼拝を行います。

年のはじめに仏さまに礼拝し、自分の方向を光を放つ方向(放光)へ修正してくださる会です。

どうぞお参り下さい。

(この文章は2017年12月31日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年12月24日

<再配信版 第35話 能「隅田川」の世界 >

こんばんは♪

十二月も半ばをすぎますと、これが今年、最後かなぁと人とお会いしてもおもい

「どうぞよいお年を!」と最後の挨拶を交わします。

別に12月31日が1月1日になったとしても何が変わるというわけではありませんが、こうして節目があるのはいいですね。

気分を改められますし来年こそは、、、と抱負も持てますから。

逢いたい人に逢えるのは幸せ。

昨日、神戸能の集いがありまして楠木正成公の湊川神社まで出かけました。

演目が「隅田川」!!観たかった能です。楽しみに行きました。

そして、泣きました。

(;_;)

見た目には涙ぐんでいるぐらいにしか見えなかったとおもいますが、心の中ではおもいっきり泣いていました。。。

悲しすぎます。

ご存じない方のために簡単にあらすじを紹介します。

京都の吉田家。その子どもが人さらいにあって居なくなってしまいます。それで母親が子どもを探す旅にでます。

武蔵国 隅田川のほとりに来ると、船頭が待っていて船に乗り込み向こう岸につく前から念仏の声が聞こえます。

どうして念仏しているかという理由(わけ)を船頭が話しはじめます。

ちょうど一年前に人さらいにあった子どもが身体を病んで亡くなった、と。

親類縁者・両親も誰もわからないので近くの人が塚を作り弔った。

ちょうど今日が一周忌なので念仏しているのだ、と。

母は、詳しく聞きます。その子どもの年は?名前は?お父さんの名前は?

すると

母が探し求めていた我が子「梅若丸」だったのです。

母は、泣きます。ひたすら泣きます。夢であってほしい、と。

(;_;)

子どもに会えなくて狂っていた母!

その母に船頭は、言います。

子どもにたくさんの人が念仏を手向けているけど、一番よろこぶのはお母さん!

アナタの念仏ですよ!!

そういって墓所の前まで母を案内し

母は墓所を掘り起こしてもう一度私の子どもの姿が見たい!!と人々に頼みます。

しかし無理なこと。。。

(;_;)

泣きます。

観てる人も、一緒に。。。

やがて子どもが喜ぶからと母は念仏をはじめます。

すると塚の中から皆んなの念仏に合わせて子どもの念仏の声がきこえました。

これも泣けます。。。

かなしいような うれしいような 気持ちになり

母は聞いた? 聞こえた? 子どもの念仏の声が、、。

船頭は私も確かに聞いた!!、と。

では私たちは、静かにしているからお母さんだけで念仏してごらん、と。

母は鉦鼓を叩きながら念仏します。すると、子どもが念仏を返してきて、なんと塚の中から姿を現します。

やっとのことで子どもと再会できた母!!

泣けます。。。

母「あれは我が子か!」

子「母にてましますか!」

そして歌詞は「互いに手に手を取り交わせば」とあるので

私が稽古で謡っているときは「しっかりと、手を握れたんだ!」よかった!お母さん!!

と、思っていたのですが

違いました。

母が手を取ろうと伸ばしたその手の下を子どもはすり抜けてしまいます。

再度、母は手を伸ばしますが、、、

子どもは、袂をすり抜け、塚の中に入ってしまいます。

もう、悲しすぎて涙、涙、涙、、、、ですよ。

死者を弔うための能ですが、、、

やはり死者は死者。

生きている者とは触れあうことは出来ないのです。

そのこともちゃんと表現しています。

そして母は、塚の前で夜が明けるまで泣き続けます。

泣き続けたまま、エンディングです。

悲しすぎます。

(;_;)

☆☆

自分の子どもを亡くされた方にはたまらない演目です。

人の世の無常をつくづく感じます。

悲しさ 哀しさ 切なさ 寂しさ

好きこのんで経験はしたくないですが、

他人(ひと)の子の死を悲しむ涙。

他人(ひと)のつらさを自分のつらさとして感じて流す涙。

他人(ひと)の痛みを自分の痛みとして感じて流す涙。

この涙は、魂を洗います。心の一番、深いところから溢れ出してくる涙は心を浄め、死者の魂を鎮めます。

これも、人生には必要。

(;_;)

愛する人を今年、見送られた方もおられるかも知れません。

今年でなくても愛する方とお別れをされた経験があるとおもいます。

居なくなると存在感はゼロに感じるかも知れません。

しかし価値は、素敵な人と出会えていろいろなことを一緒にしたという価値は亡くなっても変わりません。

むしろ、高まることもあります。

それを忘れてはいけないとおもうのです。

悲しいばかりではないことを知って下さい。

そして人と人が出会える不思議、有り難さを感謝して今年を終えましょう。

来る年はすばらしい年になりますように。

心より、皆さまのご多幸を念じています。

寒くなってきています。

どうぞご自愛下さい。

ご機嫌よう。

けいくう

会いたさの 一念凝りて 飛び込みぬ 波よ この身を 呑むか 渡すか

会いたさに こがるるおもい 知ろしめし かなえて給え この会いたさを

                          (田中木叉上人道詠)

(この文章は2015年12月27日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年12月17日

<再配信版 第34話 仏さまは、みてござる>

こんばんは♪

急に寒くなりましたね。

{{ (>_<) }}

お風邪、大丈夫ですか?

今日は「仏さまは、みてござる」という題です。

僧侶になりたてのころ

先生から「お参りしたあとお預かりしたお布施やご寄進があったときに中身を見てはいけません」

と言われていました。

中身によって、その人へお礼するお辞儀の角度が変わってはいけないから、と。

人は油断しているとツイツイ少しだと浅い角度で、たくさんだと深くなるものだ!と。

正直、中身を見なくても、お預かりした瞬間に中身は、想像できますが、、、

(>_<)

それ以来、どんな時もきちんとお辞儀してお預かりするようにしております。

お布施やご寄進は、私ではなく仏さまにささげられるものですから。

あくまで、お預かりするものであり

そこには自分の損得計算を入れてはならないのです。

☆☆

これは僧侶だけに限らず、たとえばレストランやお店でたくさんお金を使ってくださったお客さまがお帰りになるとき深々とお礼をして少ししかお金を使わない方にはそこまでお礼をしないというのは

どうでしょうか?

お礼は、来て下さったお客さまだけにするのですか?

そうしているように見えますが、今、お店の中にいるお客さまもその様子を見ています。

どんな方に対してもきちんと対応されるところに、人間としての器の大きさみたいなものが表れるのです。

私の母はすごく丁寧にお寺に来られる方をお迎えしお見送りします。

なかなか、マネができないほどすごいとおもいます。

もう20年近く前の話ですが、認知症の方が高丸インターの道路公団の事務所に保護されて「通照院」とだけおっしゃったので

お寺に電話がかかってきました。

少し不便なところでしたので母を車に乗せてその場所まで行きました。

するとぜんぜん知らないおばあちゃんだったのです。

(+_+)

母の顔を伺うと明らかに知らない人だわ!という顔をしています。

私は、保護管さんに「すいません。存じ上げない方なのでお力になれません」と言っていると母は、その方のところへ歩み寄り、その方と目線を合わせて

「おばあちゃん、いつ、お寺に来てくれたんかなぁ?」

「なんで、通照院って知っているのかなぁ?」

と満面の笑顔でしゃべりかけているのです。

(≧◇≦)

( ^o^)ノ

結局、どこのどなたということはわかりませんでしたが、その時の態度にすごく感心したのを覚えています。

誰に対しても笑顔で接することのすばらしさを学びました。

(*^_^*)

ですから、お寺に来られる方は「こんにちは!大奥さま、おられますか?」という方、多いです。

( ^o^)ノ

私が玄関に出ても住職ではなくお母さんに会いに来たんだよ!

大奥さまが居ないなら失礼します~!

とばかりササッと帰られます。

(>_<)

どんな時でも誰に見られていなくても

「仏さまは、みてござる!」

そして「仏さまのように、育ててくださる!」

人に褒められるためにする

誰かが見ているからする

仕事だからする

得だからする

ヒマだからする

というのと

誰も見ていないけどする!

誰にでも同じようにする!

いつでも同じようにする!

見た目は似ていますが中身には大きな違いがありますよね。

(*^_^*)

こんなこと書かなくても皆さま、よくご存じだとおもいますが、、、

☆☆

「仏さまは、みてござる!」

私に与えられたこと、私の目の前にやって来たこと、お越しになった方が

ややこしくても しんどくても つらくても めんどくさくても 損をするように見えることでも仏さまがよろこばれるなら

それはお役目!

よろこんでさせてもらいましょう!

今週もお元気で!

ご機嫌よう!

けいくう

☆☆

あけぬれば 今日も お慈悲に護られて 光のつとめ するぞうれしき

みさかえを 日びにあらわす よろこびの 職務(つとめ) イソイソ 舞う蝶のごと

                        (田中木叉上人道詠)

(この文章は2018年12月9日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年12月10日

<再配信版 第33話 財布を落としたら?! >

こんばんは♪

師走の十日になりました。

今年もあと二十日!

やり残したことは、ありませんか?

やることをきちんとしていないと、年の終わりに後悔してしまいますよ!!

(+_+)

今朝の法話やご法事でしたお話ですが、

早速ですが、質問です。

「3万円、入っている財布を落としました。皆さま、どうされますか?そしてそれは何のチャンスですか?」

これは、福島正伸先生のセミナーでの質問でした。セミナーでは5万円の財布って言っておられたのですが、自分の財布にはそんなに入っていませんでしたので、3万円と言っていました。

(-_-;)

ちょっと考えてみて下さい。

財布を落としたら

パニックになる!!

(>_<)

でしょうが、、、

例えば

どこに落としたか、思い出して探す、、、

そして

無いとわかると

クレジットカード止めなきゃ、、、

免許再発行しなきゃ、、、、

交番に行かなきゃ、、、

などなど。

は、私もするとおもいます。

そして

後悔する。。。

泣く。。。

諦める。。。

って

それが何のチャンスに繋がりますか?

???

次から、気をつけよう~!

ぐらいだとモッタイナイですよ!!

と、教えてもらいました。

☆☆

そんなこと

財布落としたことないから、わからないという方も居られるでしょう。

自分は、落とすはずがない、と思っておられる方もいるでしょう。

みんなそう思っていますけど

それだと

実際に財布を落としたら、、、

落ち込んで、後悔してしまいます。

(>_<。)

だから

上の質問の意味があります。

では

落とすのが、財布ではなくて

「自分のいのち」だったとしたら

どうですか?

いつかは「自分のいのち」落としますよ。

間違いなく。

私も、アナタも。

自分のいのちを落としたとき、

後悔したいですか?

パニックになりたいですか?

落ち込みたいですか?

そう考えると問題が大きすぎるので

手始めに「財布」で考えてみましょう。

(*^_^*)

セミナーでは5万円入った財布を落としたのは、「世界を変えるチャンス!」と言われた方がいたそうです。

その人は、財布の中に、次のようなメッセージを入れていたそうです。

「この財布を拾ったキミへ。

以下の中から、キミが感動したボランティア団体へ財布のお金を寄付してください」

と。

そしてがんばっているNPO法人のリストと概要を明記しているそうです。

これで、財布を落とす度に、世界を救える!と。

(*^_^*)

それを知った時

では、自分は何をしようかなぁと考えました。

そして

僕は、僧侶だからこんなメッセージを入れておこうとおもいました。

「この財布を拾った人は、南無阿弥陀仏!と称えて下さい」

そうしたら、中のお金が無くなっても、拾った方と仏さまの縁を結ぶことができる。

仏さまのお手伝いをさせてもらうのが、僧侶の役目だから、僕が財布を落とす毎に、仏さまとのご縁つなぎができる。

そう思うと、財布を落としても、後悔が少ないようにおもいます。

よろしければ

財布の中に入れるメッセージを、アナタも考えて、財布にいれてみてください。

それが

人生を後悔しない生き方に繋がりますから。

(*^_^*)

財布は、その手始めです。

財布を落としたら、何のチャンス!ですか?

私の答えは、「私が自分の役割に気づき、実行していくための第一歩」というチャンスです。

せっかく「いのちを授かって」生かされているのですから、、、

大事に使わせてもらって、後悔しない生き方をしたいとおもっています。

今週も、お元気で。

ご機嫌よう!

けいくう

☆☆

またとなき日の 今日の日ぞ わが永遠のわかれみち 歓喜みなぎる 身をささげ いざやつとめん このひと日

おもいつかれし 身の上を これ天命と 一刀に 忍のとびらを きりひらく 奥にすくいの み手がまつ

                                          (田中木叉上人道詠)

2023年12月3日

<再配信版 第32話 鳥立つ時 >

こんばんは♪

師走となりました。

一年の終わりが見えてきましたね。

Time flies like an arrow.  でしたっけ?

光陰矢の如し

時の過ぎ行くのは、本当に早く感じます。

(゜◇゜)ガーン

先月(2012年11月)14-15日と高松市・さぬき法然寺さまでの念仏会に参加させてもらいました。

法然寺さま、本応寺の品愚上人はじめ隨喜の皆さま、お世話になりありがとうございました。

夜は、お釈迦さまがお亡くなりになる様子を「仏像」で

                     (↑↑これは、とても珍しい!)

あらわした涅槃堂で、お念仏。

翌朝は人が亡くなるときに阿弥陀如来さまが二十五菩薩さまとともにお迎えにきてくださる様子を同じく仏像であらわした来迎堂で、お念仏。

どちらも、圧倒的な迫力ですごい空間・時間を体験させていただきました。

涅槃堂は、常時、拝観できるとおもいますが、

来迎堂は、一般には年に2回、8月16日と12月31日に拝観できるそうです。

是非、参拝されることをお勧めします。

(*^_^*)

人が亡くなるとき、あのような仏さまたちがお迎えにきてくださる。

ある意味、楽しみです。

(^_^)/

今日は、インド人の死の迎え方を紹介します。

私がインドへ行ったのは、もう30年近く前ですがバナラシー(ベナレス)で

丸一日ガンジス河の川辺ですごしました。

そこでは、亡くなった方のご遺体を薪で焼いて、灰を母なる河・ガンガーに流すのです。

それが、天国へ続く道!

インド人にとっての最高の死の迎え方です。

インドでは人びとは死期をサトルと周囲の人に挨拶をしてバナラシに向かいます。

バナラシには多くのアシュラム(宿)があり無料で、人びとを迎えています。

それらの宿はマハラジャなどの裕福な方からの寄付でまかなわれています。

人びとは服に、荼毘にふす薪代を縫い付け死を待っています。

静かに、静かに、待っています。

インド人にとっては死は悲しみではなく

この人生「よく頑張った!」という祝福だそうです。

輪廻転生!生まれ変わり、死に変わりしますから。

こうした人生観・環境の中で死を待つ人の心は非常におだやかに見えました。

日本では、いかがですか?

昔は自宅で家族に見守られて看取りが行われていましたが、今はほとんど病院です。

それが、死を日常から遠ざけ死を「コワイ!」ものにしているのかもしれません。

一年の最後の月に、今年を振り返るとともに自分の最期もどうすごしたいかを考えておくと、心静かにこの人生を卒業できるのではないでしょうか?

母なる河・ガンガーの雄大な流れを見ていた日を思いだし

ゆったりと生きていきたいと思いました。

私は、法然寺でのお念仏を通して、亡くなる時には仏さま方が音楽を奏でながら、お迎えに来て下さると確信しました。

最後に、ある方のお別れの仕方を紹介します。

「皆さま、こんにちはお変わりございませんでしょうか

実は 私 十 月 六 日に旅立ちました。

お別れはとても寂しいのですが 皆さまと出会えたこと たくさんの笑顔と楽しい思い出を頂けたことは 本当に幸せでした おかげさまで 心の空は晴れて穏やかです 皆さまにはどうぞ これからも長く長く 人生を楽しんでくださいますように 今まで 本当に 本当に有難うございました さようなら」

この手紙が、亡くなってから本人の名前で友人に送られてきたのです。

亡くなった方は息子さんに日付を入れて投函するように依頼し受け取った友人には

さらにメモ書きで「みんなのおかげで楽しく幸せな最期の日々をおくることができました。ありがとう! 幸せだったから、泣かないでね!」

そして、お食事でもしてください、と金一封も同封されていたそうです。

素敵な旅立ちですね。

(>_<)

まさに、

立つ鳥あとを濁さず

といった感じでのお旅立ちです。

時には「死」に目を向けるのも大切なことです!

今週も生かされていることに感謝して元氣にいきましょう!

けいくう

☆☆

何の為 生まれけんとや なげきなん 餌(え)のみあさりし 一生の暮れ

道問えば 沙(すな)ほりやめて 浜の子は ただ笑いつつ 三日月を指す

                        (田中木叉上人道詠)

☆おまけ☆

立つ鳥あとを濁さず は 飛ぶ鳥あとを濁さず と言われることもありますが

「立つ鳥」が本来です。

「飛ぶ鳥を落とす勢い」からの混同されているのではとおもいます。

(*^_^*)

2023年11月26日

<再配信版 第31話  太陽の子ども達 >

こんばんは♪

先日(2010年11月19日のことです)

モンゴルの子ども達の歌や踊り、演奏を聴きに大阪中央公会堂に行きました。

どの子もキラキラと輝き、とても素晴らしい演技でした。

(*^_^*)

「太陽の子ども達」と名付けられた保育施設に預けられる子ども達は親から虐待されたり、親が十分な環境を持っていない子ども達です。

実際、レポーターが、家庭訪問をした映像が紹介されたのですが、ゴミ捨て場に毛布がひいてあるというだけの家でした。

一時期、マンホールチルドレンとテレビでも紹介されましたが、日本では考えられない状況です。

その子ども達を預かるエルデネ・チュルーン先生のお話。

どの子も入所当初は、悪いことばかりする。

それはそうでしょう。盗みをしないと生きられない。人をだまさないと生きられない。

そうした環境で育ってきましたから身についてしまっています。

その都度エルデネ先生は、子どもに「私はアナタが好きですよ!私はアナタを決して見捨てないし、アナタは私たちの家族です!」と愛を注ぎ続けるそうです。

1回や2回ではありません。

三ヶ月から半年ぐらい!ずっとずっとです。それほど子どもが受けた心の傷は深く大きい。

それにしても「なんと女性はすごいのだろう!」とおもいました。

☆☆

そうしていると、子どもがエルデネ先生に心を開いて自分が受け入れられていることを感じる日がやってきます。

その時にエルデネ先生はその子を真ん中に座らせて施設の子ども達、職員で周りを囲んでその子がした悪事で、どれだけ迷惑したかを指摘するのです。

するとその翌日から子どもは、ガラッと変わってピタッと悪事をしなくなるそうです。

そして私は、歌手になりたい!とか心理療法士になりたい!医者になりたい!など

目標を決めてキラキラと輝き出す。

・:*:・`☆・:*

エルデネ先生は、施設の運営資金を援助してもらうために毎年のように日本に来られては里親と縁を結んでおられますが、その来日舞台のために子ども達は毎日、毎日10時間以上も練習を重ねるそうです。

舞台が、見事なはずですね。

(*^_^*)

人は、大きな愛に包まれて認められて、はじめて安心できるもの。

だいじょうぶ

だいじょうぶ

と、言ってくださる方が居る人は「だいじょうぶ」

(*^_^*)

イキイキと生きておられると思います。

誰もいってくれない!という人。よぅく耳を澄ますと心臓の音が聞こえませんか?

その音は仏さまが「大丈夫!だいじょうぶ!」と、言ってくださっている音ですよ!

聞こえていなければ、深呼吸して自分の胸に手を当てて感じましょう!

アナタの鼓動を!

生かされている確かな鼓動を感じ「だいじょうぶの花」を咲かせましょう!

けいくう

☆☆

「だいじょうぶの花」

いつの日か

やさしさをなくしてしまっても 

だいじょうぶ

人のやさしさを感じるための心の痛み

いつの日か

生きることに疲れてしまっても 

だいじょうぶ

本当の自分を見つめるための心の痛み

いいことも悪いこともたくさんあったけれど

すべてはきらめく宝物

やがて

紫色のつぼみが開きだすように

本当のあなたが開きだす

あなたのなかのやさしいつぼみが花開くと

世界中にだいじょうぶの花が咲くのです

地球のどこかで人が幸せになることは

あなたが幸せだからです

地球のどこかで人が楽しく笑うのは

あなたが心から笑ったからです

だいじょうぶ

だいじょうぶ

だいじょうぶの花を

咲かせましょう

つぼみが空に向かって開くように

あなたも希望に向かって開きましょう

世界がひとつになるように

これからはじまる新しい地球へと

あなたがだいじょうぶの花を咲かせましょう

詩/嶋田 旺子(一般社団法人 日本だいじょうぶ普及協会 副理事長)

心おちつく み名の奥 見つつ聞きつつ 見ず聞かず 

          三千世界遠のいて ただ大ミオヤ ただお慈悲

                          (田中木叉上人道詠)

(この文章は2010年11月28日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年11月19日

<再配信版 第30話 初導師 >

こんばんは♪

立冬をすぎて、急に気温が下がり、冷たい風を吹くようになりました。
皆さま、いかがお過ごしですか?


今日は

通照院の五大法要(涅槃・春彼岸・お盆・秋彼岸・十夜)の

最後 「お十夜法要」でした。

この法要が終わると一年ここまで無事に過ごせた感謝がわき上がってきます。

今朝は、朝から青空が広がり気持ち良くおつとめさせていただきました。

先週水曜日の朝、弟子のK尼から電話がありました。

K尼はお寺の仕事の他に整体の仕事もしているのですが

施術をしているFさんの義父さまがお亡くなりになった、と。

そして義母さまは簡単に「直葬」で、済ますとお考えですが

FさんはK尼にお経を唱えて欲しい、とのこと。

で、どうすればいいか、という相談を受けました。

それでF家に連絡してFさんのご主人(喪主のご子息さん)とお話をしまして

金銭的に厳しいなら神戸市規格葬儀があるのでそれを利用して通照院で葬儀をしたらいかがでしょうか?

と提案しました。

そうしたら掛け金をかけている業者があるからそこにまず相談してみます、と。

そうですか。

協力できることは協力しますよ!と電話を切りました。

しばらくして電話がかかり通照院でお願いしたい、と。

そこで業者を紹介し当院で葬儀をすることになりました。

翌日は神戸市外国語大学の学生をお寺に招いての写経会と精進料理の日でした。

その写経会にF家の皆さまにも参加していただき

その夜、お通夜。

その晩はご家族そろってお寺に泊まられ

翌朝の勤行(ごんぎょう)に皆さま参加されました。

念仏と法話

そして葬儀。

この葬儀は弟子のK尼にとっても僧侶の資格をとって初めての導師。

今までは私の後ろで研修( -人- )

あたたかく見守りました。

K尼本人はすごいプレッシャーだったとおもいます。

偶然は重なるもので葬儀の日はご詠歌の稽古日でもありましたので

葬儀式が終わりご出棺の時には詠唱部の方がご詠歌を歌ってお見送りくださいました。

火葬場で荼毘(だび)にふし

再度、お寺で骨上げ法要と初七日法要!

すべて滞りなく、終了しました。

(*^_^*)

F家の喪主さま、義理のお母さまはこの一連のお寺での行事(写経・精進料理・通夜・朝勤行・葬儀・ご詠歌・初七日)に大層感激され

これからもここでいろいろ学びたいです、と

すごくいい顔でお帰りになりました。

義母さまだけでなくF家の方・親戚の方、皆さま本当に、いい顔でした。

仏さまのお導き

念仏の功徳

K尼の真摯な態度

こころのこもった読経

お寺のバックアップ

すべてが整うと

お寺さんなんか要らないと当初、仰っていた方が

別人のようになられたことに、チームワークのすごさ祈りの尊さを感じました。

( -人- )

これからもこういうご縁を結んでいけるよう精進していきます。

( -人- ) ( -人- )

朝晩冷えてきました。

どうぞご自愛ください。

ご機嫌よう

けいくう

☆☆

成り行きに 苦楽は任せ いさぎよく つとめて帰る 華のふるさと

あてにせし 日の夢いずこ かくてこそ たよりて強き みちびきの手

                           (田中木叉上人道詠)

☆追伸☆

K尼さん本当におつかれさまでした。

(*^_^*)

これから皆さまにもっともっと喜んで頂けるようビシビシ鍛えます!

(+_+)

私もさらに精進しますが、、、

どうぞ精進してくださいませ。

( -人- )

と、言ってからもう5年が経ちました。

K尼も今ではスッカリ、葬儀も板について、落ち着いておつとめできるようになりました。皆さまのおかげです。

お礼申し上げます。

( -人- )

けいくう

☆おまけ☆

今年の話ですよ~~!

2023年11月23日(木) 祝日 勤労感謝の日

15時半すぎ京都・金剛能楽堂で

舞囃子「碇潜(いかりかづき)」を舞います。

お時間ある方は、秋の京都の紅葉狩りを兼ねて、舞の鑑賞もしてください。

(*^_^*)

入場無料・予約不要・チケットなし。どなたでもおこし頂けます。

(この文章は2018年11月18日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年11月12日

<再配信版 第29話 楽なもんですの>

こんばんは♪

今日は写経会でした。

その時に

大西良慶和上のことをお話ししました。

ご存じですか?

年末になると今年の漢字を大きなパネルに書いておられる森清範貫首の前に京都・清水寺の貫首(住職)をなさっていた方です。

昭和の名僧の一人で昭和58年に107才で亡くなられました。

40年ぐらい前に一度お会いしたのですが

和上は小さい方で小さいお顔やさしい目が印象に残っています。

合掌なさると自然と聴衆もすっと合掌される姿が美しかったです。

今日、皆さましたお話は

関東の方のA住職が良慶和上に法話の依頼をされた時の話です。

A「良慶和上、是非、うちの寺にお話に来てくれ!

早く来てくれないと、和上も歳だからいつポックリいかれるかも

わからん。とにかく早く来てくれ!」

和上「そうせっついて言われてもワシも命が惜しいですの。それで、ことわりますの。それでもまたやって来て、せっつきますの。ワシは必死でことわりますの。それもとうとう断りきれんようになって引っ張りだされたの」

良慶節と言われた独得の関西弁で笑いが絶えいお話です。

(*^_^*)

(私も、見習わなければ、、、)

和上「このA住職は、ちょっと変わっておりますの。そこへ行くには、車で高速を8時間走ってインターを降りてからさらに2時間も走りますの。10時間も車に揺られて、そのお寺に着きましたの。ところがなぁ、ふつうなら、おつかれでございましょう!とお茶ぐらいだしましょうが。

それが 出しませんの。お茶も飲ませずに本堂に連れて行きますの。本堂にはもうお人が沢山見てますの。すぐに話せといいますの。

終わりましてナァ、ヤレヤレと思うたらの、もう一つ話してもらわにゃならんといいますの。

帰りは、途中の食堂で食べるものがありませんの。

それでなぁ、住職がごはんを炊いたものをお櫃に入れてお櫃ごと車に入れてくれましたの。

いい匂いが立ちこめているのに侍者は、車中でそんなもん出したら失礼やとおもうたのか、出してくれません。

夜になって清水寺に着いてから、そのお櫃のごはんを食べさせてもらいましたの」

一同は、笑いながら聴いていましたが

和上「あの住職は、えらい人ですの。お茶を出すことなど、どうでもいいことですの。あの人は、法を伝えることに命をかけているのですの。変わった人ではありますがの、えらい人ですの。」

こういう人からの依頼ですから十時間も車に揺られお茶も出してもらえなくてもお話に行かれたのでしょうね。

「わしも命が惜しいですの」などと言われていても法を伝えるためなら和上も命など惜しいと思われていないに違いありません。

和上

「それでなぁ ワシも覚悟を決めた!死ぬ気で行ってこよう、そう思いましてな、清水の観音さまにお願いしまして、観音さまこの旅で死ぬものなら、死なしてくださいまし、生きるものなら、生かしてくださいまし、とな。

こう観音さまにお願いしまして、万事観音さまにおまかせで行って来ましたの。

楽なもんですの」

最後の

楽なもんですの

これがすごい言霊ですね。

法を伝えることに、命をかけている住職さんもすごいですが、、、

それに応えた100才を越えられた良慶和上は本当にすごいですよね。

☆☆

良慶和上の生きざまから、何かを感じませんか?

この人生、何をするために生きていますか?

何に覚悟を決めていますか?

写経会にご参会の方に問いかけ自分自身も考えました。

皆さまは、如何でしょう?

☆☆

今週の半ばから寒くなるようですね。

お風邪を引かないようにまた、インフルエンザにも気をつけて参りましょう!

今週もお元気で!

ご機嫌よう!!

けいくう

☆☆

大願の海 疾風(はやて)吹く ちぎるる雲間見よ 光 空うつなみは 

波まかせ いざ乗りきらん まっしぐら

大悲の護念 わが上に 万難こえて導けり ただつらぬかん

このつとめ 苦楽は縁に まかせはて

                          (田中木叉上人道詠)

(この文章は2017年11月12日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)