2020年8月16日

<第860話 内面の成長>

こんばんは♪

連日、暑いですね。
皆さま、お元気ですか?

昨日で、なんとかお盆の棚経参りが終わりました。

約2週間、毎日、お檀家さま参りをしました。

14日まで、お葬儀が無かったのですが14日朝に連絡がありました。
昨日15日通夜で、今日、葬儀となりました。

毎年8月15日は、K葬祭の精霊送りの船に乗せてもらって、須磨沖から塔婆を流していました。流したものは、また漁師さんがあとで、回収してくれるのです。なかなか風情があってよかったのですが、今年は、コロナの影響で、船は中止。

だから、淡路島に渡って、夕景を見ながら、塔婆を流し、精霊送りをしようと計画していました。

しかし、通夜が入ったので、行けないとおもっていたのです。枕経に伺い打ち合わせをしていると、通夜を終えてすぐに車を走らせると間に合うかもと考え直し、通夜の時間を少し早くしてもらい、淡路島に向かいました。

奇跡的に道も渋滞がなく、間に合いました!!

キレイな夕景が海の向こうに広がり、おつとめしながら、塔婆を流すことができました。

不思議なことにおつとめをしていると魚が飛び跳ねてくれました。それも何回も何回も、7回ぐらい連続で!
そのあと、魚の群れが、わぁーと目の前を泳いでくれました。

今までに、見たことがない光景がひろがり、おまけに花火まであがりました。

まるで、還っていく精霊たちがお礼を言っているようでした。。。

☆☆
お盆参りをしていると久しぶりにお会いする顔も多いです。

Mさん家族とお会いしたとき

Mさんのお孫さん高校3年生のお姉ちゃん、中学3年のお兄ちゃん、中学1年の妹さんも手を合わせてくれました。
その3人は、赤ちゃんのときから、知っている子たちで、特に中学3年のTくんは、剣道の教え子でもあるのですが、、、
今年は、コロナの影響で会えていませんでした。もともと大きな子でクラスで一番背が高い子でしたが、「大きくなったなぁ」と声をかけると、、、

なんとまた背が伸びています。

中学3年生で、187cmですよ!

私が181cmなので、今年のはじめぐらいまでは、同じぐらいだったのに、軽く抜かされてしまいました。
(>_<。)

そのTくん、おつとめが終わると用事があると、出て行ってしまいました。そこで姉妹に、Tくんは、身体はあれだけ成長したけど、中身はどう?同じだけ成長してる?と聞きました。
(>_<)

すると、予想どおり?!

「ぜんぜん!」と。
(+_+)

では、中身が成長するってどういうこと?

と、尋ねると

?????

ワカラナイ。。。

という顔をしていました。

身体の成長は、目に見えます。

だけど、中身(こころ)の成長は、目に見えません。

こころの成長とは

責任感
信頼されること
頼りがい
きくばり
おもいやり
やさしさ
共感力
忍耐力
包容力



そういったことが身体の成長とともなって、ようやく一人前の大人として見てもらえるのでしょうね。

ちなにみ、目に見える成長で大人になる目安は、身体の成長と経済力でしょうか?
自分の生活をするだけ、お金をかせぎ税金をきちんと納めていると社会からは一人前として扱われます。
とりあえず、そこを目指して、勉強して、就職してとやっていますが、人間としての生き方を問うた時に、それだけではないようです。
それだけで終わってはもったいないようにおもいます。

☆☆☆
いざ、心の成長はと考えると、何歳になってもマダマダですよ。

20歳で、成人式を行いますが、20歳で、ホントに成人していましたか?

40歳になったら、「不惑」、道に迷わない!と孔子さんは、言っていますが、40代の人、迷っていませんか?

自分でも、よくわかっています。

もう50歳をすぎたのに、自分では、未だ未だです。

逆に言うと、まだ伸びしろがあるということです。

師匠の空外先生は、80代にならないとわからないこと90代にならないとわからないことがあると仰っていました。

こころは、死ぬまで、成長・学び続けるものですから。

まだまだで、いいんです。

まだまだと思えるから、生きていて楽しみがあるんです。
(^_^)

こころの対象は、目に見えないものが多いのです。

お盆で、ご先祖方に手を合わすことは、この目に見えない世界へと心が開かれていきます。

仏さまやご先祖方が導いて下さるのです。目に見えないご先祖と一緒に今を生きていると感じさせてもらえます。

目に見えることばかりの中で、生きていることが多い私たちに「ご先祖さまのおかげで、今の私がある!」と手を合わすこと。

「おかげ」ですから、目に見えない「かげ」からそっと護って下さって、育ててもらっているのです。

自分だけで生きているのでは無い。。。

そんなこんなのいろいろなことに気づけない内は、わかった顔をしていても

未だ未だ マダマダ!

です。

お盆で、ほとけさまやご先祖方に手を合わしていると

いのちって、不思議だなぁ

ご縁ってありがたいなぁ

家族でいることってすごいことだなぁ

友だちってうれしいなぁ

実際の生地だけでなく、こころの上でも故郷があるっていいなぁ

とつくづくおもいます。

こうして、長い文章のメルマガを通じて、お付き合いをしていただいている方にも、心より感謝しています。

ありがとうございます。

仏さまに手を合わせ、お念仏をお称えして共に、こころの成長をしていきましょう!

まだまだ 暑い日も続きます。 どうぞお元気で!

ご機嫌よう!

けいくう

☆☆☆
招くお慈悲に さそわれて 門の戸たたく ナムの声 答えはきけど まだあえぬ あえぬミオヤぞ なお恋し

有為の奥山 この山をこゆりゃふるさと はなの里 夕映えはゆる 雲のおく 大悲のミオヤ 待ち給う
                                            (田中木叉上人道詠)

ご意見やメルマガへのご意見・ご感想お待ちしております。

2020年8月9日

<第859話 平和の鐘>

こんばんは♪

今日8月9日は、長崎の原爆記念日。

そして

先日8月6日は、広島の原爆記念日でした。

今年で、75周年になります。

去年、ニューヨークを訪問した時、国連で祈りを捧げさせてもらいましたが

その時、大変お世話になりました

中垣先生が、被爆75周年

Interfaith Prayer(宗教宗派を超えた祈り) and Peace Concert(平和のコンサート)

平和を世界へ 広島とニューヨークをつないで

というイベントを主催され

一応、仏教者を代表して、コンサートで般若心経をお唱えさせていただきました。

広島の檀上先生からお誘いを受け、お盆参り中でしたが、広島までとんぼ返りでいってきました。

そして檀上先生・私・バイオリニストの姜賢玉女史と佳奈尼と4人でステージに立ちました。

三帰依文を唱えたあと、姜さんが、G線上のアリアを弾き、それに合わせての般若心経でした。

そのステージで、檀上先生が、手に持っておられたのは、太平洋戦争の時、若き日本兵がアメリカ軍医に託したヘルメットでした。

その軍医ポール・アレン・カフマン医師は、アメリカに持ち帰えり大切にしていたのですが、7、8年前になくなりました。

その時、娘さんのアリシア・ベイ・ローレルさんが、父の遺品のヘルメットを父の遺志でもあったので日本に届けたいと思われ、ご縁あって約70年の時を経て檀上先生のもとに来たのでした。

檀上先生は、言われました。

「このヘルメットには、若き日本兵の平和への願いがこもっている。どうすれば、いいのか。仏教は、非暴力です。絶対暴力反対です。ところが、戦争になると、ヘルメットを頭にかぶって戦争の道具・武器になってしまいます。皆さま、戦争の反対は、何ですか?」

客席より「平和!」

檀上先生「そうです。だから、ヘルメットを反対、逆さまにしたら戦争の道具ではなくて、<平和の鐘>になります。今日は、この鐘を鳴らして、原爆でお亡くなりになった方、今も苦しんでおられる方、家族を失った方へ、祈りをささげて、これからの平和を祈りたい!」と言われ、演奏に入りました。

バイオリンの素敵な音色とヘルメットの<平和の鐘>の音色それに読経の声が混じり、なんともいい般若心経でした。

地球上の兵士が手にしている武器を楽器に持ちかえたら、すぐに戦争から平和が訪れるとおもいました。

武:いさましい より

楽:たのしく いきたいですね。

武器を楽器に。

アナタは、どの楽器を手にしますか?

まずは

強面(こわおもて)より笑顔を!

笑顔・笑い声は、

自分もまわりの人も、楽しくなる

最高の楽器です!

幸せな音を響かせましょう!

今週もお元気で。

ご機嫌よう。

暑いです。

汗をダラダラかいて、お盆のお参りしています。

15日まで、がんばります。

皆さまもどうぞお大切に。

けいくう

☆☆

せまる夕やみ くれの鐘 み名を念じて みあかしの

       み前をたてば あらとうと 月にも照れる 慈悲のおも

悪いが悪い ところにも 無理もない点 きっとある

       相手の身にも なってみて 大きく生きる おもいやり

                          (田中木叉上人道詠)

☆おまけ☆

G線上のアリアと般若心経をお聞きになりたい方は

https://3.gigafile.nu/0816-bf0b92e867e26331664c7026d29814006

より、ダウンロードしてください。

2020年8月30日まで、ダウンロード可能です。

2020年8月2日

<第858話 落ちついて美しく>

こんばんは♪

梅雨があけたとおもったら、猛烈な暑さがやってきました。
陽射しが痛いです。

いよいよ8月、お盆月です。

暑さに負けず、がんばります!!

今日は、写経会でした。

そこで、会津八一先生の話をしました。

中でも有名な書簡(大正15年8月26日に大泉博一郎氏宛)を紹介します。

「御手紙に接し御近状悉く承知いたし候。すべて落ちつきて仕事のすべてに一つ一つに充分力の入るように御勉強なされたく候。一生涯にて為したることの数は多からずともよし、少なくともよし、そのひとつひとつによく力をこめて静かに進むべし。此人にあらずばよく為しがたしとおもうふばかりの事一つにても為さば、ただ其一事のみにて其人は勝利者となり成功者ともいふべし。貧乏にても名声はなくとも、やはり其人は成功者勝利者たるべし。かならずあせらず落ちつきて御進みなさるべく候。(中略)
ただし此落ちつくといふことは我等にても今尚ほむずかしきことの一つに考へ居ることにて、折々おもひ出しては、落ちつくやう落ちつくやうと、心がけ居るありさまにて候へば、貴下の年配としては、むしろ当然とも考へられることながら、御同様、気をつけて落ちつきて、美しき人になりたく候」(『會津八一全集』第8巻p.494より)

この書簡では「落ちつく」ということが、キーワードになっています。

言葉を変えれば「腹を決める」「腹に据える」ということです。

しっかりと腹を据えて、目の前の仕事、一つ一つに心を込めること。自分の人生を通して、多くのことをしなくても、少しでも、その一つ一つを大切にしていけば、「あなたにしかできない仕事ですね」と言ってくれるほどの事ができるようになる。
そういったことを一つでも、自分の人生したとおもえたら、生まれてきた甲斐があったというもの。それには、「落ちついて」進んで行く。

『鬼滅(きめつ)の刃』というアニメが、すごく流行っていますが、主人公が「全集中の呼吸」を習得するのに、似ているとおもいます。柱と呼ばれる最強の人たちは、常に全集中の呼吸をしている。そう常に、腹にものごとを据えて生きてくと、最高の力がだせるのです。

だけど、アニメでは、すぐに習得していますが、、、

この「落ちつく」ということが、會津先生をもってしても、難しいことなので、時々思い出しては、「落ちつけ」「落ちつけ」と心がけないといけません。

落ちつくための習慣を何か考えているといいですね。
私の場合は、常にお念仏を忘れないということです。仏さまを念じていると、起こること、すべてを仏さまにおまかせできますから、自分はあたふたせずに済みますから。
(^_^)

だから、若いアナタには、時には浮き足立つのも仕方がないことかもしれないけど、私がしているのと同じように、落ちつくことを意識して行い、

  <美しい人>になりましょう!!

この「美しき人になりたく候」 ! しびれる言葉ですね。

これは、別の書簡で、「人格が鮮やかな人」「人格の美しく尊い人」とおっしゃっていますから、

外見ではなくて、中から見地味出る<美しさ>のことを言っているのです。

その為には、「落ちつくこと」「目の前のことを一つ一つ丁寧に心を込めて、行うこと」心がけていきたいとおもいます。

會津先生は、「落ちついて、美しい人」になるために
「学規」を書いておられます。

一つ、ふかくこの生を愛すへし
一つ、かへりみて己を知るへし
一つ、学藝を以て性を養ふへし
一つ、日々新面目(しんめんぼく)あるへし

最後の日々真面目あるべしは、毎日、毎日、その日を新しい日だとおもい、昨日のことを引きずらず、明日のことを取り越しせず、精一杯生きること。

晩年、會津先生は、戦災にあって、故郷新潟に帰ります。そのとき、教え子が「夕刊ニヒガタ」の社長に懇請して、先生の晩年の生活を支えようとしたら

「人生に余生や残生はありません」と一喝されたという話があります。

毎日、心を込めて、真剣勝負を通された會津先生の人生は美しかったとおもうのです。
「落ちつき」「ガマンする」「勇気を持つ」「周りの人によろこんでもらう」
そのために、自分に日々課題をだし、それをたんたんと実践された「厳しさ」「強さ」「激しさ」を徹底された人生、私も、見習いたいとおもっています。

☆☆
今月は、15日までに、お盆参りで400軒ほどお伺いします。

一日、30軒ぐらい?
気が遠くなるような軒数ですが、
一軒一軒、心を込めて、おつとめいたしますので、どうぞよろしくお願いします。

お盆参りが終わった曉には、今より少し<美しい人>になっていますように。
( -人- )

暑いです、熱中症に気をつけて

お元気で!

けいくう

☆☆
大空を あくがれ強く 大地ふむ 一難ごとに 増すぞ一勇

し こがねの門の なお高し いつまではわん 野に蟻の如と
                     (田中木叉上人道詠)

☆おまけ☆

8月2日(日)写経会の法話をユーチューブにアップしまいた。よろしければご覧下さい。

2020年7月27日

<第857話 過ぎ行く景色>

今日は、日曜日の念仏会・法話、そしてF家のご法事、
その後は私の祖母の23回忌と従兄の13回忌の法事をつとめました。
会食を済ませ、お寺に帰るともう18時前。。。

一日、早いですね。
(^_^;

医者は、自分の家族を手術できないと言われていますが、僧侶も自分の家族の法事をするのは、感情が荒立って、難しいというのは、よくわかります。
しかし、12年前に兄とも言える従兄の葬儀をつとめましたので、それ以後、強くなりました。どなたの葬儀・法事でもできる、と。

ただ、今日でも従兄と別れて丸12年経っているのですが、祖母に至っては丸22年経っているのですが、今までのことがずっーと思い出されて、涙が次々溢れてきました。

今日もあらたに、祖母、従兄に「最高のさようなら」と言えました。

亡くなった当初は、苦しくて泣きました。さびしくて泣きました。
大好きだったおばあちゃんや兄ちゃんと別れるのだからと、それはそれは泣きました。

だけど、あるときから「ありがとう、ばあちゃん」「ありがとう、にいちゃん」と
言えるようになりました。今日も「僕は、強くなったよ!ありがとう」と言いました。

これが、「最高のさようなら」だとおもうのです。

そして、その最高のさようならを何回もしていくうちに、死を受容できるようになっていくのです。

お亡くなりになったた方に、心の底から、ありがとうが言えたとき、言えた人はよろこびをもって新たな出発をすることができます。

このコロナが心配される中でも、親戚が25人ぐらい集まってくれましたが、それぞれの方が「ありがとう」「しっかり生きていくね」を言えたようにおもいます。


「過ぎ行く景色に、アナタは何を見つけますか?」

「私は自分の過去をみつけます」

人生を列車の旅に喩えますと、その景色は、自分の人生に起こるできごと。
歩んできた道です。

「アナタの願いは、何ですか?」
「アナタは、何に誓いを立てて生きていますか?」

自分の過去は、歩んできた道。
「願い」とか「誓い」は、これから歩んでいく道。

どちから見ているかの違いで
それらは、言葉を変えると「私の生きざま」だと言えます。

どう生きていくのか?

今、ALS患者の安楽死が問題視されていますが、皆さまどう思われますか?

☆☆

超未熟児で産まれ、直後の三度の手術で脳障害をもって肢体麻痺の状態で文字盤によるFC(ファシリテイデッド・コミュニケーション)で、その思いを私たちに伝えてくれている、日木流奈(ひき るな)くんの文章を目にしましたので、紹介します。

事というのは、だれにでも起きうるのだ。どんなに注意深く生きていても、事に出くわしてしまうことが、人にはあるのだ。
それは、誰にでも起きると知らなければならない。
そして事に対処するために知恵を出し合い、自分ができることは何かを問い続けて行動してゆくしか道はないのだ。
(中略)
私は、伝え続けるのだ。人々が生きるのが少しでも楽になるように。どんな状態でも、そこに幸せを見いだせるようにと願いながら。
苦しいとき、苦しさを言葉にできる人でありたい。
優しさに触れたとき、心が温かくなる人でありたい。
寂しい人に出会ったとき、隣でそっと寄り添える人でありたい。
怒っている人がいても、それが悲しさから来るのか、寂しさから来るのか、怒りから来るのかを察してあげられる人でいたい。
家族として友として同志として、私は人々と生き続けたい。

私の中に愛と感謝と慈悲の心がいつもありますように、と私は願う。

そして、祈る。光が人々の心に在り続けることを

流奈君の言霊が、心に響きました。
☆☆
安楽死でお亡くなりになった方にご冥福をささげますが、流奈君にご縁があったら生きざまは少し変わったのではとおもいました。

さぁ、アナタは

どう生きてきたのか?

どう生きているのか?

どう生きていくのか?

過ぎ行く景色の中で
アナタはどんな景色を彩っていますか?

自分の祖母・従兄の法事をつとめて、私はどうなのだろうか?と
改めて考えた今日の一日でした。


一昨日、昨日、雷雨がすごかったです。

雷は、梅雨の終わりを告げるとも言われています。そろそろ暑い夏がやってきます。どうぞ体調にお気を付け下さい。

今週もお元気で!

ご機嫌よう。

けいくう

☆☆☆

須磨の浦 帆に夕映えの 汽車のまど 涙も笑みも 運ぶ都路

朝夕に 歓喜感謝の むね晴れて 希望こおどる 無量寿の旅
                   (田中木叉上人道詠)

☆☆

今日の念仏会のお話は、下記You Tubeで、ご覧頂けます。

よろしければ、どうぞ。

2020年7月19日

<第856話 勇気を出して>

こんばんは♪

大雨の被害に遭われた方には、あらためてお見舞い申し上げます。

昨日、今日とはお日さまが照り、青い空が広がり一気に夏模様になりました。
汗をカキカキ、おまいりしました。

青い空を見つつ、福山雅治さんの「あの夏も 海も 空も」などを流しながら、車を走らせていました。

☆☆
最近、よく忘れ物をしたり無くし物をしたりします。
(^0^;)

先月、車の鍵を一つ無くしていました。思い当たるところをいくらさがしてもありません。
カバンの中、服のポケット、部屋の机周り、いろいろ探したのですが、ありません。

携帯電話だと鳴らせば答えてくれますが、車の鍵は、返事しません。

それで「ディーラーさんに合い鍵を作りたいのですが」と依頼しましたら

なんと「6万円!」と言われました。
(^0^;)

おもわず、もう一度真剣に探します!と答えました。
(>_<)

だけど、ありません。不安は、よぎります。(>_<。)

鍵がないと、車が動かないのです。あんなに便利な車が小さな鍵がないとまったくウンともスンとも動かないのです。

どうしよう?合い鍵を作るか、このまま一つでそれを無くさないように、使うか。

7月がちょうど点検の時期ですから、ディーラーさんに持って行くことになりました。高いけど、いい機会だからもう合い鍵を作ってもらうかと思って出かけてました。しかし、汚れている車を見て頂くのは申し訳ないと、ガソリンスタンドに立ち寄り洗車して、車内もキレイに清掃しておこうとそうじ機をかけていました。

すると、サイドブレーキとシートの間に、すきまの奥の方に……!!
(≧◇≦)

あった!!

ここに探していた鍵があった!!

車内にキーがあると、ロックがかからないとおもっていたので、まさか!とおもいましたが、あったんです。
(^_^)

思わず、ガッツポーズ!
\(^O^)/

☆☆

<翼もないのに 飛ぼうとしていた僕を 君はいつでも信じてくれていたね>
福山雅治「あの夏も 海も 空も」より

「あの〜、翼(自信)を持っていないのですが、飛び立っても大丈夫でしょうか?」

そうやって、周囲にきいて回っている人は、おそらく飛び立つことはできないでしょう。

飛び立つには、他人に背中をドンと押してもらって飛びだつこともあるでしょうが、大抵、落ちてケガして、背中を押してくれた人に文句をいいます!!

飛び立つには、腹をくくって、覚悟を決めて「エイッ!」って、飛び立つしかないとおもうのです。

そうしたら、飛び立ったとたんに翼がはえてきたり、着地点にマットが用意されていたり、空中ブランコに乗った人が手を差し延べてくれて、さらに想像以上に飛んでいけるようなミラクルが、おこりそうです。

そう、腹をくくって、覚悟を決めるためには「勇気」が必要なのです。

「勇気」は、どこにありますか?

アナタの中です。

無くしていたと思っていた僕の車の鍵が車の中にあったように、持っていないように見えてもアナタの中に鍵があるのです。

その鍵の名前は、「勇気(You Key)」。

そう、あなた自身がキーです。

小さな鍵があれば、あの大きな車が動くのです。

小さな勇気があれば、周りが動き、ひいては世界が動くのです。

どんなことも、はじめは、小さな勇気から。

☆☆
僕は信じて、応援しています!

アナタが勇気をもって、飛び立つのを!

コロナでリセットしたなら
何かをはじめてみませんか!

今週もお元気で!
ご機嫌よう!

けいくう

☆☆
大空を あくがれ強く 大地ふむ 一難ごとに 増すぞ一勇

行きつまり 進めん一歩 竿頭(かんとう)に 尽きる力に 添わるみちから
                          (田中木叉上人道詠)

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☆☆

今週の念仏会(報恩感謝念仏会)の法話をアップします。よろしければ、ご覧下さい。

講師:佳奈尼

阿弥陀さまに守られて、育まれて。私たちは、日々過ごしていることを忘れないようにしましょう。

( -人- )

2020年7月12日

<第855話 六波羅蜜と金子みすゞ>

こんばんは♪

九州をはじめ、大雨の被害に遭われておられる方々に、お見舞い申し上げます。

今朝の神戸は、久しぶりに雨があがり、ときおり青空も拝めました。

仏道を修行する上で、有名なのが六波羅蜜(ろっぱらみつ)です。
仏さまのような人になっていくための六つの徳目(修行項目)です。

布施(ふせ):与えること。
持戒(じかい):戒律を守ること。
忍辱(にんにく):堪え忍ぶこと。
精進(しょうじん):努力すること。
禅定(ぜんじょう):心を集中させること。
智慧(ちえ):仏さまの御心。

です。

今日は、その中から布施と精進について。

金子みすゞさんの詩を引用して、考えて見たいとおもいます。

布施とは、与えること。日常で、使われるのは、お坊さんがお参りに来て、お経をあげて説法したことへのお礼として渡す袋に「お布施」と書いていますね。

昔は、布を施して、お袈裟を作って下さいという意味だったとか。

さて、「与えること」とは、何を与えますか?

次の詩をご覧下さい。


<花のたましい>
     金子みすゞ

ちったお花のたましいは
みほとけさまの花ぞのに
ひとつのこらずうまれるの
 
だって お花はやさしくて
おてんとさまがよぶときに
ぱっとひらいて
ほほえんで
ちょうちょにあまいみつをやり
人にゃにおいをみなくれて
 
風がおいでとよぶときに
やはりすなおについてゆき
 
なきがらさえも
ままごとの
ごはんになってくれるから

七五調で書いてあるので
とてもリズムよく読むことができる好きな詩です。
(*^_^*)

お花は、その命が終わった時、残らず仏さまのところにいける。

それは、「与え続けているから」。
どんなお花もキレイに咲いて
蝶々に甘い蜜を与えて
人には、芳しい香りを与えて

摘まれても
子供の相手をしている。

こんなお花のように生きていく生き方が

「布施」です。

人に会えば、笑顔を向けて
明るい言葉を使い
人の役にたつように行動し

共に泣き笑う。

それが、仏道修行の第1の行です。
(*^_^*)

そして第5の修行、「禅定」について。

禅とは、インドのサンスクリット語のディナーヤ(dhyana)のことです。
心が散らないこと。花を見ていれば、花のいのちにこころを通わせ、鳥の鳴き声を聞けば、鳥のいのちの声が聴こえてくる。禅とは、一つになるということです。

<さびしいとき>
     金子みすゞ

わたしがさびしいとき
よその人は知らないの
 
わたしがさびしいとき
お友だちはわらうの
 
わたしがさびしいとき
み母さんはやさしいの
 
わたしがさびしいとき
ほとけさまはさびしいの

私がさびしいとおもっているとき、私のことを知らない人は、私のさびしさなど知るよしもない。

私がさびしいとおもっているとき、お友だちは楽しいコトしようよ!と励ましてくれるかもしれない。

私がさびしいとおもっているとき、おかあさんはそっと温かい飲み物と甘いお菓子などをもってきてくれたりする。

だけど、私がさびしいとおもっているとき、仏さまは私のさびしさをそのまま包み込んで下さって、一緒にさびしがってくださる。

これが、一つになるということです。

私と一つになってくださっている。

慈悲深い人といいますが

慈悲の「慈」は、人のよろこびを自分のよろこびのごとく感じること。
「悲」は、人の苦しみを自分の苦しみのように感じることです。

繋がり合って、一つになって、生きていくと自分の人生、何倍もすばらしくなるとおもうのです。

仏さまの世界への入り口は、大きく開いて私たちを待ってくださっています。

さぁ、手を取り合って進んでいきましょう。

最後に
<お仏壇>
   金子みすゞ

お背戸でもいだ橙(だいだい)も
町のみやげの花菓子も
仏さまのをあげなけりゃ
私たちにはとれないの

だけどやさしい仏さま
じきにみんなに下さるの
だから私はていねいに
両手かさねていただくの

家(うち)にゃお庭はないけれど
お仏壇にはいつだって
きれいな花が咲いてるの
それでうち中あかるいの

そしてやさしい仏さま
それも私にくださるの
だけどこぼれた花びらを
踏んだりしてはいけないの

朝と晩とにおばあさま
いつも灯明(あかり)あげるのよ
なかはすっかり黄金(きん)だから
御殿(ごてん)のようにかがやくの

朝と晩とに忘れずに
私もお礼をあげるのよ
そしてそのとき思うのよ
いちんち忘れていたことを

忘れていても仏さま
いつもみていてくださるの
だから私はそういうの
「ありがとありがと仏さま」

黄金(きん)の御殿のようだけど
これはちいさな御門(ごもん)なの
いつも私がいい子なら
いつか通ってゆけるのよ

☆☆
仏さまと離れない生活が、南無阿弥陀仏と念仏を称える生活です。

六波羅蜜もお念仏の中に、すべておさまっています。

難しく考えないで、お念仏して仏さまとの暮らしを心がけましょう。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

今週もお元気で!

けいくう

☆☆
光明聖歌

<光の四季>

春 谷のとわたる うぐいすの はつねよ 慈悲の呼び声よ 
         春待つ我に 咲かせかし 心の花も 二三りん

夏 あてにならぬを あてにせし 夢おどろかす いなびかり
         たよるお慈悲の みちびきに うれしホタルの 歓喜光

秋 チロリ チロリン 虫すだく 枯れ野の末も日の照れば
         慈悲の光を なつかしみ 咲けよひな菊 人しれず

冬 みぞれの海に はやて吹く 万里の波濤(はとう) 何のその
         いざ乗りきらん かの岸へ くおんのミオヤ 我を待つ


ご意見やメルマガへのご意見・ご感想お待ちしております。


☆おまけ☆

今日の写経会のお話もyou tubeにアップしています。
よろしければ、ご覧下さい。



法話資料をご希望の方は、けいくうまでお知らせ下さい。
(m_m)
2020年7月5日

<第854話 念仏の効能>

こんばんは♪

熊本県などの大雨で、被害も出ています。慎んでお悔やみ申し上げます。
( -人- )

今日は、姪のご縁のある仲間15人ぐらいが日曜日の念仏会に参加してくれましたので、いつもより賑やかな会となりました。

はじめて、お念仏をするという方も居られたので、念仏の何が生きていく上で役に立つのか?ということをお話しました。

皆さま、いかがですか?お念仏をしていますか?

お金は、大切だとおもっていますし、お金がないと生きていけないという方もいます。確かにそうです。だから、一生懸命お仕事してお金を得ようとします。

お念仏も、役に立つということがわかると、自分の生活から切り離せないものになるとおもうのです。

さぁ、お念仏はどんな役に立ちますか?

住職さん、「お念仏をすれば、死んだ時に阿弥陀さまが迎えに来て下さって、極楽に連れて行ってくれる」と、聞きました。
(^_^)

はい、それもすごくありがたいことです。
そこが徹底しますと、いろいろなことを勇気をもって取り組んでいけますよね。

それだけですか?

師匠の空外上人は、こう言っています。

「念仏の日暮しができると、自分の持って生まれた力を十二分にのばして、実らせていくことができる」と。

つまり念仏をしないと、自分が十の力を持って生まれていても、五つか三つぐらいで終わるわけです。中には一つぐらいで終わる人もあります。そうすると、どこか物足りないから、落ち込んだり、卑下したり、ウツになったりします。

十の力を持って生まれた者が、十の力で生活できること!!

これがすごく大切だとおもいます。

自分の人生を生ききること。

充実した人生!

自分の持ち分10をすべて出せていると、人をうらやましがったり、自慢したりしません。

だから生活の中に神仏に対する「祈り」が必要なのです。

自分がエライのではない。すべて「おかげさま」です。

自分一人の力では、自分の努力だけでは、越えていけない峠もある。人に手を差し延べてもらい、時には引き揚げてもらい、時には踏み台になりしながら

一緒に涙し、笑い、歌い、踊ることによって、気がついたら自分の持ち分が一つ、また一つと花開いていくようにおもうのです。

どうして、私は嫌われるんだろう?邪魔ばかりされるんだろう?すぐケンカしてしまうんだろう?
と、思われている方こそ、お念仏や瞑想をオススメします。

自分が、自分が、、、というエゴを、お念仏が少しずつ少しずつ、消していってくれます。これを心の浄化と言ったり、仏さまの導きといいます。

自分だけが、、、と思っていないと、自分はおもっていても。。。
(>_<。)

お念仏を離れると、ツイツイ、楽な方へ、得な方へ、と流されていってしまいます。

自分を見失って、、、周りまで見えなくなってしまいます、、、。


お念仏をしていると自分の持ち分が開かれていく。

これは、念仏をしていたら女性が男性になれるとか、憧れの人になれるとか、お金がザクザク入るとか、病気が治るということではありません。

「自分が、自分になる」ということです。

自分が自分になるのだから、人と比べる必要がないのです。
(^_^)

本来は、楽なはずです。だけど、思い込み、先入観、執着、所有欲、独占欲、、、が
ムクムクと湧いてきて、

「、、、」ですよ。

だから、私はお念仏しています。

上手くいっても、阿弥陀さまのおかげ。
失敗しても、阿弥陀さまのおかげ。

おかげさま、おかげさまの中で暮らしているから、ご縁のあった方、周りの方に少しでも喜んでもらいたいとおもいます。
(^_^)

お念仏したいな!と思われたら、いつでも通照院へお越し下さい。
( -人- )

今週も、お元気で! ご機嫌よう!

けいくう

☆☆
となうれば 声にお慈悲の息かよう み名より開く 信心の華

み名をよぶ 声に心が乗せられて 呼ぶたび通う 慈悲のふところ

よぶ前は さほど感ぜぬ大慈悲の 声に心の うつり恋しき

真心は おこりかねても ただとなえ となえておれば おこるまごころ
                            (田中木叉上人道詠)

ご意見やメルマガへのご意見・ご感想お待ちしております。

今日の動画です。よろしければ、ご覧下さい。

2020年6月28日

<第853話 今日の一歩>

こんばんは♪

梅雨、真っ只中ですね。

昔は、雨によって黴(かび)が生えやすくなることから「黴雨(ばいう)」と呼ばれていたこともあります。感じ(漢字)が良くないので「黴」を「梅」に変えて「梅雨」としたという説もあります。

いづれにしても、湿気が多く、怠いくん病になりやすいですし、食べ物にも、健康にも気をつけましょう。

今日は、日曜日法の集いで、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)について話ました。

法蔵菩薩が、願いをもって修行をして、阿弥陀さまになられたと『無量寿経』に説かれています。

その願いとは、48もあります。

その最初の4つを今日、お話したのですが、

1番目は、コノ世の人が地獄・餓鬼・畜生の生活をしない世界になりますように。

2番目は、アノ世に往っても、地獄道・餓鬼道・畜生道に落ちないように。

地獄の苦しみ、今でしたら借金苦とかいじめや暴力に苦しめられる生活です。

餓鬼の苦しみ、食べ物が食べれない、欲しい、欲しいの生活です。

畜生の苦しみ、腹を立てて、ケンカに明け暮れる生活です。

そういった生活を人々が、しないで仲良く楽しく暮らしていく世を作りたい、と。

3番目は、阿弥陀さまの国の住人は、みんな金色をしていている。肌の色に関係なく、輝やける世界なりますように。

4番目は、背が高い、低い、痩せている、太っているなどがなく、それぞれが楽しくすごす世界になりますように。

こうした願いからはじまります。

☆☆

先月25日、ミネソタ州ミネアポリスで起こったジョージ・フロイドさんの事件に端を発して、差別撤廃のデモが起こっています。

それに関連した話として

1968年にキング牧師が殺害された後、ジェーン・エリオット先生が子ども達に、差別を考えさせる授業をしました。「青い目と茶色い目」(The Eye of the Storm)。

子ども達は最初は無邪気にやってみると言いましたが、青い目と茶色い目のグループに分かれて初日は、青い目が優れている。だから、茶色い目のグループは、遊具を使って遊んではダメとか給食をお代わりしてはダメとか。いかに茶色い目の子がダメかを先生が指摘します。

そして二日目は、一転、茶色い目のグループが優れていて、青い目のグループが制約を受けます。

そこで、子ども達は、差別する側、される側の気持ちを学びます。

とても斬新で、思い切った授業をされたとおもいますが、そこから多くの学びを得ることができました。

よろしければ、ご覧下さい。

☆☆

なぜ、差別が起こるのでしょう。

子ども達を2つのグループに分けた瞬間、今まで仲の良かったクラスに溝ができて、社会の縮図が出来上がりました。

どこの社会にも、差別がありますね。

どうしてでしょう???

相手より優位に立ちたい、、、

どうしてでしょう???

支配されたくない、、、

(支配したい)

うーん

結局、自分がいいおもいをしたい

楽をしたい

自分の都合から来ているような気がします。

そうなんです。

何だかんだと言っても

結局は

自分がどう生きるか! に尽きるとおもうのです。

☆☆

お金がすべてではない!と言われますが、やはり今の社会を生きていく上では、お金は大事です。

しかし、むやみやたらにお金持ちになるというのではなく、何に使うかでその人の人間性が表れるとおもうのです。

自分が楽をするためだけに使うのも自由ですが、お金があれば、いろいろと人の役に立てるのです。

そう 自分がどう生きるか、どういう心で生きるのか!

地獄・餓鬼・畜生の心で生きるのではなく、人間として生きましょう!

それが、法蔵菩薩の最初の願いです。

自分の都合ではなく、仏さまの願いに沿って生きる!

自分の住む世界は、仏さまの世界に近づけて、明るく、楽しく、仲良く生きたいです。

だから

自分が周りの人にどれだけ役に立てるか! 喜んでもらえるか! を心がけています。

☆☆

どんな小さな社会でも、その中に全体の縮図があります。

だから自分がすることは、大きな夢や願いをもって目の前の小さな一歩に心を込めること。

さぁ、今日は今日の一歩をしっかりと歩みましょう。

今日も一歩、明日も一歩、一歩一歩の積み重ねが、私の人生。アナタの人生です。

勇気が出ない? 大丈夫、大丈夫! だってアナタの後ろから、そっと仏さまが後押ししてくださっていますから。

今週もお元気で、ご機嫌よう!!

けいくう

小さくも 巣立つ羽ばたき 見よ今に 天かける日の 金色の空

成り行きは みむねにまかせ いさぎよく つとむる日々の この気強さよ

                          (田中木叉上人道詠)

ご意見やメルマガへのご意見・ご感想お待ちしております。

☆おまけ☆

今日のお話もyou tubeにアップ予定です。

よろしければ、ご覧下さい。

2020年6月21日

<第852話 スパッと切って>

こんばんは♪

今日は、部分日食でしたが、神戸ではあいにくの曇り空で、ぼんやりとしか見えませんでした。皆さまのところは、いかがでしたか?

梅雨の時期で、湿度が高く、温度も上がると

だるく感じます。

「だるい」、漢字書けますか?

「怠い」です。
(>_<)

この「怠」くん、他にも「怠(おこた)る」とか「怠(なま)ける」とも読みます。

「怠」くんと仲良くしていませんか?

休むことも大事ですが、どう生きるかを決断しないと大切な一日です。

「決断」とは、心を決めて、他のことをばっさり切り捨てることです。
大きく切ると書いて、「大切」です。

唐の時代の善導大師は、『般舟讃』の中で「利剣即是弥陀号 一声称念罪皆除」と言っています。

「阿弥陀さまの名前は、切れ味の素晴らしい剣のようなもの、一声お念仏すれば、罪がすべて除かれる」という意味です。

今日は、だるいなぁ〜〜と思ったときは「利剣即是弥陀号」と称えています。
簡単に、「南無阿弥陀仏!」でいいんです。
そうすると、「怠」くんが、スパッと切れて、スッと起き上がれるような気がします。

人に与えられた自由は、選択できること。今週これをするか、あれをするか、選ぶ自由があること。

「なまけごころ」「わがまま」「おもいこみ」「執着」。

こうした心をスパッと阿弥陀さまに、断ち切っていただいて、楽しく過ごしましょう!

なかなか断ち切れません!!という方は、毎朝7時から本堂でおつとめしていますから、一週間ぐらい続けて通ってみて下さい。通照院の阿弥陀さまに祈りを捧げてから、一日がスタートすると、とても気持ちがいいですよ。

私は、幸せなことに、毎日そうして、お育て頂いていることに、気づきました。

ありがたいです。
( -人- )

雲が空を覆っていても、お日さまはいつも私たちを照らしてくれている。

心が「怠」くんの状態でも、仏さまはいつも私たちを見守ってくれている。

これを忘れないことが「大切」ですね。

今週もお元気で、ご機嫌よう!!

けいくう

☆☆
かぜそよぐ 若葉の窓をかけかねて 見ぬ月の色 なつかしむかな

がたなき 無辺の光 したい呼ぶ 子にみすがたを 示す大慈悲
                       (田中木叉上人道詠)

ご意見やメルマガへのご意見・ご感想お待ちしております。

☆おまけ☆

今日のyou tubeのお話は、「ありがとうの旅立ち」という題で、佳奈尼がお話しています。
黒板に書かれた観音さまだけでも、見て頂く価値があります。
よろしければ、ご覧下さい。

2020年6月14日

<第851話 言葉が変われば>

こんばんは♪

梅雨に入りました。

昨日も今日も
梅雨らしいお天気の神戸です。

皆さまのところは、いかがですか?

雨が多くなりますが、、、

雨が降ってもステキ!  お日さまが照ってもステキ!

天気には、良い天気も悪い天気もありません。

良い天気だとおもう私。  悪い天気だとおもう私がいるだけです。

☆☆

ある動画を見たのですが

そこには、ホームレスの方が、寄付をお願いして路上に座っていました。

ダンボールには、「I'm blind. Please help」(私は、目が見えません。どうかお恵みください)と書いてありました。

ところが、道行く人は見て見ぬ振り、コインを置いてくれる人は、ほんの数人です。

その人のところへ、ある女性がやってきて、そのダンボールの文字を見て、しばらく考えてウラにサラサラと文章を書いて、去っていきました。

すると、その後は、前よりもコインを置いてくれる人の割合がグーンと増えたのです。
盲目の男性は、それを不思議におもっていましたら、ダンボールのウラに文章を書いてくれた女性が再びやってきたので、尋ねました。

あなたは、何と書いたのですか?

するとその女性は、「同じことを違う言葉で書いただけよ!」とニッコリ笑って立ち去りました。

☆☆
アナタなら、なんて書き直しますか?

「私は、目が見えません。どうぞお恵みください」

と、同じ意味で、違う言葉で書くとしたら。。。

 少し、考えてみて下さい。

↓  ↓   ↓   ↓  ↓

↓  ↓   ↓   ↓  ↓

↓  ↓  考え中  ↓  ↓

↓  ↓   ↓   ↓  ↓

↓  ↓   ↓   ↓  ↓


その女性は、こう書きました。

「It's a beautiful day. and I can't see it.」
(今日は、素敵な日ですね! でも、 僕には見えなんだ。)


その言葉を見た人は、空を見上げて、空を意識していなかったけど、素敵な青空だなぁ!と思ったり
私は目が見える!幸せだなぁ。とおもったりしたとおもうのです。

そして、そのことに気付かせてもらったこの盲目の男性に、お礼の意味でコインを置いていく。

相手と心が交流できれば、何かしてあげたいとおもう気持ちも湧いてきます。

私は、目が見えません。 ふーん、そうなんだ。 で、終わってしまったら普通に通り過ぎてしまいます。何か交流することがあれば、自分のおもいも伝わりやすいとおもうのです。

小学生の夏休みの日記などで「今日は、家族でDィズニーランドに行った。とっても楽しかった!」と書いてあっても、楽しさは伝わりますか?
私は、よく「楽しかった」という言葉を使わずに、楽しかったこと・感動したことを伝えて下さい、と言います。どうすれば、いいとおもいますか?

例えば私ならこんな風に書きます。こんな小学生あまりいないとおもいますが、、、

「おはよう!お父さん、早く起きて起きて、今日はMッキーに会いに行く日だよ!」私は、待ちきれなくて早くからお父さんを起こして、玄関の前で飛び跳ねていました。 (中略)

「もうそろそろ帰るよ」とお父さんに言われたとき、犬が散歩から帰るのを嫌がって足を踏ん張る気持ちがよくわかりました。足が重たくて、出口に向えません。お父さんに手をグッと引っ張られて、ズルズル引きずられるように、出口に向かいました。振り返ったらMッキーが手を振ってくれています!

「わぁ〜Mッキー、Mッキー!」私も精一杯手を振り返しました。

電車に乗っても、Mッキーがいた方をず〜っと見続けていました。気がついたら寝ていたみたいで、お父さんの大きな背中におんぶしてもらって、お家に帰り着きました。
お父さんが「また、行こうな!」と言った言葉に、とびっきりの笑顔で「うん!」と答えました。


と、このように書くと、この子がDィズニーランドで楽しかった姿が目に浮かびませんか?

自分のおもいを一方的に言い放つのではなく、イメージの共有化ができると相手に伝わりやすい。相手を思いやる余裕があると、思いを掛けてもらった人のおもいも受け取ろうとするのではないでしょうか。

自分のおもいが伝わらない、伝わりにくいという方は、私とアナタという一対一の対話ではなく、第三者から見た視点を取り入れると、お互いに「そうだよね」と理解しやすいようにおもいます。

空外上人は、「自分の心を浄める」のが大切と常々おっしゃっていました。自分の心を浄めるとは、「自分勝手をしない」ということ。一方的に自分のおもいばかりを機関銃のように撃ちまくるのではなく、相手のことを受け入れるスペースをもつこと。そのために、お念仏して仏さまにおもいを寄せる。自分の心は、普段「我(エゴ):自分の事」で一杯です。お念仏をするとそこに「仏さま」が入って下さり、そのスペースに相手のおもいが入り込めて、交流できるとおもうのです。

☆☆
言葉使い大切です。 先の動画は、最後こんな言葉で締めくくられていました。

Change your word,  Change your world.
(使う言葉が変わると、あなたの世界が変わりますよ!)

言葉使い、見直して見ましょう! 温かいおもいやりのある言葉使いましょう!

今週もお元気で! ご機嫌よう!!

けいくう
 
☆☆
声に心が 乗せられて かよう十万 億の園 
           凝らす心に うつり香の 身も世もあらぬ かんばしさ

悪いが悪い ところにも 無理もない点 きっとある
           相手の身にも なってみて 大きく生きる おもいやり
                            (田中木叉上人道詠)

ご意見やメルマガへのご意見・ご感想お待ちしております。


☆おまけ☆
今朝の法話をyou tubeより見て頂けます。

メルマガの内容をもう少し詳しくお話しています。
(*^_^*)

よろしければ、ご覧下さい。

1時間ほどの動画です。wifi環境などで視聴ください。
(m_m)

 
啓空住職の話

https://youtu.be/77dW5wTEGng
2020年6月7日

<第850話 日び成長中>

こんばんは

今日は久しぶりにお参りの方があっての日曜日の法の集いでした。

やはりうれいいですね。

色紙をお渡しして、日付など好きな文字を書き入れてもらいました。

普段、書き慣れていない人は、いきなり色紙を出されて、しかも他の人が書いたものを渡されて、そこに書き足して完成させるとなると、ちょっと躊躇するかもしれません。

ましてやそれが、尊敬する弁栄聖者のお書きになられた観音さまに描き足すとなると、とてもとても勇気がいります。

ある婦人は、こわごわ筆を手にして、ポトッって墨を落としてしまいました。

私なら「泣きますね!」
( ̄0 ̄)

その婦人も青くなって、泣きそうになっていると弁栄聖者は、お念仏しながらその墨が落ちたところを観音さまの飾り(瓔珞:ようらく)にされた。

というお話と

また
別の婦人は、絵を描き足すことを辞退したら

「成仏するには、なんでもできなければなりませんよ」

と諭されたお話をしました。


通照院のK尼さん。

どんどん修行を重ねてくるにしたがって、経験を積んですごいなぁとおもいます。

人前でお話することも、もともとあまり得意ではない方だったかもしれないのですが、今や第3日曜日には、話をすると決めてからは、一ヶ月かけて一生懸命、文献を読み、ストーリーを練り、臨んでいます。皆さまの暖かい眼差しに支えられながら。

積極的にどんなことにも、取り組む姿勢に、応援して下さる方も増えてきました。

はじめは、上手く出来なくても、少しずつ、少しずつ、出来るようになってくるのです。私もそうでした。もう30年ぐらい、毎週毎週、お話をさせていただいているうちに、どんな場でも話せるようになってきました。

お話の中でも通夜の話が、すごく勉強になっていました。今でこそ、家族中心の葬儀になって、参詣の人数も少なくなりました。コロナの影響でさらにですが、、、。

私が20代の頃は、通常でも50人ぐらいは、参列者がありました。中には社葬で100人、200人を超え、本堂だけではおさまりきらず、庭や駐車場にもテント設営までして行う葬儀もありました。

通夜に参列される方は、どんな方が居られるかわかりません。仏教のことも私以上に、詳しい方も居られるかもしれない。剣道関係者の葬儀では、普段、ご指導いただいている先生方が最前列にズラッと並んで居られることもありました。
そんな場で話すのは、とても勇気がいりました。

また、年端もいかない方や事故などで急逝された方のツライ葬儀もあります。

何回も何回も「逃げれるものなら、逃げたい!」と思ったことがあります。

ですが、いつも、必ず話をしました。

うまく出来ない!そんなことを繰り返しながら、「なぜ、上手くいかなかったのか?」を考えるために、自分の話をテープにとり(今ならICレコーダーですが)、聴きたくなくても、車の移動中などによく聴きました。

立て板に水、耳障りの良い先生の法話と自分の法話と何が違うのか?

話の組み立て、しゃべるスピード、間の取り方。落語なども聞き、工夫を重ねました。

そして、同じ失敗を繰り返さないようになってきました。

いきなり上手にはできません。

自分に与えられた課題(いろいろ経験しないといけないこと)に真摯に向き合っていると、必ず、なりたい自分の方へ、ゆっくりゆっくり少しずつ少しずつではありますが、進んでいけます。

それが、智慧です。

その智慧をもって、なりたい自分になっていくのです。

これを「般若波羅蜜多(はんにゃはらみった)」と言います。仏さまの智慧をもって、サトリに至るという意味です。

失敗するからと、体験することをやめておく、やめさせるのも親心かもしれませんが、創意工夫を重ねていくことが肝心です。

失敗もし続けていると、うまくいくようになります。

「今は、楽しく発展途上中!」

で、いいではないですか。

人生、日々成長です。

私も、成長中です。

アナタも成長中です。

失敗を恐れない勇気をもって、人生楽しんでまいりましょう!

そろそろ神戸も、梅雨入りですね。蒸し暑くなってきました。お身体にお気を付け下さい。

今週もご機嫌よう。

けいくう

☆☆

小さくも 巣立つ 羽ばたき 見よ今に 天かける日の 金色の空

ゆく水に 六字六字を 書き見入り ただコツコツと 日々に楽しむ
                            (田中木叉上人道詠)

ご意見やメルマガへのご意見・ご感想お待ちしております。

☆おまけ☆
今朝の法話をyou tubeより見て頂けます。

メルマガの内容とほぼ同じですが、法の集いが再開したうれしさを感じて頂くことできるとおもいます。
(^_^)

よろしければ、ご覧下さい。

1時間を超える動画です。wifi環境などで視聴ください。
(m_m)

 
啓空住職の話
https://www.youtube.com/watch?v=2R3NFR-6S1s

2020年5月31日

<第849話 心の調律師>

こんにちは♪

今日で、5月も終わります。

コロナの影響も終息しつつありますので、明日から新生活がはじまる方も多いとおもいます。
しっかりと自分の道を進んで参りましょう。

お寺の行事も
6月からは通常通り、参詣していただくように予定しております。

☆☆
今、新緑が美しいですね。

お寺の裏庭も、良い感じです。
後にyou tubeのアドレスを添付しますが背景を新緑にしています。

窓を開けると、薫りの良い風がすーっと入ってきて、とても気持ちがいいです。

「千の風に なって あの大きな空に 吹き渡っています」と歌われているようにさわやかな風が大空をかけています。

(*^_^*)

『無量寿経』に 「自然徳風」 という言葉があります。

法蔵菩薩の願いのこもった極楽世界に吹く風です。

自然の徳風は、徐(しず)かに起りて微動す。 其の風は調和にして 寒からず暑からず 
(略)
もろもろの宝樹を吹くに無量の微妙の法音を演発(えんぽつ)し、万種の温雅(おんげ)の徳香を流布(るふ)す。 
(略)
風、その身に触れなば、みな快楽(けらく)を得。たとえば、比丘の滅尽三昧を得るがごとし
」(『無量寿経』巻上)

まさにこの新緑の季節の風のことのようにおもいます。

宝樹の間を抜けてきた風は、なんとも表現できない素敵な音を発します。そしてそれが一万種類を超える温かい上品な薫りとなって、広がっていくと書いてあるのです。

その風に包まれると、小さいことを、マイナスなこと、クヨクヨしていることを考える自分は、無くなっていく。

そして

ただ、ここに居るだけで、幸せを感じられる!喩えるなら、修行僧が煩悩を滅して涼やかな心持ちでいるように、と。

☆☆
昨日、zoom会議で、広島の檀上先生が、カリフォルニアの人たちに素晴らしいお話をなさったのですが、その中で、僧侶は「心の調律師」と言われました。

とても素敵な言霊だなぁと感動しました。

ギターやピアノなど、楽器もきちんと調律していなければ、音は出るけど、美しいハーモニーは奏でられない。演奏前には、調律をきちんとしなければ、いけない。

同じように、私たちも楽器に喩えると、音はでます。
だけど心が整っていないと、元気そうにしていてもカラ元気であったりします。
また、もしかしたら音が出るということすら、忘れてしまうこともあります。

そんな心を整える、「心の調律師が僧侶だ」というのです。

是非、そうなりたいです。
そうなっていると、出会う人の心の調子が整って、笑顔になってもらえますから。

その為には、まず自分の心を仏さまに整えてもらわないと。

ということは、「究極の 心の調律師は 仏さま! 」ですね。
(^_^)

心の整え方は、いろいろありますでしょうけど

やはり 「お念仏」 が効きます。

通照院では、ナム・アミ・ダブ と3拍子で称えています。

そのリズムが、木魚の音が、仏さまの鼓動だと感じることがあります。

そうして仏さまのいのちを感じて、自分の生命と同調させてもらって心が整うのです。

お念仏、大事です。

これは僧侶に限ったことではありません。

どなたでも、仏さまをおもい、その鼓動を感じると、心が整います。

一日の中で、30分でもお仏壇のある方はその前で、無い方は工夫して、心を整える念仏の時間を持たれることをオススメします!

そうしたら、一人ひとりが奏でる音が、すばらしく、薫りもともなって、極楽の様相が広がってきますよね。

温かい社会になります。
雅(みやび)な社会になります。

まずは、私から。

南無阿弥陀仏

今週もお元気で!

ご機嫌よう!

けいくう

☆☆
1. 蝶々が楽しく舞うように からだもヒラヒラ気も軽く
  六字の音頭もほがらかに さっさあげましょう能率を

2. イキイキ仕事が正確に  イソイソ仕事が迅速に
  ハレバレいつでもおちついて ニコニコいつでも気持ちよく

3. 笑顔に舞いこむ福の神  努力に入りくる宝船
  サッサ サッサと仕上げゆく 仕事に開ける人の運

4. みさかえあらわすこの仕事 尊い時間じゃ精だそう
  仰せのつとめのこの仕事 サッサ あげましょう能率を
                 聖歌「能率あげましょう」

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☆おまけ☆
今朝の短い法話をyou tubeより見て頂けます。

メルマガの内容とほぼ同じですが、声を聴いて頂けると
また違う気づきがあるかもしれません。
(^_^)
よろしければ、ご覧下さい。
15分ほどですが、wifi環境での視聴をオススメします。
(m_m)

 
啓空住職の話
https://www.youtube.com/watch?v=WfAftCK45Ww

2020年5月24日

<第848話 坂村真民先生の詩より>

こんにちは

陽射しが強くなってきましたね。

お寺の庭を掃除していて少し油断すると日焼けして赤っています。

着実に夏に近づいていますが、

コロナで心の気分は、冬のようだと感じている方も居られるでしょう。

今日は、詩人、坂村真民先生を紹介させていただきます。

真民先生とは、今から25年くらい前でしょうか?

ご縁があり、3,4回お会いさせて頂き、愛媛県の「たんぽぽ堂」にもお伺いし、詩集「詩国」を毎月、送ってもらっていました。そして通照院の寺報もご覧いただいていました。

また、空外上人を本物のなかの本物と尊敬されていて、空外記念館でお会いするご縁にも、立ち会わさせていただきました。


「念ずれば花ひらく」

石に刻まれたこの言葉をどこかで、目にされた方もおられるのでは。

☆
真民先生は、1906年1月生まれで、2006年12月に100才でお亡くなりになりました。

冬生まれの真民先生の詩に

「冬生まれの真民よ」があります。

冬生まれのしんみんよ
冬のものを食え
冬のものを愛せよ
冬のものと親しめ
冬はお前にいろいろのことを
教えてくれるだろう
沈黙
脱落
勇猛
不屈
孤独
克己(こっき)
そうした冬の性格を
身につけてくれるだろう
冬生まれのしんみんよ
冬を見つめろ
冬のいのちに触れろ

冬には、冬でしか学べないことがあります。

コロナの時期には、コロナの時期にしか学べないことがあります。

その時、その時に
できることをしっかりと行っていると
天が応援してくれます。

「日の昇るにも
手を合わさず
月の沈むにも
心ひかれず
あくせくとして
一世を終えし人の
いかに多きことぞ

道のべに花咲けど見ず
梢に鳥鳴けど聞かず
せかせかとして
過ぎ行く人の
いかに多きことぞ

二度とないこの人生を
いかに生き
いかに死するか
耳かたむけることもなく
うかうかとして
老いたる人の
いかに多きことぞ

川の流れにも
風の音にも
告げ給う声のあることを
知ろうともせず
金に名誉に地位に
狂奔し終わる人の
いかに多きことぞ

生死事大無常迅速
時 人を待たず
噫(あぁ)



☆☆
知らず知らずのうちに

あくせく

せかせか

うかうか

していませんでしたか?

緊急事態宣言のおかげで
そうしたことに
気づけたら
新たなスタートが
きれそうですね。


今まで
世界が止まったことがなかったのに、コロナの影響で世界が止まるということを経験しました。

それを生かしていきましょう。

今週も お元気で!

ご機嫌よう!!

けいくう

☆☆
何の為 生まれけんとや なげきなん 餌(え)のみあさりし 一生の暮れ

上もなき のぞみをとぐる為の今日 息するなかれ 念ぜぬ時は
                   (田中木叉上人道詠)

ご意見やメルマガへのご意見・ご感想お待ちしております。

☆おまけ☆
今日の日曜日の法話をyou tubeより見て頂けます。

今日は、メルマガの内容とほぼ同じですが、声を聴いて頂けると
グッスリ眠れるとおもいます。
(*^_^*)
よろしければ、ご覧下さい。
少し時間が長いので、wifi環境などでの視聴をオススメします。
(m_m)


啓空住職の話
https://www.youtube.com/watch?v=jbagNbdbtNk
2020年5月17日

<第847話 剣は心なり>

こんばんは♪

コロナの影響もだいぶ落ち着いてまいりました。

明日からは、自粛もとかれて、ステイホームから仕事場に向かわれる方も多いのではないでしょうか?

先日、ご縁のあるP会社から新入社員研修の一環として、剣道を教えてくれませんか?という依頼を受けました。

剣道を本格的に稽古するというのではなく、武士道の精神などの講義と簡単な基本動作を教えてほしいということでした。

今月末は、オランダに行く予定にしていたのが、コロナでキャンセルになり、時間がありましたので、引き受けました。

いい機会をいただいたので、ここでも少し紹介させていただきます。

昭和50年3月に全日本剣道連盟が制定した「剣道の理念」というのがあります。

剣道は剣の理法の修錬による 人間形成の道である

剣道は、剣(現在は竹刀)でもって相手に打ち込むみます。昔ならいのちをかけて斬り合うのに、それがどうして人間形成の道となるのか。

確かに昔は、相手を殺すことを目的に、鍛錬を重ねたのですが、戦後になって「剣道」は、殺人刀を自分を鍛え、他人を生かす「活人剣(かつじんけん)」として新たな歩みをはじめたのです。

竹の刀を持ち、氣を練り、剣のワザ、身体の使い方を修練し、美しい一本を打ち込む。打たれると我が未熟さを知り、更に修行に励むのです。

打って感謝、打たれて感謝です。

竹刀とはいえ、お互いに刀をもって、向き合うのですから、恐怖もあります。勝ちたい、打ち込みたいという欲もあります。

そういった自己を見つめて、謙虚になり、人間が形成されていくのです。

剣道でなくても、人間形成はできますが、「剣道」は、何が違うのか。

稽古をしていると相手を打つ、突く、体当たりする、突き飛ばす、道場を転がされる。

ただ乱暴な行動をするのではなく、そこに知性・教養・徳性・礼節をもって稽古をするということが武士道の精神なのです。

辛くても、痛くても、逃げない!

卑怯な勝ちをよしとしない!

逃げるのは「恥」として修行に取り組むのです。

暑い夏の稽古、寒い冬の稽古、打たれたら痛いし、手や足の裏にはマメができますし、防具は匂いがキツイし、ハッキリいってツライことばかりです。

しかし、稽古を経て、人の辛さ・苦しさがわかる人間になれるのです。

稽古に終わりはありません。

美しい一本を打ち込むために。

昭和の剣豪 持田盛二先生が仰っていたのですが、簡単に書きますと

剣道に「氣品」があるとか無いとかは誰にでも自然に感じられるもの。

だけど、その氣品とは何かというと、簡単には言えない。

「氣」を花にたとえると、氣品とは薫りのようなものではないか。

または

「心」を光になぞらえると、氣品は、その輝きのようなものではないか。

花が鮮やかに咲いていなければ、薫りを放つことはなく、光が曇って入れば、輝きは広がらないのと同様に

氣品は正しい心、澄んだ氣から、自然に発する得も言われない氣高さである。

奥ゆかしい氣品をまとっている人は、人格そのものに高き香りがあり、明るく光っていて、会う人が自然に尊敬の念をいだくようになる。

                           (『武道宝鑑』講談社)

幕末の剣豪、島田虎之助は

其れ剣は心なり 心正しからざれば 剣又正しからず

すべからく剣を学ばんと欲する者は まず心より学べ

と、言っています。

仏教を学び、心学び、剣の修行をして、私は美しく生きたいとおもう。

そう思わない方の方が少ないでしょう。

美しく生きるために、私には私の出会った道があります。

皆さまには、美しく生きるための道が、お仕事であったり、芸術であったり、学問であったり、家庭を築くということであったりと、それぞれ種類が違いますが、人生という道を歩んで居られるはず。

今一度、美しく生きるということを意識して、自分の道を歩んでみてください。

美しい礼の仕方

美しい発声の仕方

美しい座り方・立ち方

美しい構え方

などを通して

美しい生き方を、新入社員さん達といっしょに、学んできたいとおもいます。

今週も お元氣で!

けいくう

☆☆

のぼる峠は けわしくも 憂き世の風は 寒くとも

お慈悲の中は 春びより 心もウララ 日もウララ

紺青の海 金色に におう光の あさぼらけ

ひれふしおがむ 大空に 今や日の出の 大日輪

                   (田中木叉上人道詠)

ご意見やメルマガへのご意見・ご感想お待ちしております。

☆おまけ☆

今日の日曜日の法話をyou tubeより見て頂けます。

今日は、「素直に念仏する」と言う題で佳奈尼が話しています。

いい絵が描ける方法、光と影の話など、興味深いです。

よろしければ、ご覧下さい。

少し時間が長いので、wifi環境などでの視聴をオススメします。

(m_m)

佳奈尼の話

付け足しの啓空住職の話

2020年5月10日

<第846話 三昧の境地>

こんにちは♪

ステイホームウィークも終わり、少しはコロナの終息も見えてきたでしょうか。

いやいや、まだまだ、油断はできませんね。

☆
今日の写経会も、参詣者なしで行いました。

その後、お話したのですが

写経会は、『いのちの讃歌』がテキストです。

今日の講読箇所は143ページ終わりから2行目です。

「自分の心を浄められると、花を見ても、鳥の鳴き声を聞いても何倍も深い味わいがある。花をみて、花のいのちを楽しもうとおもったら自分の心が浄らかでなかったらいけない。(中略)花を見て泣く方さえいる。心の浄らかな人は花のいのちに触れて、何十倍もその美しさを感じることができるからです。」

この箇所について

日本画家 上村松篁先生の自伝を引いて、お話しました。

上村先生は、一ヶ月ほど毎日毎日、画室の近くの里芋畑で葉の写生をしていました。

ある日の夕方、写生していると、かなり離れたところからサラサラ流れる水の音が聞こえてきて、それがだんだん大きくなり、近づいてきたように感じた。しかし、里芋の畑には水が流れてきていない。その次に、分厚い感じの風が吹いてきた。そして意識が無くなり、音と風が身体を包んだというのです。

20分ぐらい忘我の境地を体験したあと、芋の葉に合掌して、感謝が湧いて、涙が溢れたと述懐されています。

上村先生は、自然の本体に触れ、自然の声を聴いたとおっしゃっています。

「実在を知った喜び」とも「霊気に触れた感動」とも言われています。

            (『私の履歴書』ー日本画の巨匠 上村松篁の項 参照)

☆☆
この忘我の境地を「三昧(さんまい)」といいます。

一つのことに、集中して、そのものになりきる状態です。

ゾーンに入るとも言われます。

別時念仏会で、何日も朝から晩まで、仏さまに向かい手を合わせていると、三昧の状態になることがあります。そこでは、時間も空間も消え、すべてが美しく、ハッキリしている世界です。

どこかに、出かけなくても、呼吸を深くして、一つのことに集中していると、心は広々とした世界に羽ばたくことができます。

弁栄聖者は、難思光の讃で、

「甚深難思の光明を 至心不断に念ずれば 信心喚起の時いたり 心の曄瞳(あけ)とはなりぬべし」と仰っています。

実在に触れることを「心の夜明け」とか「心の曄瞳(あけ)」といいます。

心を浄めるとは、この自然の本体に触れていくことだとも言えます。

そうして、いのちに触れると人生がとても豊かになります。

日々、手を合わせて、心を浄めていくこと、とても大切です。

自粛期間が終われば、是非、お寺にお越し下さり、一緒にお念仏いたしましょう。

三昧の境地、せっかく生まれてきたのですから、いのちがあるのですから、体験しましょう!
( -人- )

すべてが光かがやき、心の奥底から、感動の涙が溢れてきます。


☆
今日、紹介しました上村松篁先生は、三昧体験のあと「朝」という作品を描かれています。
ご本人もこの作品から自分の画格が上がったとおっしゃっています。機会があれば、ご覧下さい。


☆
どこに行かなくても、今いるところが幸せだと感じられる。

何かをしなくても、自分のことを大切にできる。(卑下しない、他人を羨まない)

幸せな人は、生きている奇跡を、しっかり味わっている。

このコロナの自粛期間には、それを実践できる貴重な機会ですね。

南無阿弥陀仏

今週も
ニコニコと過ごしましょう!

けいくう

☆☆☆
一心帰命 うちこみし ナムアミダブツの端的に
      邪気も邪念も はらわれて 獅子奮迅の 勇気わく

見る人もなき 岩かげに つつましくさく ひな菊の
      花一輪に あめつちの さかえあらわす 日本ばれ
                        (田中木叉上人道詠)

ご意見やメルマガへのご意見・ご感想お待ちしております。

☆おまけ☆

今日の法話です。

「三昧の境地」 講師:啓空住職

よろしければお聴きください。
(*^_^*)
   ↓ ↓ ↓

前半:https://www.youtube.com/watch?v=YOU1pIREwpw

後半:https://www.youtube.com/watch?v=XUJw9MCMIoU
2020年5月3日

<第845話 最期のおやつ>

こんにちは

ステホームウイーク いかがお過ごしでしょうか。

不要不急。

もう毎日のようにきいていますね。

今日、おやつは食べましたか? 身体にとって、おやつは、もしかしたら不要不急かもしれません。
しかし、スイーツがあることで、人生が豊かになるとおもいます。
栄養面からいうと、もしかしたら不要かもしれませんが

心のにも栄養がいります。日々の仕事のご褒美ともなります。

時には、人生そのものを支えることもあるのではないでしょうか?

祈り・芸術も心になくてはならない栄養ですね。
( -人- ) (*^_^*)

☆☆

先日、『ライオンのおやつ』(小川 糸 著 ポプラ社)という本を
友人から勧められて読みました。

帯には「人生の最後に食べたい”おやつ”は、なんですか」と書いてあります。

海野 雫(うみの しずく)さんという33才の女性が、ホスピスに行く話です。



そのホスピス「ライオンの家」では、毎朝、お粥の朝食です。お粥、身体にとってもいいですよ。
ちなみに、通照院の日曜日の朝は名物「茶がゆ」です。
(*^_^*)

そして、ライオンの家では、毎週日曜日の午後3時に、特別なおかしが用意されます。
それは、入居されている方が人生の最後に食べたいお菓子をリクエストします。
いつ食べたのか?誰と食べたのか?どんな場所で、どんな場面で?どんな形か?
と言ったことを便箋に書き、スタッフに渡します。その中からくじ引きで、一つ選ばれて、用意されるのです。

芋ようかん、ロールケーキ、豆花、カヌレ、牡丹餅、ミルクレープ、レーズンサンド、、、などなど

どのお菓子にも物語がありました。

一つだけ簡単に紹介します。

 ある日、私が小学校から帰ると、お袋がおやつを作ってくれていました。おいしい、と言うと、台湾にいたころ(終戦で家族が帰国)、お手伝いさんに作り方を教えてもらったのだと話してくれました。名前は思い出せませんが、白い、と豆腐のような食感で、台湾ではよく食べられている菓子だと記憶しております。
 その時お袋が、お父さんが育てた畑で落花生がとれたから、それで作ったとかなんとか言っていたような気がします。

スタッフがこれを読んで調べて、このお菓子は、たぶん豆花(トウファ)という豆乳を使ったデザードだ。夏は冷やして、冬は温かくして食べるそうなので、今日は温かくしてピーナッツスープをかけてご用意しました。

と、用意してくれます。
(*^_^*)

それをリクエストした人は、そのお菓子をみて、お母さんのこと、お父さんのこと、子供のころのこと、自分の人生をいろいろ想い出したとおもいます。

お菓子が、その方の人生を語っている! ジーンとします。 (>_<。)

☆☆
雫さんの
ホスピスでの生活 レモン島の風景 出会う人々
それらが、丁寧なタッチで書かれていました。

ライオンは、百獣の王です。サバンナで、ゆったり過ごしているようにみえます。
そのように、ライオンの家では、ゆったり安心して好きなことをして、美味しいものを食べて、過ごして下さいという意味からのネーミングだそうです。
そのライオンの家を主催しているマドンナが、雫さんにいいます。

怖れることは何もありません。とにかく笑顔でいることが一番。
辛いときこそ、空を見上げて、おもいっきり笑うのです。そうすれば、あなたよりもっと辛いおもいをしている人の希望になれる。

生きることは、誰かの光になること!

☆☆
死を意識した人が持つ眼を「末期の眼」といいます。

その眼には、すべてのものが輝いて見えるといいます。
そして、感謝が溢れると!

最期のおやつもそうですが、「最期の願い」を自分に問いかけてみて下さい。

その時、希望される内容は、とっても特別なことではなく、日常の家族との食事であったり、団らんであることが多いです。

「最期にしたいこと」は、ご縁のあった方への感謝であったり、謝罪であったりも多いです。

今、時間があるなら、最期にしたいことを先延ばしにせず、このステイホームウィーク中にしてみたら、いかがですか?

せっかく生きているのだから、美味しいものを笑顔で食べましょう!

感謝して過ごしましょう!

大切な人と仲良くしましょう!

謝ることがあるなら、謝っときましょう!

すべてが光るという体験をしてみましょう!

☆☆
『ライオンのおやつ』

神さまからのプレゼント、淡い恋心、きれいな景色など詳しくは、書きませんでしたが、読む方によって、いろいろな感想を持たれるとおもいます。
涙をいっぱい流す人がおられるかもしれません。ですが読後、何かスッキリした気持ちになる素敵な本です。
時間がおありの方、一読をお勧めです。


今週も、お元気で!

ご機嫌よう。。。

けいくう

☆☆
風そよぐ 若葉の窓を あけかねて 見ぬ月の色 なつかしむかな

すきとおり 尽十方はただ光 これぞ我かも これ心かも
                       (田中木叉上人道詠)

ご意見やメルマガへのご意見・ご感想お待ちしております。

☆おまけ☆

今日の法話です。

「発熱(ほつねつ)の文」 講師:啓空住職

よろしければお聴きください。
(*^_^*)
   ↓ ↓ ↓

前半:https://www.youtube.com/watch?v=TOS2JCe2g2w

後半:https://www.youtube.com/watch?v=XYD_WMUiUBE
2020年4月26日

<第844話 マイナスの世界>

こんばんは♪

昨日からゴールデンウィーク ではなく

ステイホームウィークがはじまりましたね。 楽しくお過ごしですか?

☆☆

中学生になると 算数が数学になります。

何が変わりますか?

えっ、同じではないの? という声も聞こえてきそうですが

違います。

算数は、計算のやり方を学びます。

3人乗っているバスに5人乗りました。バスは、何人になりましたか?

3+5=8  8人 というように。

それで、計算がきちんと出来るようになったら、数学の登場です。

中1のはじめに出てくるのが、マイナスくんです。

3 + (-5)= -2 もしくは 3 - 5 = -2 

という式です。

リンゴが3個あります。それを5人の人が1個ずつ食べました。残りは、何個ですか?

みたいな感じでしょうか。実際には、3個のリンゴを半分ずつにして、ジャンケンに勝った人がそれを2個食べようとするでしょうけど。。。

マイナスの世界への入り口です。

☆☆

この世の中は陰陽でなりたっています。仏教的にいうと空即是色の世界です。

陰(マイナス)・空の方が先です。

マイナスの世界は、目に見えません。

だけどプラスの世界を大きく包んで、存在しているようにおもいます。

そして

マイナスの世界こそ、振り子の世界。

マイナスには

今までのことをバーンとひっくり返す力があるのです。

   ↑

これが、今日一番伝えたいことです。

マイナスを掛けると、プラスのものはマイナスに変わります。

しかし

マイナスのものに、マイナスを掛けるとプラスに転じます。

なぜマイナス×マイナスは、プラスになりますか?

なんてことを考えて頂けたら、マイナスの世界の重要性もワカッテいただけるとおもいます。

(証明は簡単にできますので、一例を☆おまけ☆に書きます)

現実世界で、マイナスのものにマイナスをかけるためには

マイナスの世界、目に見えない世界をつかまないとプラスに転じられません。

コロナの影響(マイナス)に、目に見えない世界のことがわかると

大きなプラスに転じられるのです。

目に見えない世界への入り口は、「祈り」です。

空即是色の世界は、「空(目に見えないもの)は、すなわち色(姿形のあるもの)」

と漢字で表現されていますが、インド語では、「空でなければ色でない」と書いてあります。

☆☆

算数は、単なる計算のやり方を習います。

そこから

数学になると、想像力を働かせ、目に見えない世界も目に見える数式で表せるようになります。具体的な目に見える世界を扱うので、そこでつまずく生徒もいますが、なぜマイナスを学ぶ必要があるのかを先生が、はじめにしっかり教えてあげてほしいです。

マイナスの世界、目に見えない世界を見える練習をすることから

想像力をはたらかせて、見えない世界が見えるようになってきます。

相手の心をおもいやれる、おもいやり力が育ってきます。

自分を支えてくれている「おかげさま」を感じられるようになっていきます。

コロナの影響(マイナス)に、目に見えない世界のことを掛け合わせて、必ず大きなプラスに転じていきましょう。

ステイホームウィークを

工夫して

楽しく、明るく、健やかに

すごしましょう!

今週もお元気で!

けいくう

☆☆

光さし 見なおす意味に 湧く歓喜 打ちかつ不幸ぞ 幸福のもと

なりゆきの 奥に導く 慈悲のみ手 よかれあしかれ やげてよくなる

                       (田中木叉上人道詠)

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☆おまけ1☆

今日の法話です。

「勇気をもって」 講師:啓空住職

よろしければお聴きください。

(*^_^*)

   ↓ ↓ ↓

☆おまけ2☆

マイナス×マイナスは、なぜプラスになるか?

たとえば、こんな感じで証明できます。

-1×3=-3

-1×2=-2

-1×1=-1

-1×0=0

-1×(-1)=1

-1×(-2)=2

かける数字が一ずつ小さくなると、解は1ずつ大きくなっていきます。

だから-1×(-1)=1 となります。

他にも、分配の法則a(b+c)=ab+bc を用いて証明することもできますよ。

2020年4月19日

<第843話 要か不要か>

こんにちは♪

昨日は、お昼前に急に空が暗くなり雹(ひょう)が降ってきました。

何か、天気もおかしいですね。

(>_<)

「不要不急の外出」はお控えください!

毎日、いたるところで耳にする言葉ですね。

(>_<)

外出するとき

不要か どうか?

不急か どうか?

確認するクセをもつようになりました。

☆☆

おまいりは、不要かどうか?

祈りを捧げることはどんな時も「要」だとおもいます。

しかし、訪問先にご迷惑をおかけしてはいけないとも承知していますので判断が難しいです。

先週金曜日の夜中に、広島にいました義祖母がお浄土へ旅立ちました。98才の大往生でした。

お別れにいくかどうか、兵庫から広島に行くのは避けた方がいいのではないか?

考えましたが、弔問に伺いました。

お棺の中に、お休みになっておられるお顔が美しくおもわず合掌し、

生前のいろいろな想い出を胸に読経・念仏させていただきました。( -人- )

☆☆

「要」 か 「不要」 か

essential か trivial か

コロナの期間中にしっかりと見極める習慣を身につけていきましょう。

そうするとこれは自分の人生に

「要」 か 「不要」 か。

そして

今日しないと行けないことなのか? 明日でもいいのか?

外出するときだけでなく何をすることにおいてもスッと判断できるようになってくるとおもいます。

(*^_^*)

☆☆

迷ったときは 合掌して 仏さまに手を合わせ

周りの人に笑顔が広がるのか? 迷惑になるのか? を 基準にすればいいとおもいます。

自分の人生にとってessentialなことは他の人から見たらtrivialかもしれません。

だけど時には回り道も失敗も自分の人生には必要なことなのです。

恐れや不安から行動するのではなく 愛と希望をもって生きていきましょう!

まだしばらく「不要不急の外出」は続きそうです。

皆が心を一つにして一日も早い終息を!

コロナウイスルによる物故者に祈りを!

感染された方には、ご回復を!

医療従事者には、心からの感謝を!

けいくう

☆☆

大みちからを ちからとし いさむ心の 奮い立ち

南無阿弥陀仏のかけ声で 出来ないからぞ やってみる

マスト一パイ 帆 一パイ 小さいながら 精一杯

つくせし上は おまかせの 成るも成らぬも 大御業(おおみわざ) 

                       (田中木叉上人道詠)

☆おまけ☆

今日の法話です。

「心の持ち方」 講師:佳奈尼

よろしければお聴きください。

(*^_^*)

後半の板書の絵 さすがです。。。

前半

後半

2020年4月12日

<第842話 自らを信じる>

こんにちは♪

スーパームーン

キレイでしたね。

夜桜とともに

見とれました。

☆☆

日本も

非常事態宣言が発令されて

自宅待機の方が

多いとおもいます。

今日は

日曜写経会で

善導大師の

『往生禮讚』の中の

「初夜礼讃」にある

「自信偈」について

お話しました。

「自信教人信

(じしんきょうにんしん)

難中転更難

(なんちゅうてんきょうなん)

大悲伝普化

(だいひでんぶぅけ)

真成報佛恩」

(しんじょうほうぶっとん)

自らが信じていることを

人に信じてもらえるように

教えることは

難しいことの中でも

とりわけ難しいことです。

仏さまの大悲の心を

広く伝えること

本当の意味で

仏さまの恩に報いることになるのです。

という偈文です。

ここで

一番大切なのは

自分を信じるということです。

自分を信じるとは

自分は

どうしようもない愚かなものだなぁ。

ということを

自覚するということ。

こういうと

ちょっと

抵抗がある方があるかもしれませんが

今のままの自分で

最高だと信じることです。

ややもすれば

今の自分ではダメで

もっと

○○ができなければ、、、

今の自分を認められない方もあると

おもいます。

今のままの

自分でいいんだ!

信じることです。

私は、すばらしい!

アナタも、すばらしい!

です。

そして

二つ目には

そんな私でも

お念仏で

仏さまに救いとっても

もらえるということを

信じるのです。

(*^_^*)

念仏を称える人は

仏さまから

信頼されているのです!!

言ってもいい。

武士が

心がけていたことは

「君に忠、親に孝、自らを節すること厳しく、

下位の者に仁慈を以てし、敵には憐みをかけ、

私欲を忌み、公正を尊び、

富貴よりも名誉を以て貴しとなす」

と、言われています。

主君(神仏でも可)に、忠を尽くす。天の声を聴く。

親に孝行する。親に感謝しているか? 親に心配をかけていないか。

自らを厳しく節制すること!

ガマンできていますか?

(これが難しいですよね。ツイツイと甘やかせてしまいます)

子供、後輩に、おもいやりの心を持って接する。

敵にも、あわれみをかける。

自分勝手を慎む。

正々堂々と胸を張って生きる。

富よりも

名に恥じない生き方をする。

これが

武士の心得です。

「君に忠」が

出来ていれば

天から

「任せたよ!」という声が

きこえたら

人が見ていようと

見ていまいと

きちんと

しなければいけない!と

背筋が伸びるとおもいます。

日本は

非常事態宣言で

いわゆる

ロックダウンをしません。

ですが

ロックダウンは

外から強制をかけて

規制すること。

しかし

日本人は

武士道の精神を

持ち合わせていますから

内から

人に迷惑をかけてはいけない!

自分が感染することも

避けたいが

それ以上に

自分の周りの人に

迷惑をかけては

いけない!

強くおもって

強制されなくても

守ります。

海外から来日された方が

日本人の礼儀正しさ

街の綺麗さに

驚かれますから。

そう

今こそ

「和」の心を

世界に示しなさい、と

天から言われているように

おもうのです。

☆☆

ありのままの自分をみつめ

そして

認め。

仏さまを

信じ

仏さまから

まかせたよ!

言ってもらっていることを

忘れず

日々の生活を

気をつけて

このコロナの状況を

一日も早く

終わらせるように

進んでまいりましょう。

今朝のお話でも

簡単にそのことを

申しましたが

から

見て頂けます。

また

先週の一言法話も

から

ご覧頂けます。

よろしければ

どうぞ。

今週も

自宅で

楽しく過ごしましょう!

けいくう

☆☆

定めなき世に

捨てられて

よるべなぎさに

おもいきや

落ちしは慈悲の

船の中

捨てぬ誓いの

ひざの上

散りし花びら

追わんより

出る月またん

向き変えて

今の苦楽は

はしご段

はしごのぼれば

月見宴

(田中木叉上人道詠)

2020年4月7日

<第841話 姿勢を正して>

こんにちは♪

お彼岸もすぎますと

日が長くなってきて

18時だと

まだ明るいですね。

(*^_^*)

今まさに

桜の花も

満開で

あちらこちらで

咲き誇り

私たちに元気をくれています。

樹が立っている姿は

美しいですね。

(*^_^*)

剣道では

「姿勢を正して」

「黙想」

「やめ」

「 礼 」

「お願いします」

<(_ _)>

稽古がはじまります。

ただ

黙想するのではなく

ちゃんと

姿勢を正してから

するのです。

子供たちには

「はい!

胸を張って

アゴを引いて

丹田に力を入れて」

猫背になっている子を

注意します。

子供のころから

剣道をしているおかげも

あって

檀家さんから

「住職さんは、姿勢がいいですね」

褒めていただくことがあります。

剣道のおかげも

ありますが

私の後ろで

手を合わせてくださる

みなさまの

おかげでもあります。

後ろから

皆さまがみてくださっているから

背筋をしっかりと伸ばしてとおもうのです。

現代の人は

スマホを触る時間が長いので

ついつい

猫背になりがちです。

お年を召した方も

だんだんと

猫背になってきてしまいます。

注意して

背筋を伸ばすようにしましょう。

息が深く吸えて

若々しく見えますよ!

(*^_^*)

☆☆

見て下さっている人がいるから

ちゃんと出来るということが

ありませんか?

見られている

というと

少し良い気がしませんが、、、

あたたかい眼差しで

見守って下さっている。

仏さまを念じる人は

仏さまから

見守ってもらっています。

大切な方を想うときは

その方が

見守って下さってます。

だから

手を合わすことで

仏さまが

みてくださっているから、と

私の心の姿勢(気持ちの持ち方)も

シャンとするのです。

心の姿勢が整っている人は

何の為に生きているのか?

何を成長させるのか?

ご先祖方が伝えて下さろうとした想いを

しっかりと受け取っているだろうか?

未来を背負う子ども達に

バトンを渡せるように生きているだろうか?

などを

ワカッテ、地に足をつけて

人生を歩んでいる人だとおもうのです。

☆☆

世間が

コロナ、コロナで

浮き足だっています。

それは

それとして

周りの状況がどうであれ

むしろ

こういう時ほど

きちんと

手を合わせて

仏さまに見守っていただいていることを

感じて

背筋も

心の姿勢も

正して

生活してまいりましょう!

今週も

お元気で!

ご機嫌よう!

けいくう

☆☆

し得ねども

手はひけぬこと

手にあまり

いのる誠に

さずかる力

上もなき

のぞみをとぐる為の今日

息するなかれ

念ぜぬ時は

(田中木叉上人道詠)

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お待ちしております。

2020年4月2日

<第838話 一人相撲>

こんばんは♪

世間は
コロナウイルスの影響が
大きいですね。

早く終息するように
願っています。

通照院でも
一ヶ月前には
想像もしていませんでしたが
来週の
春のお彼岸法要について
今日、役員方と話合って
中止になることが
決定しました。

仕方がないですね。

ご高齢の方が多くて
100人以上の方が
集まりますので
自粛せざるを得ないです。

残念です。
(;_;)

☆☆
今日の日曜日
お念仏会は
いつもの半分ぐらい
10名ほどのご参加でしたが
開催しました。

そして
第3日曜日の法話は
皆さま、お楽しみ
通照院のK尼さんなのです。

彼女は
画家さんなので
板書の絵が、大好評。

今日は
お相撲さん
の絵でした。

観客がいない土俵。

味気ないですよね。
(>_<)

からお話がはじまりました。
(*^_^*)


ケンカをする
相手が悪いと思っていたけど

実は
一人相撲を
とっていたと気づきました。

話の中で
K尼さんは
いっていました。

それに
気づけることは
素晴らしいことです。

相手を指さして
あの人が悪い、、、
あの事さえなければ、、、

ついつい
やってしまいますが

相手に指を指しているときは
そこから
学ぶことは
難しいです。

自分は正しい!

思っていますから。

正しい → 直す必要がない!

→ 自分を変えようとしない

→ 自分は変わらない!

→ 成長しない!!

ということに
なってしまうのでは。。。

相手と思っていたのは
実は
「もう一人の自分」なのだ!

その自分を
大切にすること。

そうすると
憎たらしそうに
見えていた相手が

だんだん
仏さまのように
見えてくるから
不思議ですよね。

観音さまは
三十三の姿に身を変えて
私の前に
来てくださる。

そして

私を成長させてくれるのです。
(*^_^*)


煩悩(ぼんのう)
サンスクリット語でklesa(クレーシャ)

辞書によると

身心を乱し、悩ませ智慧を妨げる心の働きのこと。

お釈迦さまは
これを
コントロールする術を
教えてくださいました。

しかし
しばらくは
煩悩はダメなモノ。
取り除かないと
イケナイモノ。

自分が乱れる、悩むから
イイコトナイと
嫌っていました。

しかし
大乗仏教になると

「煩悩即菩提」
とかと
いうのです。

自分のこと
ばかり
考えると
煩悩しか見えません。

だけど
目の前の人
(それは
もう一人の自分かもしれません)

良くしてあげよう
愛を持って接してあげよう
よろこんでもらおう!


生きていくと
次第に
相手が観音さまになり

そして
自分も観音さまに
ならせてもらっているのです。

周りの方が
あなたは、観音さまみたいな人ですね〜。

よろこんでくださいます。

煩悩があるから

やさしくなれ

傷つけたことがあるから

あたたかくなれ

救われたことがあるから

困っている人には
微力ながら
手を差し延べたいとおもう。

その原動力なるというのが

「煩悩即菩提」

です。

相手を指さして
アナタが悪い
では
煩悩ばかりの世界から
抜けだしにくくなるのです。
(>_<)

自分のことも
大切。

だけど
自分のことを
一旦横に置いておいて
目の前の人の
幸せをのみ
願って行動することの
気持ちよさも
大切。

相手に都合良く
使われる
あっしーくん

めっしーくん
(今、こんな言葉あるのかなぁ?)
とは
少し違うことは
ご理解していただいていると
おもいますが。

少しずつでも
一緒に
手を取り合って
成長していきましょう!

けいくう

☆☆
かじり得し
エサは
幸か災いか

知らぬネズミを
ネコは狙えり

正しきを
むら無理のなく
おこないて
成るも
成らぬも
慈悲のみちびき

散らば散れ
やがてみのらん
梅の花
うたえ鶯
「時」の魅力を
(田中木叉上人道詠)

2020年4月1日

<第837話 人生のタカラ>

こんばんは♪

コロナウイルス
終息するのでしょうか?
早く終わりが見えることを
願いつつ

通照院では
参加者は少ない目でしたが
通常の写経会を行いました。

そのあとも
続いて

法事を

夕方まで
つとめました。
( -人- )

その法事の一つで
うれしいことを
言ってもらえました。

13回忌ですから
もう丸12年前になるのですが

突然、他界された
ご主人の葬儀。
その通夜の時に
遠くからお念仏の声が
響いてきて
会場内に入ってきたときの
住職さんの
歩き方
立ち姿が
凛としていて
忘れられません。

主人の訃報を聞いたときには
真っ暗になって
もう生きていけないとまで
おもっていたのですが

立派な式をしていただいて

あのお葬儀で
立ち直ることが
できました、と!
( -人- )


葬儀の入退場

大切だと思っていますが
そうして
きちんと
言葉で言って頂けると

葬儀をつとめるものとして
本当にうれしいものです。

そして
13回忌を迎える前

先月、結婚された
娘さんもご主人と一緒に
参列していて

お父さん
さぞかしうれしい気持ちで
おられるだろうなぁと

法事なのですが
すごく幸せを感じました。

そして
その奥さまが
「主人に感謝しています。

50代で旅立ったので
その後
いろいろと
ありましたが、
今年に入り
実の母をきちんと
見送ることができ
娘も素敵な人とご縁があり
結婚出来て

主人が仏さまのところから
見守ってくれていることを
強く感じます。

私は、今、幸せです!!と。」

本当に
素敵な時間でした。
(*^_^*)

☆☆
ところで

皆さま
ご自分の
人生の宝は、何ですか?

実は
今まで経験したことの中で
失敗したこと
とか
挫折したこと
などが
人生の宝物
なのです。

失敗したから

がんばったで賞
みたいな感じです。

失敗し宝!

過去に起こったこと
それが
すべて
人生の宝ものです。

イイコトだけではなく
自分にとって
都合の悪いこともすべて、、、

○○した から

今の私がある!

喜ばれ タ カラ

ほめられ タ カラ

いじめられ タ カラ

おこられ タ カラ

悲しかっタ カラ

泣かされタ カラ

悔しいおもいをしタ カラ

しんどかっタ カラ

出会っタカラ
別れタカラ

うまく行っタカラ
失敗しタカラ

迷っタカラ
つまずいタカラ

病気しタカラ

年をとっタカラ

寂しかっタカラ

借金しタカラ

人を傷つけてしまっタカラ

人に助けてもらっタカラ

仲間がいタカラ

一人だっタカラ

乗り越えタカラ

そう
過去に起こったことは
全部、私のタカラモノ

そう思えると

今の自分が
生かされていることが
許されていることが

非常に
愛おしくなります。

自分が
ステキに思えます。

タカラものは
自分が歩いてきた人生を
振り返ってたときに
自分の足跡から
咲く花のようなもの。

それを
ご縁のあった方がたと
分かち合い
共に
喜び合えるように
したいですね。


法事の奥さまは

悲しいめにあっタカラ


目を輝かせて
私に
お話してくれました。
(*^_^*)

けいくう

☆☆
成り行きの
奥にみちびく
慈悲のみ手
よかれ あしかれ
やがて よくなる

坂三里
つらさが楽し
里帰り
若葉のあなた
桃の咲く家
(田中木叉上人道詠)

ご意見やメルマガへのご意見・ご感想

あなたの人生の宝物

教えてください。

お待ちしております。

contact@tsushoin.jp

まで。

2020年3月16日

<第836話 レモネード>

コロナウイルスの影響がさまざまな方面で大きく出ていますね。
早く終息するように祈っています。
( -人- )

いろいろな情報も交錯していますが
どうぞ各自お気を付け下さい。

学校が明日から休みになるそうですし
私にとっても、お能の公演が中止になったり
剣道の試合が中止になったり(稽古まで中止)
時間ができた分、皆さま自分を振り返る期間にしたらいいのではとおもいます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

今日、更新のホームページ法話で言っていますが
When life gives you lemons,
人生で、レモン(苦いこと、辛いこと、イヤなこと)が来た時
人は生きているとツライ時期を過ごすもの。

そんな時は
make lemonade!
レモネードにして飲んでしまいましょう!
ということわざです。

尊敬するキュブラー・ロス博士は

Everyone goes through hardship in life.
The more you go through, the more you learn and grow.

誰だって生きていればしんどい・辛いときがある。
だけど、つらい経験を通り抜ければ乗り越えるほど
あなたは、そこから学び、成長できるのよ!

とか

Adversity only makes you stronger.

逆境(不幸な出来事、災難)こそがあなたを強くする!

とか

Should you shield the canyons from the windstorms,
you would never see the beauty of their carvings.

渓谷を荒らしのような風から守ってしまうと
あなたは、決して、あの美しい自然が刻んだ美を見ることはないでしょう。

と言っています。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

シンドイときを乗り越えるコツは
なんと言っても上機嫌(明るい顔)です!!

シンドイときに明るい顔なんてできないよ!
と仰る方もおられますが、、、

深刻になって眉間にシワを寄せて過ごしていると
人は近づきにくくなります。

イライラして怒られるのではないかなという人からは
離れていようとします。

機嫌・不機嫌は自分の心がけで
なんとかできませんか?

できるときはなんとか上機嫌でいましょうよ!!
(^_^)

コロナウイルスが来ても
それによって自分の周りが大変大変と騒いでも
大丈夫!

最後は仏さまが
きちんとすくいとってくださいますから。
と仏さまをハラに据えていると
大丈夫!

これ上機嫌になるコツです。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

自分の人生にとって、何がプラスか、何がマイナスか
その渦中にいるときはわからないのです。

弁栄聖者は、道のよからんことを祈るより
いかなる道にも堪え得らるる力の加わわらんことを願え
とおっしゃっています。

辛いこと、災難・イヤなこと
できれば自分の身にふりかかって欲しくはないですが、、、

起こってきたことこそが自分の人生を
心、豊かに幸せに生きれるように
気づきがあり、自分を育ててくれるのです。

みんなで手を取り合って
楽しくすごしていきましょう!

今週もご機嫌よう !!

けいくう

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

イキイキ
仕事が正確に
イソイソ
仕事が迅速に
ハレバレ
いつでもおちついて
ニコニコ
いつでも気持ちよく

笑顔に舞いこむ
福の神
努力に入る来る
宝船
サッサ サッサと
仕上げゆく
仕事に開ける
人の運
(光明聖歌「能率あげましょう」)より