2023年11月5日

<再配信版 第28話  しあわせカン >

こんばんは。

秋になってきました。

いかがお過ごしですか?

今日は、「幸せについて」です。

実りの秋!! 食べていると幸せ!

とか

涼しくなってきて寝れるのが幸せ!

とか

スポーツや読書。 好きなことするのが幸せ!

とか

いろいろな幸せという言霊を見聞きすることで幸せって深みを増すとおもうのです。

☆☆

先週、お寺にお越しになった方が

「私は、必ず幸せにならないといけないのです!」

と言われました。

この方は今、幸せでしょうか?

少なくてもご本人はそう感じていませんよね。

(>_<)

また罪悪感がいっぱいだ!ともおっしゃいました。

幸せにならないといけない!けど、なってはいけない? なれない!

使命感もいっぱいそうです。

☆☆

私達はもともとしあわせの中に居ると思うのです。

だけど「幸せカン!」の中にわざわざ

罪悪カン

使命カン

さらに何が悲しいのか

劣等カン

(>_<)

先入カン

(>_<)

固定カン

(>_<)

人生カン

(>_<)

などなどを作りだして

そのカンの中に入れ込んでしまう。

そしてフタをして

「幸せになってはいけない」(罪悪カン)

「幸せにならなければ」(使命カン)

「どうせ私なんか、、、」(劣等カン)

などとやりがちなのです。

☆☆

カンのフタをあけて青空を見上げてみましょう!

大きな空に心を羽ばたかせたとき

しあわせカンをいっぱい感じられるはず。

もう一度いいます。

基本、私たちは幸せの中にいるのです。

そう思えない方はそれをちょっと思い出して下さい。

はい!

肩の力をぬいて深呼吸して言ってみてください。

「あ~幸せ!」

と。

今週もしあわせをカンじつつお元気で!

ご機嫌よう。

けいくう

☆☆

金色におう しののめの 今朝の光の なつかしさ

  うつるお慈悲の みすがたに 空も 心も あさみどり

大みひかりに 目覚めたる かがやく心 ほとりなく 十方界に 

  すきとおる いつもかわらぬ 生きどおし

                        (田中木叉上人道詠)

(この文章は2016年11月20日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年10月29日

<再配信版 第27話  善と感謝>

今月は善悪と感謝について考えていました。

何が、善か。

何が、悪か。

師匠の空外先生はシンプルに悪とは「自分勝手」をすること!と、おっしゃっていました。

さすがです。

\(^O^)/

その自分が無くなってこそ、自分も相手もよろこぶ。

これが、善だと。

ェ(__)ェ

法事の席で子どもさんがいると尋ねることがあります。

たとえば、お兄ちゃんが茶碗を割ってしまった。

それを見つけた妹が「アッ!お兄ちゃんが茶碗を割った!!」と大声でいうと

お兄ちゃんは「しまった、悪かった!」とは謝らない。

たいてい「うるさいっ!」とか「何が悪い!」と云って虚勢をはって誤魔化すこともある。

子どもだけではなく、親でもある。

「ウソをついてはいけません」というお母さんが

訪問販売が来た時など、「ちょっと、今、お母さんは居ません、と云って」と子どもに言う。

(^0^;)

「お母さんもウソつきだ~」とでも言うものなら「お母さんは、大人だからいいの!」などとわからないことをいう。

こうして悪いことをしてさらに怒ること、誤魔化すことは善いことですか?

と、聞くと子どもは、首をふる。

悪いことですか?と、聞くとおもいっきりうなずく。

では、悪いことをして謝るのはどうですか?と、聞くと不思議な顔をする。

悪いことをしてあやまるのは当たり前のこと。

善いも悪いも言えないからだろう。

(>_<)

では善いことをして威張る(ドヤ顔をする)のは善いことですか?

と、聞くと善いことをしたのだから善いのかなぁという顔をする。

だけど、ちょっとひっかかっているみたいだ。

では、これが本題。

善いことをしてあやまるのはどうですか?

と聞くと

さらに不思議な顔をする。

(>_<)

なぜ、善いことをしてあやまるの?と思っているから。

だけどこれが実は、最も善いことだとおもいます。

善いことをしてあやまる。

これは善いことをして恩に着せない。謙遜していることです。

福島正伸先生が、よく言われていた言葉が「人によろこぶことを全力でして」

「あの~、どちらさまですか?」と聞かれたときに

「いや~、ただの通りすがりのものです!」と、その場を立ち去る!

これが最高にクールなこと!だと。

例えば交差点で白い杖をついた方が小さい声で「誰か~?」と助けを求めている。

なかなか近づく勇気がない人たちのなか、交差点の向こうから、一人の青年がスタスタッ!と近づいて「何か、お困りですか?」と声をかける。

そうすると「郵便局に行きたいのです」

すると時計をチラッとみて「僕も、ちょうど郵便局に行くところだったのです!」

と腕を引いて自分が渡ってきた交差点を戻って案内していく。

そして、サッと引き返す。

「ありがとうございました。」

「助かりました。」

「どちらさまですか?」

青年「いや、ただの通りすがりのものです!」って。

(*^_^*)

1.悪いことをして威張る  「カッコ悪い」

2.悪いことをしてあやまる 「人として当たり前」

3.善いことをして威張る  「カッコよくない」

4.善いことをしてあやまる 「カッコ善い!」

善いことをして謝(あやま)る。

これが謝を感じること。

感謝!です。

(*^_^*)

しっかりと「あやまれる」こと大切です。

感謝多き、一週間を!

けいくう

☆☆

やむにやまれぬ 大願の 道は一筋 まっしぐら つらくもつらい時こそは お役にたっている証拠

一心帰命 うちこみし ナムアミダブツの 端的に 邪気も邪念も はらわれて 獅子奮迅の 勇気湧く

                                (田中木叉上人道詠)

(この文章は2014年10月26日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年10月22日

<再配信版 第26話  予想以上で>

こんばんは♪

何かがあるとき

何かをするとい

大抵、予想しますよね。

例えばレストランに入るとき

店のたたずまいやメニューの値段、客層から

サービスや料理の質などを。

そして、この値段で これは

良くも悪くも、予想外!という時、印象に残ります。

予想外 って 面白いのです。

人生も予想外のことが多々おきます。

それを面白いと受け取れると人生、楽しくなります。

思い通りに行かないのが人生ですから。

うわぁ~

そうきますか!!!

それは私の予想外でした!

で、すかさず 「だから 面白い!」と。

「いやー面白いなぁ」という言霊を発していると

人生が終わった時「あ~~私の人生、予想以上に、面白かった!」になるとおもうのです。

以前、中村文昭さんが

人から頼まれごとをされたら予想を超えてやる!

と依頼人をビックリさせ続けた結果

いろいろなご縁が広がっていったとお話されていました。

予想を超える、予想以上!!って、楽しいですよ。

ピーンチ!って思っている人は

自分の想定内のギリギリの状態で焦っているのかも。

想定外まで飛び出すと予想以上の結果に結びついて面白くなります。

予想を越えた今までにない自分に出逢えるチャンスかも。

どんなことでも面白い!と、言える人生を送れますように。

何事も面白く、予想以上に取り組んでいきましょう!

今週もお元気で!

ご機嫌よう。

けいくう

☆☆

照る日のあれば 楽しみて 雨にたたかれ 霜に耐え 忍んでまつや 秋くれば 光にはゆる 山もみじ

おのがはからい うちすてて ただみこころに したがえば 一時はくらき 夕立も ひとしおさゆる 雨後の月

                         (田中木叉上人道詠)

(この文章は2016年10月23日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年10月15日

<再配信版 第25話  陀羅尼(だらに) >

こんばんは♪

朝晩、ぐっと寒くなってきましたね。

うっかりしていると風邪を引きそうです。

皆さま、だいじょうぶですか?

先週、あるお葬儀をつとめました。

その方は私と同じ歳の女性でした。

今まで1000軒を越える葬儀をつとめてきました。

その中には、若い方の葬儀も幾度となくありました。

同級生の葬儀に参列したこともあります。

しかし、自分が導師をして同じ歳の方の葬儀をしたことはなかったのです。

(昨年、同級生が旅立ち、また、葬儀の導師をさせていただきました)

枕経からはじまり

その方に、一生懸命語りかけました。

どんな人生でしたか?と。

ほぼ同じ時間をすごし、今に到り、先に卒業されたYさん。

風邪から肺炎になり脳の機能が停止してしまい、急にお亡くなりになってしまいました。

Yさんのご両親、妹さんはどれほど驚き悲しまれたかは想像に難くありません。

しかし

病院から通照院へお越しになり、お母さんがずっと付きそうとおっしゃっていたのがここなら仏さまもおられるし住職さんもいるから

「安心しました」

枕経のあと、葬儀の準備をしに一旦、ご自宅へ帰られました。

通夜・葬儀を通しご家族の方がここなら安心!と何度もおっしゃり

それに応えるようにYさんのお顔もどんどん美しく神々しさをましてきました。

仏さまの御前でお棺をお花で囲んだだけのしつらえでしたが紫とピンクのお花はYさんがお好きだった色。

3日間、ご家族も私たち寺の者も心から語りかけました。

人は、長く語る必要はないのです。つまらぬおしゃべりで人の心を悩まし、時間をつぶすよりは短い言霊を汽笛のように贈るほうがずっといい。

「おつかれまでした」

「ゆっくりおやすみください」

「ありがとう」

その言霊を深い心をもって相手に伝えるときちんと届きます。

その証拠に家族は驚き・悲しみの中から再び生きる勇気を取り戻すことが出来てくるのです。

「お葬儀なのにこんな言い方が相応しいかどうかわかりませんが、、、

<感動しました!>

あの娘(こ)にしてあげられる最高のことをしてあげた気がします。本当にありがとうございました。」

葬儀の後

お母さんからいただいた感謝の言霊です。

葬儀に携わりこのような言霊をいただけると

心がジーンとしてしばらくその余韻が鳴り響いています。

☆☆

心からの呼びかけを

「陀羅尼(だらに)」という。

陀羅尼はインドの言葉を漢字に音訳して称えていますが

呼格といって

ほとんどが呼びかけなのです。

心から仏さまに呼びかけ、亡き方に呼びかけ、生きているものに呼びかける。

その声が忘れていた何かを

相手の心の奥底にあるなつかしさ

心のふるさとと言ってもいいかもしれません、を呼び覚ますのです。

これがお経の功徳の一つであり

特に陀羅尼のすごさです。

相手の心に木魂(こだま)して鳴り響き続けるような言霊(ことだま)を普段からも使いたいですね。

(*^_^*)

アナタの幸せを願って今週もブログをお届けします。

どうぞお元気でお過ごしください!

ご機嫌よう!

けいくう

☆☆

  アナタをまとに 一心を そぞく一声 ひとこえに 

    親の心と 子の心 とろくる慈悲の 別天地

  あわば心の 闇はれん たのし三昧 秋の旅

    声にお慈悲の 山彦の ひびくもうれし 南無の歌

                        (田中木叉上人道詠)

(この文章は2018年10月21日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年10月8日

<再配信版 第24話 いのちのバトン>

こんばんは♪

明日は体育の日ですね。

世は、三連休、いかがお過ごしですか?

スポーツの秋

読書の秋

食欲の秋

秋は、いろいろ楽しめます。

空は高くなるし

風は、澄んでくるし

(*^_^*)

夜には、虫の音楽会もあります。

!(^^)!

スポーツの秋、小学校や中学校で運動会の声が聞こえていました。

最近は、リレーはやるのでしょうか?

僕のころは、花形種目でしたが、、、

どんどん規模も縮小して、危なくないように、配慮がなされて、無くなっていくかもしれませんね。

そのリレーで渡すものは何ですか?

そう、バトンです。

バトンを前の人から受け取り、次の人へ手渡す。

そうしてみんなでゴールをめざします。

先日、映画「おくりびと」の元になった『納棺夫日記』を書かれた青木新門さんのお話を聞きました。

最後に「いのちのバトンタッチ」という詩を紹介されました。

人は必ず死ぬのだから「いのちのバトンタッチ」があるのです

死に臨んで先に往く人が「ありがとう」と云えば

残る人が「ありがとう」と応える

そんなバトンタッチがあるのです

死から目をそむけている人は、見そこなうかもしれませんが、目と目で交わす一瞬のいのちのバトンタッチがあるのです

14才の少年が祖父の死に立ち会いこんな作文を書きました。

「ぼくはおじいちゃんからいろいろな事を教えてもらいました。

特に大切なことを教えてもらったのは亡くなる前の3日間でした。

今までテレビなどで人が死ぬと、周りの人が泣いているのを見て、何でそこまで悲しいのだろうかと思っていました。

しかし、いざ自分の身内が亡くなろうとしている所に、そばにいて、ぼくはとてもさびしく、悲しく、つらくて涙が止まりませんでした。

その時、おじいちゃんはぼくにほんとうの人の命の重さ、尊さを教えて下さったような気がしました。

(中略)

最後に、どうしても忘れられないことがあります。

それはおじいちゃんの顔です。遺体の笑顔です。

とてもおおらかな笑顔でした。

いつまでもぼくを見守ってくれることを約束して下さっているような笑顔でした。

おじいちゃん、ありがとうございました」

昔の人は、親の死に目に遭えないほど、親不孝なことはないと言われていました。

青木さんは、おっしゃいました。

数年前でしたか、東京都が小学5年、6年生を対象としたアンケート結果によると、

「あなたは葬式に行ったことがありますか」という質問に7割ほどが「行ったことがある」とありますが、

その中で「臨終の場に立ち会ったことがあるか」との質問の回答は、4.8パーセントでした。100人のうち95人の子どもたちは死など見たこともないのです。

昔、私の村などでは、親の死に目に現れない者は村八分になるほど非難を受けたものです。

私が肉親の死に目に立ち会うことの大切さを強調するのは、もし私が叔父の臨終の場に行っていなかったら今でも叔父を恨んでいただろうと思うからです。

葬式の現場に長く関わっていますと、憎しみや怒りが渦巻くとげとげしい家と悲しみの中にも和気が漂っている家があることに気づきました。最初、あの和気はどこから来るのだろうかと不思議に思いました。

やがて悲しみの中にも和気が漂っている家に共通しているのは、肉親が臨終の場に立ち会っておられた家であることを知りました。

ところが現代社会は、そうした場をなくしてしまいました。核家族化のせいもあるでしょうし、仕事の関係もありましょう。

また医療機関の生命至上主義が臨終の場を親族に提供しないということもあるでしょう。

そのことが当たり前のようになり、死顔など見せるものでも見るものでもないという風潮がまかり通っています。

特に死を頭で考える作家や知識人に多いようです。

死の真実は死の現場でしか知ることが出来ないのです。

私が死の現場で学んだことは、「いのちのバトンタッチ」の大切さでした。

大切な人から「いのちのバトン」をもらって

今、私は一生懸命、走っています。

立ち止まっている人はお寺にお越し下さい。

手を取り合って一歩でも半歩でも、一緒に進みましょう。

次の人に、バトンを渡すまで。

今週もお元気で。

けいくう

☆☆

チロリン チロリン 虫すだく さびしき野辺も 日の照れば 

          嵐をしのぎ 霜に堪え 錦の秋を まつもみじ

風もなく 散る萩の葉の 浮かぶ流れの 明日 いづこ

          秋はさびしき 西空に 思いださそう 星一つ

                          (田中木叉上人道詠)

(この文章は2014年10月5日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

☆☆

昨日の写経会のお話です。

以下より、13日まで、ダウンロードできます。

よろしければ、お聴きください。

https://72.gigafile.nu/1014-6297d611177df8c489ebcf588506e3ba
2023年10月1日

<再配信版 第23話  生命のバランス>

こんにちは

10月に入って、急に涼しくなりました。

通照院の彼岸花もあわてて、咲きはじめ

今、紅白がキレイに咲いています。

☆☆

今日は、ネズミの話からです。

はつかねずみの話を聞きました。

二十日鼠と言われるようになったのは

妊娠期間が20日ほどであるという説が有力ですが

(寿命ではありません。。。)

甘口鼠が、書き間違えて廿日鼠になったとか

生後20日ほどで身体の大きさが一人前になることから二十日鼠と言ったり

身体が小さいから「わずかネズミ」といったり、ちょこまかと動くから「はしかいネズミ」と言ったりしたことから

【ハツカネズミ】となったそうですが

いづれにせよ。その二十日ネズミさん。

オス1とメス99匹で生活としていると

次世代は、オスが多くなり

5代6代の子孫になるとオスとメスの割合が1対1になるそうです。

逆に

オス99とメス1匹で生活していても

だんだん割合が1対1になっていくようです。

自然界には絶妙のバランスがあるのです。

オスとメスがあるのもそのバランスを保ちつつ、さらに時代に合うように、いい種を残すように、成長するようにできているとおもいます。

新たなものと出会い、そしてそこからさらに新しいものが生まれていく。

秋は、出会ったものが実りゆく季節。

今年のアナタの秋は、何が実っていますか?

1対1で、バランスがとれるのです。

私のことを褒めてくれる人

感謝してくれる人

好きと言ってくれる人

指導してくれる人

クレームを言う人

キライと言ってくる人

その人数は違うかも知れませんが、エネルギーバランスはとれているとおもうのです。

8人が褒めてくれても

(*^_^*)

2人が強烈に、しかってくれる。

(^0^;)

その割合は逆かなぁ。

(>_<)

だけどそれでバランスがとれて成長するのです。

10人が10人とも褒めてくれるとつけあがり成長が止まってしまいます。

10人が10人とも自分を否定するとガッカリして自信を失って止まってしまいます。

自分に文句を言ってくださる人は自分の人生において悪役を演じてくれる人

あまりうれしくはないかもしれませんが、

感謝ですよね。

それでワタシのいのちのバランスがとれます。

せっかくご縁があって出会った人お一人おひとりに感謝できる秋にしたいです。

朝晩、急に寒くなってきました。お風邪に気をつけて!

今週も、ご機嫌よう。

けいくう

☆おまけ☆

小さい二十日鼠さんの寿命2年ぐらいだそうです。

大きいゾウさんの寿命80年ぐらいだそうです。

だけど心臓の鼓動の回数はネズミさんもゾウさんもそして人間もだいたい同じなんです。

自然界、バランスとれています。

面白い、いのちの不思議です。

小さきは 小さいながら おみなえし 日をなつかしむ 秋の野末に

小さくも 巣立つ 羽ばたき 見よ 今に 天かける日の 金色の空

                          (田中木叉上人道詠)

(この文章は2015年10月15日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年9月24日

<再配信版 第22話 彼岸の世界>

こんばんは♪

今年は、9月26日まで秋のお彼岸です。

通照院は、今日秋のお彼岸法要をつとめました。。

秋彼岸の講師の先生は、助産師で 岡野眞規代先生でした。

「いのち」についてのお話、とてもよかったです。

もしご興味のあるかたは、下記アドレスよりお聴き頂けます。

今朝は、多くの方の参詣を得ておつとめしました。

(*^人^*)

彼岸(ひがん) と 此岸(しがん)の 違い、ご存じですか?

彼岸=仏さまの世界

此岸=私たちの世界

彼岸とは、般若波羅蜜多の波羅蜜多(パーラミター)のことで、仏さまの世界のこと。

そこは絶対の世界。 善悪がない世界です。

それに対して、此岸(しがん)=私たちの世界は相対の世界。損得計算の世界です。

私たちの世界は常に「良い・悪い」「損・得」「楽・シンドイ」と考えてしまいます。

そうしないと物事・存在を説明しにくいのです。

ですが、心は、本来、彼岸サイドなのです。

例えば『般若心経』では「不生不滅 不垢不浄 不増不減」と、言うでしょう。

絶対の世界です。

頭(脳)は良いワルイを決めないと認識できにくいのです。

だけどそれが悩みの根っこなのです。

悩みがあることが此岸で生きていることと言っても良いかもしれません。

だけど年に二回ぐらいは悩みのない世界におもいを馳せて

せっかく、この地球の上にいのちを授かって生きていることをよろこぶためにお彼岸ってあるような気がしています。

いのちをつないで来て下さったご先祖方をおもい、真西に沈むお日さまの先にある

西方極楽浄土をおもい

お彼岸の一週間は損得計算を離れた生活をする。

人によろこんでもらう生活を心がける。

そのようにしていると彼岸体験ができるはずです。

時には絶対と相対を切り替えてバランスよくすごしましょう。

(*^_^*)

26日でお彼岸週間は終わりますが、おもいを仏さまに向けるといつでもお彼岸の世界にいけます。

セコセコした此岸から ユッタリした彼岸へ。

よろしければもう少し過ごしてみようではありませんか。

(*^_^*)

どうぞ今週もお元気で。

ご機嫌よう。

けいくう

月影の 至らぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ

                         (法然上人道詠)

月影の「影」は「光」のことです。

光を眺められる人はいつも明るさとあたたかさの中。

彼岸の世界の歌ですね。

(*^_^*)

(この文章は2016年09月25日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年9月17日

<再配信版 第21話 you key!>

こんばんは♪

今週20日から秋のお彼岸です。

入り日が真西に沈むのを拝みつつ、阿弥陀ほとけさまに祈りをささげましょう。

想像してみてください。

目の前に、大きな扉があります。

押しても、叩いても、蹴っても、ビクともしません。

自分の力では、とても開きそうにありません。

だけど

だけど

だけど

どんな扉でも、鍵がかかっていても、鍵さえ入れて、クルッと回せばギーッ!と開くのです。

しかし

しかし

しかし

鍵がなければ、ビクともしません。

(>_<)

扉を押し開けて、新しい人生の世界が、開けていくのですが

鍵を持っていても、それを使わない人もいます。

今のままでいい!

扉を開けるのがコワイ!

(;_;)

人生の扉を開けるのは、ユウ・キーという鍵です。

漢字で書くと 「勇気」です。

(*^_^*)

勇気は出す!と言います。

勇気を出して!と。

ということは、すでに、自分の中に持っているのです。

(*^_^*)

自分の人生の扉を、開けるには「勇気!」がいるのです。

迷っている人、勇気をだしましょう!!

(*^_^*)

また ユウ・キーは「もらう!」 とも言います。

私のまわりでしょっちゅう鍵を探している人がいます。

(^0^;)

鍵がない~!! 鍵がない~!!って。

(>o<)

だけど「どうせうまくいく!」、「問題なし!」

と、やっていると

誰かが、どこからかお助けマンとしてやってきて、さっと合い鍵を使って、扉を開けてくれるみたいです。

そんな方々と出会うアナタがキーとなる。

 You  Key

(ユウ・キー)  と、いいます。

(*^_^*)

ユウ・キーで人生の扉をバンバン開けて

せっかく生まれてきたコノ人生、大いに楽しみましょう。

(*^_^*)

ちなみに「ナムアミダブツ」と称えるお念仏は。

ナム:おまかせします。

アミダ:無量の(かぞえきれない)おかげさま。

ブツ:心を徹底する。

という意味です。

阿弥陀さまと出会い、繋がる最強の鍵です!!

(*^_^*)

入り日にアミダさまに祈りを捧げる一週間が

このお彼岸

今年(2023年)は9月20日から26日までです。

大きな扉が、目の前にあって、開かない~~~

言っているなら

ユウ・キーで扉を開けて

さらに輝く人生(ステージ)に進んで下さい。

今週も

お元気で。

ご機嫌よう!!

けいくう

☆☆

せまる夕やみ 暮れの鐘 み名を念じて みあかしの

           み前をたてば あらとうと 月にも照れる 慈悲のおも

大慈大悲の みちびきに 声をまかせて 称うれば

           かよう心の 澄み渡り ひろびろ晴るる 胸の空

                            (田中木叉上人道詠)

(この文章は2015年9月20日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年9月10日

<再配信版 第20話 お花を供える>

こんばんは♪

今日は、供花。

仏さまに供えるお花の話です。

仏教では、「花」は、いのちの象徴です。

お釈迦さまのみ教えは、「自分の花の咲かせ方!」と、言っても良いかもしれません。

「拈華微笑(ねんげみしょう)」という言葉があります。

あるとき、お釈迦さまが、お説法をされている時に、花を手折られました。

それを見て多くの弟子はポカーンとして理由がわからなかったのですが

一人、迦葉(かしょう)尊者だけが、微笑んだ。

それで、お釈迦さまは、迦葉尊者を跡継ぎに決めました。

自分のいのちは、間もなく終わるだろう。

それを継いでくれるのは、誰か?

というのが、花を手折った理由だとおもいます。

それに答えたのが、迦葉尊者だったというわけです。

お花がこちらを向いている理由

<その1>

お花は、お釈迦さまのみ教えだから。

いのちを尊ぶ、み教えを表しているから。

こちらに向かって教えてくれているのです。

(*^_^*)

仏教のシンボルは、蓮の花です。

それは泥の中から泥に染まらず美しい花を咲かせているからです。

私達も、煩悩の泥に染まらず

自分の花を咲かせられる、み教えです。

花を咲かせた人を仏さまというのでしょう。

仏さま・菩薩さまは、蓮の花びらの上に居られます。

蓮華臺(はすのはなのうてな)がサトッタ証拠。

尊さ・神々しさをかもしだしています。

(*^_^*)

お位牌もそうですね。

亡くなられた方は蓮の花の上に居られます。

(ー人ー)

おつとめの中で、奉請文(ぶじょうもん)というのがあります。

それは仏さま・菩薩さま、今から、おつとめをはじめますからどうぞこの道場にお越し下さい。

私達は、花をまいてお迎えします。

という意味です。

お釈迦さまをはじめ阿弥陀さまも観音さまも勢至さまも、みんな、お花が好きなのです。

お花をお供えする理由です。

そうして、おつとめすることを回向(えこう)とも言います。

それは読んで字のごとく

向きが回ることなのです。

どういうことか?

こちらから

仏さまやご先祖(お亡くなりになった方)に祈りを捧げておもいを届ける。

そのおもいが、仏さまのところに届いたらクルッと向きが変わってこちらへ返ってくるのです。

衆生(しゅじょう:私たち) 仏を 憶念したもうとき

仏も また 衆生を 憶念したもう

私たちが仏さまをおもって祈りを捧げたときは、仏さまも私たちのことをおもって下さっている。

この回向の世界

目に見えませんからわかりにくいです。

しかし、親しい方が亡くなって49日間、中陰(ちゅういん)の間は

この おもい・おもわれる<回向の世界>を感じていただけやすいのです。

(自分の実感として)

今、中陰中の方、亡き方を思ったときは、さっと胸の前で手を合わせ「南無阿弥陀仏」と念じて亡き方をお偲び下さい。

お花がこちらを向いている理由。<その2>がこれです。

仏さまに、亡くなられた愛する人に祈りをささげる

そのアナタのおもい、ちゃんと受け取っていますよ。

そして私(仏さま・故人)もアナタのことをおもっていますよ。

という姿を現しているのです。

回向と同じような言葉で供養(くよう)という語もありますが

「供」え物をして仏さまや先祖を「養」ってやっている!

のでは、ありません。

(>_<)

お供えものをさせてもらって、私の心を養っていただいているのです。

おもいを届けて、受け取っている、でしょう。

むしろ私のおもいより仏さま・亡き人のおもいの方が、遥かに大きくて深いことに

おつとめをすればするほど気づいていかれるでしょう。

お花がこちらを向いているのは

仏さまや故人が花の向きを変えて私をおもってくださっている姿。

拝む私が拝みやすいように。

気持ち良く手を合わせるように。

との心遣いです。

(*^_^*)

アナタは決して一人ではないですよ。

コノ世(目に見える世界)の家族・親戚・友人・知人と手を繋いで生きているだけでなく

アノ世(目に見えない世界)からも仏さま・ご先祖さまが見守って下さっています。

かげから私を支えて下さっているので

それを「おかげさま」といいます。

ありがたいです。

(~人~)

朝晩は少し涼しくなってきました。

ですが、まだまだ日中は暑いです。体調を崩されませんように。

今週も

お元気で!

ご機嫌よう。

けいくう

☆☆

み名をよぶ 声に心が 乗せられて 呼ぶたび通う 慈悲のふところ

つみの我 捨てず身に添う 親にぞ 叱らるるかな 護らるるかな

                          (田中木叉上人道詠)

(この文章は2016年9月11日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年9月3日

<再配信版 第19話 やさしき人に>

こんばんは♪

9月になりまして、朝晩は、過ごしやすくなりました。

それにしても暑い夏でしたね。

(~Q~;)

ふと、本堂の裏の押し入れを開けますと、小冊子が目に入ってきました。

それは、『やさしき人になりたく候』です。

この「ふと」は、「不図」とも書きます。

自分の思惑ではなく、自分にやってきたもの。

これは、何かのメッセージだとおもい、メルマガで以前紹介したのを調べると

2013年9月1日に書いていました。

☆今日は、その時のメルマガの一部です☆

広島・西光寺・檀上宗謙上人の講演録

『やさしき人になりたく候』の印刷が上がってきました。

祈りの生活から紡ぎ出された言霊の数々を味わって頂けます。

今日は、その最後の箇所を紹介します。

私はいつも言いますが、ほめるには知恵がいります。

そこが私たちの大切なところです。

では、その知恵をどうやって引き出すか。

それは私たちの瞑想(祈り)の中にあります。

それは穏やかな心でないとできないことですもし心が荒れていたら、いつも戦ったり争ったりして、私たちはほめることを忘れてしまいます。

日本人はそうですが、アメリカ人もそうです。

もしこれから将来、戦争のない世界を作るとすれば、私たち人間どうしがほめあう習慣をもっと高めなければいけないと思います。

それは慈悲のエネルギーです。

慈悲は毒をハチミツに変えます。

毒は私たちのなかにある。毎日毎日、毒を作りだしています。

ほめたり感謝したりすると、その毒はハチミツに変わります。

今日家に帰ったら子供さんたちにどうぞキスをさしあげて下さい。

たぶんその時子供さんは、「お母さん、今日のキスはなんて甘いのでしょう!」と言うでしょう。

「それは、今日カーサ・デ・マリアでのとても良いお坊さまのお話し会で、私の心が清められて、体の中でハチミツを作り出したからよ!いつもしかっているのは本当のお母さんではないことを知っておいてね」と話してあげてください。(笑)

小冊子をご希望の方は

メール  contact@tsushoin.jp

にて「小冊子希望」と書いて送付先の住所と氏名を送って下さい。

差し上げたいとおもいます。

(*^_^*)

この夏は、どんな体験をなさりましたか?

生きていると

苦しいことも、悲しいことも、体験しなければなりません。

どんな体験も、こころ豊かに生きていくために必要なこと。

逃げずに、楽しめるようにとりくみましょう。

今週もお元気で。

ご機嫌よう!

けいくう

☆☆

し得ねども 手はひけぬこと 手にあまり いのる誠に 授かる力

さらばとて 移し植え得ぬ 秘めし種 苔むす岩も 裂きて咲かせん

                          (田中木叉上人道詠)

(この文章は2013年9月1日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年8月27日

<再配信版 第18話 愚痴?悪口?>

こんばんは♪

突然ですが、、、「悪口」と「愚痴」の違い。。。

ご存じですか?

このメルマガを2010年8月29日に書いたときの話です。

悪口と愚痴の違いを考えて下さいとお願いしたのですが、、、

その時に行ったハーレーでの追悼ツーリングの感想は、頂いたのですが、

「悪口」v.s.「愚痴」のお答えは

誰も書いてくださいませんでした。

ですから、その時は

もしかしたら、皆さまが、すでにご存じのことを書いてしまったのかと申し訳なくおもいました。

(?_?)

私も、正解はしりませんので、私見を述べたいとおもいます。

「誰も答えを書いてくれない!」は、愚痴です。

「あなたは、書いてくれませんでした!」は、悪口です。

「悪口は」、主語が相手の方です。

あなたは、○○だ! と 自分の決めている善悪の枠で相手を判断して「あなたが悪い」と相手に対して言うこと。

一方、「愚痴」は自分が関わっていることで自分が不快な思いをしたと口に出して言うこと。

と、主語の違いかなぁとおもいました。

いかがでしょうか?

☆☆

では、悪口を言わないようにするには「人を思い込み・先入観・自分の好き嫌い・善悪」などで判断して、相手が傷つくことを言わないこと。

愚痴を言わないようにするには、物事の受け取り方を工夫して「自分を満たすこと」

です。

この二つのことを言わないだけで「あなたの周りの方は、どれだけ心地よい時間をすごせるかわかりません」。

せっかくこの世に生まれて出会って「素直にうれしいです!」っていう関係を作っていきましょう。

愚痴・悪口を言わないのが、楽しく、しあわせに生きるコツではないでしょうか。

(*^_^*)

もう

9月が目の前にせまっています!

新学期がはじまった方も居られるでしょう。

気分一新、笑顔でいきましょう。

けいくう

☆☆☆

  怒る時 毒に変ぜし 血のめぐり おさまるまでは 口むすべかし

                     (田中木叉上人道詠)

怒るとホルモンも血も濁るそうですよ!!

コワッ!!

(^0^;)

  自分に優しくしたら自分を許したら、だれかのことも許してあげられる

                   (沖縄のNさんの言霊)

→なぜ自分に優しくするのか?自分を許すのか?

それは、相手の中に見たものを自分の中にもあると認めること。

だから、共感し、相手を許すことができるとおもいます。

(この文章は2010年8月31日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年8月20日

<再配信版 第17話 千の風になって>

こんばんは

お盆がすぎますと、少し暑さも和らいだような気がします。

夕方には、秋の空の雰囲気になりましたし、夜が寝やすくなりました。

(*^_^*)

毎年8月18日ですが、今年(2023年)も18日は通照院でのお盆の法要でした。

220個用意したお昼がほぼ配ることができました。

有難いことです。

もう今から30年近く前になりますが、

2006年のお盆法要で、私がお話ししたときに

最後に「千の風になって」を歌いました。

その年の大晦日、秋川雅史さんが歌って日本中に大ブレークした曲です。

(*^_^*)

ご存じだとおもいます。

もともとは作者不詳の12行の詩と言われていますが

1989年、イギリスの青年ステファン・クミンズがテロの犠牲になったとき、万一の時に備えて両親へ宛てた手紙の中に

「両親へ、もしもの時のために、この手紙を残します。どうか私を殺した人のことを恨まないでください。そして愛する全ての人へ」と書き添えて12行の詩が書いてありました。

浄土宗をひらかれた法然上人のお父さんも、夜討ちにあって亡くなりますが、最後に息子(後の法然上人)へ「敵を討つより、僧侶となって菩提を弔ってくれ!」と

遺言しています。

恨みを大きな愛で返すと社会への波紋は愛が広がっていきますね。

ステファン君の葬儀の時、彼の父親が朗読したこの12行の詩はBBC放送にのって

全英に伝えられました。

それが、2001年9月11日にテロが起こり、その一周忌で11歳の女の子が朗読しました。

この原詩を新井満さんが日本語訳されて本になったのが1995年阪神淡路大震災の年でした。

それから10年後の福知山線の脱線事故の追悼慰霊式の時にも朗読され、日本中に

広がりました。

大ブレークは先ほど書いた2006年年末の紅白歌合戦です。

寂しさを経験された方に少しでもあたたかさを伝えられたすばらしいことです。

∈^0^∋

亡くなった人は、風になって

それも、いろいろな風になって

私たちの近くに居てくださる。

\(^O^)/

心あたたまるいい歌です。

メロディー口ずさみながら、歌詞を読んでみてください。

(^○^)

「千の風になって」

作者不明 邦訳 新井 満

私のお墓の前で 

泣かないでください

そこに私はいません 

眠ってなんかいません

千の風に

千の風になって

あの大きな空を

吹きわたっています

秋には光になって

畑にふりそそぐ

冬はダイヤのように 

きらめく雪になる

朝は鳥になって 

あなたを目覚めさせる

夜は星になって 

あなたを見守る

私のお墓の前で 

泣かないでください

そこに私はいません 

死んでなんかいません

千の風に

千の風になって

あの大きな空を

吹きわたっています

千の風に

千の風になって

あの大きな空を

吹きわたっています

あの大きな空を

吹きわたっています

ちなみに今年(2011年)のお話の最後にはカーロミオベンを歌いました。

(*^_^*)

原詩はイタリア語なので、啓空の勝手な邦訳を紹介します。

「Caro mio ben」

ジョルダーニ作曲

日本語作詞 啓空

Caro mio ben

愛しい君

出会えて

よかった

あなたの笑顔は

もう見えない

手をつなぎ

歩いた

かけがえのない日び

こころに

いつまでも

忘れない

Caro mio ben

愛しい君

出逢えて

幸せ

Caro mio ben

愛しい君

であえて

ありがとう

歌っていいですね。

(^◇^)

懐かしい人を想いつつ夏は過ぎていく。

けいくう

☆☆

へだつれば ひとしお恋し 虹の峰 想いのかよう 橋となれ にじ

吹く風に 乗りて青空 あがる凧 糸の切れ間に 飛びや去りなん

                         (田中木叉上人道詠)

(この文章は2011年8月21日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年8月13日

<再配信版 第16話 お盆です!>

まだまだ暑い日が続いています。皆さま、お元気ですか?

台風も日本に向かって進んできています。

f(^ー^;

山の日あたりからお盆休みの方も、多いのではないでしょうか。

東京から神戸まで13時間かかって車で帰ったという話を聞きました。

お疲れさまです。

お盆には、里帰りする。

これは生きている者も亡くなっている方々もです。

(*^_^*)

故郷に帰って家族親戚が集い、料理を囲み・歌い・踊る

和気あいあいとすごすのがお盆です。

12日の晩には、迎え火を焚いて「此処が我が家ですよ~!」とお迎えし、

茄子やキュウリで牛や馬を作り少しでも楽にお帰りくださいとお祀りする。

ところで「鬼灯」ってなんと読むかご存じですか?

???

???

難しいでしょう。

正解は 「ほおずき」 です。

(*^_^*)

読めた方、すごいですね。  (*^ー^)b やったね!

このほおずきは、6月すぎに花が咲いて、その後、六角状のガクが発達して果実をつつみ、袋状になり、熟すとオレンジ色になります。

お盆のお供え花の一つとして飾られることが多いのですが

これは、死者の霊(鬼と表現)を導く提灯の意味なのです。

それで鬼灯です。

(^0_0^)ナルホド!

そうして、家族のもとに帰ってきた先祖の霊位がいる場所が精霊棚です。

その前で、お参りするのでお盆まいりのことを棚経参りとも言っています。

13日~15日で、お参りできたらいいのですが、私の場合は5日~15日まで

で、弟子と合わせて400軒弱をお参りしています。

(@@;)

今年もあと2日、ガンバリマス!!

(台風が心配です。)

お参りしていて、感じるのですが

この8月の季節は、生命が一番、活動的になるのではないかなぁ~と。

池の鯉の食欲もスゴイですし、草木もグングン伸びる。

あまりにも日光が強すぎるので、人間はバテ気味ですが、、、。

死者たちもイキイキと動き回っているような気がします。

だから怪談(オバケの話)とか肝試しはこの時期に多いでしょう。

(*^_^*)

ちなみに現代人がコワイ場所はお寺やお墓ではなくて、夜の学校や病院だそうです。

どうですか?

夜の誰もいない学校や病院、一人で行けますか?

・°°・(>_<)・°°・。エーン

人が亡くなる時は病院が多いことの結果でしょうか。

死者はコワイ!という方

死者は応援してくれているという方!

その人の受け取り方によって、オモイは大きく変わります。

お盆の行事は餓鬼に施しをし、亡き人をお迎えして日頃、応援してくださっていることを感謝する行事です。

イタズラに恐がるのではなく「おかげさまです。ありがとうございます」と手を合わせて感謝しましょう。

(>人<)

南無阿弥陀仏

そして15日が過ぎたら精霊送りをします。

川にお船を流したり、大文字焼きのように、送り火を焚いたりします。

これは川の向こうや山の上に死者の世界(あの世)があると考えられていたので

そこに帰ってもらってまた、日常の生活に戻るという儀式です。

先祖は、いのちの根。

根をしっかり養うと、やがてきれいな花が咲きます。

今の自分があるのは先祖代々、いのちのバトンをつないでくださってきたからです。

まさに今日からお盆。

お仏壇やお墓参りをして、先祖に手を合わせ自分のいのちを考えましょう。

(>人<)

南無阿弥陀仏

立秋が過ぎ、朝夕、幾分涼しい風が吹くようになりましたが、日中は暑さが厳しいです。どうぞ、お身体お気を付け下さい。

では、ご機嫌よう!

けいくう

☆☆

待てしばし 我も往く身ぞ きよき国 先立つサトリ 道標(みちしるべ)せよ

想い出の 煙にゆらぐ 反魂香(はんごんこう) おりおり通え せめて夢路に

                           (田中木叉上人道詠)

※反魂香とは

焚くと死者が、その煙の中に現れるという伝説のお香のこと。

亡き人は今も、アナタのことを応援してくださっていますよ!

(*^_^*)

(この文章は2012年8月12日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年8月6日

<再配信版 第15話 三拍子で行こう!>

こんばんは♪

今年は、酷暑も酷暑、太陽に当たっていると皮膚が痛いですね。

皆さま、どうぞお気を付け下さい。

先週の水曜日、剣道の帰りに月を見ました。あまりにもキレイなので、しばし見とれました。月の光も、元は太陽の光、、、。

間接照明のようなもの。直接より、ワンクッションおいて、間接で!それが、やさしさのもとかもしれません。

最近、おもうのですが自然界は「三拍子」なのかなぁと。

お念仏を称えるのも

ナム・アミ・ダブッ と

三拍子で称えていると

それが、仏さまの鼓動のように感じるのです。

朝・昼・晩

晴・曇・雨

雪・月・花

山・空・海

など

こじつけかもしれませんがとにかく三つって安定していて、バランスがよくありませんか?

ところが、普段、私たちは損得計算していますから二つに分けられた世界で生活しています。

損か 得か

自分か 他人か

白か 黒か

善か 悪か

これでは、窮屈になることがあります。

二つの間に何かを入れるといいのではないでしょうか。

白色

灰色

黒色

このようにグレーゾーンをもっていると、心に余裕ができます。

その間に「まぁいっか!」というのを挿んでいると、悪いとおもっていたのにいつか良いことに変わっていた、ということがあるかもしれません。

(*^_^*)

例えば、今日は試験だから早い目に家を出て学校で勉強しよう。

ホームに行くと、電車が出たところだった。

これは、普通、「悪い」と判断します。

だけど、次の電車に乗ったら同級生が居た。試験のことを話し合っていたら、自分が勉強していない箇所だった。

そして、いざ、試験が始まると電車の中で同級生に教えてもらった問題が出ていた。

「ラッキー!」でしょう!

では、電車に乗り遅れたのは 善いの? 悪いの? となります。

だから、決めつけないでグレーゾーンに入れておく。

物事は善悪・損得ではかれないもの。

だとしたら 大いなるもの。

人によっては、神さまと呼んだり、仏さまと呼んだり、Something Great!と名づけたり自由ですが

自分と他人の間に、仏さまゾーンを作っていると、本当に、楽です。

善いことと思えても仏さまのおかげ。

悪いことと思えても仏さまのおかげ。

すべては三拍子でとらえると、いいかもしれません。

行き詰まったと感じたら 間に何かをいれて 三拍子。

「まぁいっか!」 と グレーゾーンで 楽しくいきましょう!

人生って、バラ色を求めるより、灰色で生きる方が良いみたいです。

(*^_^*)

九州地方の方、台風も近づいています。どうぞお気を付け下さい。

また、はじめにも書きましたように酷暑です。どうぞ熱中症対策もしっかりと。

今週もお元氣で。ご機嫌よう!

けいくう

☆☆

善し悪しの 中を流るる 清水の 浅瀬早瀬に 歓喜 泡立つ

光さし 見なおす意味に 湧く歓喜 打ちかつ不幸ぞ 幸福のもと

                         (田中木叉上人道詠)

(この文章は2014年8月3日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年7月30日

<再配信版 第14話 西遊記に学ぶ>

こんばんは♪

昨日は、お寺でコロナ禍で出来ていなかった

子ども向けのイベント「お寺たんけん・たいけん」を行いました。

たくさんの子ども達が来てくれて、楽しい時間でした。

最近の子ども達は、花火をする場所も機会も少なくっているようで

とてもよろこんでくれました。

☆☆

今日は

三蔵法師のお話です。

三蔵というのは

経蔵(お釈迦さまの教え)・律藏(仏教教団の規律)・論蔵(お経の解説書)

の三つをマスターした方の称号です。

日本では西遊記の玄奘三蔵が有名ですが

玄奘(げんじょう)の他にも

『阿弥陀経』や『妙法蓮華経』『維摩経』『大智度論』『中論』など日本人に愛される経典を訳している鳩摩羅什(くまらじゅう)

『倶舍論』や『摂大乗論』など、やや難しい文献を訳している真諦(しんたい)

密教を唐に定着させた不空金剛(ふくうこんごう)

なども

三蔵法師と呼ばれています。

日本人でも空海・最澄などと一緒に遣唐使で中国に渡った霊仙(りょうせん)は

三蔵法師の称号をもらっています。

しかし

玄奘三蔵はインドへの旅を日記『大唐西域記』に記しました。

これは、近代、インドへイギリスなどの探検隊も参考にしたと言われるぐらいの正確さでした。

また、それがもとに、小説『西遊記』ができました。

これで、玄奘がすごく愛され、有名になったのですが、

その中に出てくる孫悟空(そんごくう)・猪八戒(ちょはっかい)・沙悟浄(さごじょう)は

貪瞋癡(とんじんち):むさぼりの心・いかりの心・おろかさの心だとも考えられます。

中国からインドへの旅をつづけて、天竺(てんじく)まで行き経典を持って帰るには

その三つの心を押さえないと成功しなかったとおもうのです。

三つの心を押さえるとは

「自分の中に、貪瞋癡があることをちゃんと認めて、自分の都合を一旦、横に置いておく」こと。

玄奘は長安の都を死にものぐるいで脱出し隣町に行きます。

そこには、皮膚がただれた老婆がいました。老婆は玄奘に、いいます。

「私の病気は、徳の高い僧侶に膿を吸い出してもらうと、助かるといわれている。だから、どうか私の膿を吸い出して下さい」と。

玄奘は、私にはインドまで行って、尊いお釈迦さまのみ教えを取ってきて世に広めるという夢がある!ここで老婆に関わると、その病をもらって、死んでしまうかも知れない!と、迷ったと思います。

しかし、ここでこの老婆を救えずして、何が、世のために経典を流布だ!と勇気を出して、「お婆さん、膿を吸い出してあげましょう!と口を持って行きます」

すると老婆の姿は、観音さまになって、玄奘に

これから苦しいとき、ピンチの時はこの偈文を唱えなさいと

  「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

(ぎゃーてい ぎゃーてい はーらーぎゃーてい はらそうぎゃーてい ぼでぃそわか)

という『般若心経』の最後の偈文を授けて、消えてしまった。

玄奘は苦しいとき、ピンチに陥ったときに「ギャーテイ ギャーテイ……」とやっていたのでしょうね。

「行こう、行こう、みんなで行こう、華の故郷、理想の世界へ」

かなり意訳(;゜ロ゜)

そしていざ、天竺のお寺についたとき、安置してある観音さまのお顔をみると

あの時の老婆の変化身だったそうです。

(*^_^*)

また『大唐西域記』を読みますと○○国では、滞在90日。

とか△△国では、滞在半年。とか書いてあります。

すっと通り過ぎるのではなく、その国の王さまの依頼によって国民に仏教を説かれていたのです。

だから行きしなはすごく時間がかかり、帰りは早く帰ってきています。

これも玄奘が「私には、経典をインドから中国へ持ち帰る」という大儀名分があるから、あなたの依頼は受けられませんと国々の王さまに言っていれば、たぶん、志半ばで、旅が終わっていたのではないでしょうか。

国の王さまは、自国の民がしあわせに豊かに暮らせるように仏法を説いてもらった。

だから、玄奘三蔵一行を庇護・擁護したとおもいます。

大きな理想があっても目の前の一歩を大切にすること。

三蔵法師の生き方から、学びたいとおもいます。

目の前のことに、一生懸命!

暑い時期ですから一日、一つでも心を込めてやりましょう。

後は、のんびりだらりでもいいではありませんか。

熱中症、くれぐれもご注意を!

けいくう

☆☆

力なき身を 投げ出して まもるミオヤを 念ずれば 

  久遠大悲のみ力が わが身 心に みちわたる

大みちからを ちからとし いさむ心の 奮いたち

 ナムアミダブのかけ声で 出来ないからぞ やってみる

                      (田中木叉上人道詠)

(この文章は2013年7月28日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年7月23日

<再配信版 第13話 当たり前>

こんばんは♪

暑中お見舞い申し上げます。

私は、一日に何枚も、肌着を変えています。

汗がどんどん出てきますね。

この暑さ!

(洗濯してくださる方に感謝!)

けど、暑いのは好きです。

汗が出るのは、幸せなこと。

(*^_^*)

「好きです」と言ってしまうと

なんか良い気分になりますヨ。

Y(^^)Good!

今月(2023年7月)の浄土宗のカレンダー

当たり前と思う あやうさ

~多くのつながりに支えられている日常。

当然とおもっていると、思わぬほころびにつながることも。~

と、ありました。

当たり前って、思ってしまっていると、、、

まさか~!っていうこともありますね。

ふと

幸せって

何かなぁ~?

思いました。

僕はよくおもいます。

トイレで用を足したあと!

あ~しあわせ!って。

自分の足で

トイレに歩いてきて

用を足せる。

これが、できないと

どんなに

ツライか。

だから

トイレを出るときに

いつも自然に

お礼を言っています。

アリガトウゴザイマス!

(m_m)

若くしてお亡くなりになった

井村医師の詩を紹介します。

ご存じの方も多いと思いますが、

何度、味わっても良い詩です。

「あたりまえ」 

   井村和清 作

あたりまえ

こんなすばらしいことを

みんななぜよろこばないんでしょう

あたりまえであることを

お父さんがいる

お母さんがいる

手が二本あって

足が二本ある

行きたいところへ自分であるいていける

手をのばせば

なんでもとれる

音が聞こえて

声がでる

こんな幸せはあるでしょうか

しかし、だれもそれをよろこばない

当たり前だと、笑ってすます

食事が食べられる

夜になるとちゃんと眠れ

そしてまた朝がくる

空気をむねいっぱいにすえる

笑える、泣ける、叫ぶこともできる

走り回れる

みんな当たり前のこと

こんなすばらしいことを

みんなは決して喜ばない

そのありがたさをしっているのは

それをなくしたひとたちだけ

なぜでしょう

あたりまえ

☆☆

人間の顔は、人の悪口を言った直後が一番みにくいそうです。

逆に、人のために尽くしたり、いい話題を提供したあとの顔は、うつくしい。

それよりもっといい顔は、何気ない日常の中の当たり前に感謝できている人の笑顔でしょうネ。

(*^_^*)(*^_^*)

今週もお元気で!

ご機嫌よう!!

けいくう

☆☆

風鈴や 気に入らぬ風 いる風に かわらぬ音の いつも涼しき

あてにせし 日の夢いづこ かくてこそ たよりて強き みちびきの手

                        (田中木叉上人道詠)

(この文章は2008年7月20日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年7月16日

<再配信版 第12話 おてんきの話>

こんばんは♪

今日は、まるで梅雨が明けたかのような、夏の陽射しでした。

大学の剣道部の創部百周年の

OB合同稽古、東西対抗試合、記念式典と参加しましたが、

とても とっても 暑かったです。

(~Q~;)

☆☆

お日さまがニコニコすれば

お肌がジリジリ!

そして一気に、夏本番という感じです。

一方で豪雨での被害にお遭いになられた方へお見舞い申し上げます。

お空の天気は、人間の計らいを越えていますから、自分勝手な都合で、いい天気とか悪い天気と言っていますが、結局は受け入れるしかないですよね。

雨でも 晴れでも 曇りでも。

ところで

人生にも、お空のように、晴れの日もあれば、曇りの日も雨の日もある。

そのお空の天気と人生の天気には、大きな違いがあるとおもいます。

いかがですか?

(考えてみて下さい)

 ↓

(考え中)

 ↓

それは お空の天気は みんなもの。

人生の天気は それぞれの人のもの。

私の人生は、私のもの。  アナタの人生はアナタのもの。

そして自分で、選べるということ。

いくらお日さまが照らしてくれていても自分で、ぶ厚い雲を作っていれば曇りの人生になってしまう。

雨を降らすこと(泣いてばかり)の人生も、晴れ続き(笑いっぱなし)の人生もある。

中には、雷を落としっぱなし(おこりっぱなし)の人生もありそうですね。

(^^ゞ

今までの人生の天気 どんな感じでしたか?

これからの人生は どんな天気にしたいですか?

ちょっと考えられると

人生の転機!になるかもしれませんよ!

(*^_^*)

コロナもありました。

雲がかかって暗い世の中だと嘆いている方もあるかもしれませんが、

人生の天気の選び方物事の受け取り方で変わります!

世の中が暗い!?

チャンスです。

自分が率先して「明るい人」になりましょう。「温かい人」になりましょう。

世の中が求めています。 明るさを! あたたかさを! やさしさを!

「一隅を照らす」

アナタが照らす、ほんの一つの隅の明かりが

隣の人に、伝わって

伝わって

伝わって

伝わり続けると 自然に 世界が明るくなったね!って

口にする人が多くなる。

まずは私の人生の天気!から。

ものごとを楽しく受けとりましょう。

さぁ、今日が私の人生の転機!です。

(*^_^*)

ご機嫌よう!

けいくう

☆☆

大慈大悲の ふところに 心うつせば 気もかわり 

  いつしか開く 胸の戸に 射すみ光で 道がつく

大慈大悲の みちびきに 声をまかして 称えれば

  かよう心の 澄みわたり ひろびろ晴るる 胸の空

                       (田中木叉上人道詠)

(この文章は2010年7月18日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年7月9日

<再配信版 第11話 まぁるくいこう>

こんばんは♪

湿度と温度が高くて、だるくなっている方もあるかも。

どうぞご自愛ください。

☆☆

最近は、宗派の垣根が低くなっているようにおもいます。

昨日のご法事のご家族も、もともと浄土真宗の方でした。

同じナムアミダブツ・お念仏です。

ご家族から「浄土宗のお念仏と浄土真宗のお念仏はどう違うのですか?」と質問がありました。

私は「同じです」と。

(*^_^*)

お念仏は同じなのですが

その中身を違う方向から、見ているのではないでしょうか。

ひろさちや氏は

浄土宗は請求書の念仏で、浄土真宗は領収書の念仏だと説明されていました。

???

   ですか?

(*^_^*)

浄土宗は

お念仏をしましたから、「どうぞ仏さま、私をお救いください!臨終の時は来迎して

お浄土へお連れください!」と仏さまに「請求書」を出す。

浄土真宗は

この罪悪深重の(どうしようもない)私の口からお念仏が出るということは、もうすでに阿弥陀さまがお救いいただいてる証拠!

「仏さま、ありがとうございます!」と「領収書」を渡す。

という違いがあるというのですが

皆さま、どうですか?

お念仏をしていると、その両方の面があります。

あるときは、こんなに幸せで、ありがたくて、もったいなくて、感謝しています!

というおもいで念仏していることもあれば

悲しくて、ツラクテ、なんとかしてください!助けて下さい!というおもいで、念仏している時もあります。

そのどちらかの面を強調して、その宗派の特徴を出そうとしているのでしょうか?

同じお念仏なのに。。。

面白いですね。

☆☆

違いを強調すれば「角が立ちます!」

そうすると争いが起こります!

面白くありません。

(;_;)

何ごとも「丸くおさめる」のがいいですね。

「円くおさめる」と書く方が相応しいとおもいますが。

(>_<)

「円満」から 来ていますから。

月が円かに満ちて完全なサトリの世界になる。

穏やかな調和のとれた世界になる。

まるい顔、ふくよかな顔になる。

f^_^;)

おおらかな気持ちで、楽しくいきましょう!

夏を象徴する大きな積乱雲は入道雲ともいいます。

入道とは、仏道に入ること。

お坊さんになると髪の毛を剃ってまぁるい頭になりますからね。。。

角が立ったまま無理やりおさめることを「枠にはめる」といいます。

窮屈に感じますよね。

まるくおさまると、おさまると書きますが、何か無限に広がるようなイメージがあります。

カベに当たって、くじけそうになったとき

夏の暑さに負けそうになったとき

私の、まぁるい頭を撫でに来て下さい。

(*^_^*)

まぁるい頭を撫でて、仏さまのお顔を拝して、お茶で一服なさられると

きっと問題もまるくおさまりますよ。

(*^_^*)

今週も、お元気で!

ご機嫌よう。

けいくう

☆☆

うなさるる 悪夢の人を 揺りもせで 雲 金銀の 月みるは誰

おもわれて おもうゆかしき 法悦に 悪もにくめぬ なごやかさかな

                         (田中木叉上人道詠)

(この文章は2018年7月1日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

今日(2023年7月9日)の通照院文化部さわやかクラブ主催

「在宅医療の現状 ~最期の時まで家で暮らしたい~」

講師:訪問看護師 小野律子さん

この話はとてもよかったです。

今日から2週間下記URLから

資料と音声をダウンロードしていただけます。

よろしければ

お聴きください。

https://49.gigafile.nu/0723-739dfc5258615f573554fe8bccc7b29e
2023年7月2日

<再配信版 第10話 クレームの対処法>

こんばんは♪

湿度が高い日が続きます。

ジメジメ

ジメジメ

この梅雨の時期があるから

日本は、作物が豊かにみのるのですが、、、

不快指数が、高いと、、、

ツイツイ

エアコンのスイッチを押してしまいます。

☆☆

どんな時でもどんな困難な事がおこってもそれを乗り越えていく姿を見るのは、本当に魂を揺さぶらされます。

そこには人生を笑顔で乗り切れる工夫がいっぱい入っています。

工夫、大事です。

今日は、クレーム(文句を言われた時)の対処法・工夫を紹介します。

ある時お釈迦さまが法話をしていると、その素晴らしさに感動して一人の修行者がお釈迦さまの弟子になりました。

その修行者の師匠が怒って、お釈迦さまに文句を言いにきました。

(`ヘ´) プンプン

(`_´)アーダ

σ(`´メ∂ コーダ

( *`ω´) アーダ

(*`へ´*)  コーダ

アナタならどんな態度でクレームに対処しますか?

とりあえず

(自分が悪くなくても)

謝りたおしますか?

(>人<;) ゴメンナサイ

お釈迦さまは一通り聞き終わったあと

その方に質問しました。

釈迦:「あなたは、お客さんを家に招いてもてなすこともあるでしょう?」

師匠:「ありますが、それがどうしたというのです」

釈迦:「用意したご馳走を、お客さんが食べなかったらどうしますか?」

師匠:「妻や子どもたちと家族で食べます!」

釈迦:「先ほど、アナタは私に

アーダ!

コーダ!

アーダ!

コーダ!

と、ご馳走をくださいました。

(`ヘ´) プンプン

しかし、私はアナタの用意したご馳走をいただきませんでした。

だからアナタは、その残ったご馳走を奥さんと子どもさんたちで召し上がるのでしょうね」

(>_<)ゞ

(*_*) マイッタ

(>y<;)

受け取らないというのも、クレームの対処法の一つです。

受け流す、、、というもの、ありそうです。

これが、工夫ですね。

(*^_^*)

☆☆

雨の日には雨の楽しみを。

晴れた日にはお日さまにニッコリご挨拶を。

文句を言わず目の前に与えられたことを楽しみましょう!

∈^0^∋

今週もお元氣で!!

けいくう

☆☆

  末は救いの 海に入る 今は涙の 川の水 

    みちびくみ手の さすかなた 希望の未来 かがやけり

  活ける天地に 合掌し 念(おもい)をはこぶ 心霊界

    端厳微妙(たんごんみみょう) なつかしき 大悲のミオヤ 見そなわす

                           (田中木叉上人道詠)

(この文章は2012年7月1日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年6月25日

<再配信版 第9話 月に帰ったおばあちゃん>

こんばんは♪

今日も暑い一日でした。

謡曲「羽衣(はごろも)」の歌詞の中で

東遊(あずまあそび)の数々に

その名も月の宮人は

三五夜中の空にまた

満月 真如の影となり

御願 円満 国土成就

七寶充満の宝を降らし

国土にこれをほどこし給ふ

と、あります。

「天女は、さまざまな舞を披露し

その名の通り 

月から来た

美しい女人は

三五夜中というのは

3×5=15

十五夜すなわち

まんまるお月さまが

光輝くもと

勢至菩薩の願いで

この国が幸せになりますように

七つの宝を

ふりまいて

空へ 空へ と

昇って

帰っていきます」

というような意味です。

☆☆

一年前(2017年)の6月10日は満月だったのです。

なぜ覚えているかというと

その時、96歳の寿美枝さまの通夜・葬儀をしました。

( -人- )

その通夜の席で曾孫さん達がたくさんいたので

「大きなおばあちゃん、どこに行くのかなぁ?」

と、尋ねました。

その後で「みんな竹取物語ってしっていますか?」

「かぐや姫の物語りでしょ!」

(*^_^*)

「かぐや姫はどこに帰りましたか?」

「お月さま!」

「そうそう」

大きなおばあちゃんも今日のようなまんまる大きなお月さまの世界(真如の世界)に往ってお星さまになるんだよ。

そして、みんなことを見守ってくれるんだよ」と言いました。

夜、不安になった時 夜空を見上げると キラキラと 瞬いているお星さまを

見たら おばあちゃんや先に亡くなったお祖父ちゃんだとおもってください。

(*^_^*)

そんな話をしていたのですが

今年(2018)6月9日。

一周忌の法事に出かけましたとき

お家の方に言われました。

膝の上に抱いている三歳のお孫さん翔(かける)くんを抱え上げて

住職さん聞いて下さい。

去年の仲秋の名月の時

この子(かっくん)がお月さまを見て

「あっ、大きなおばあちゃんだ!」

と言ったのです。

(゜Д゜)

びっくりしていたら 住職さんが話していた、と!!

かっくんは当時2歳だったのに住職さんの通夜のお話をちゃんと聞いていたんです!

4ヶ月ぐらい経っていますからみんな忘れているのに

満月を見た時にかっくんが「おばあちゃん!と言った時には驚きました!!」

これには

私も驚きました。

(O_O)

すごいですね。

2歳の子どもでもちゃんとお話を聞いてくれていたんです。

かっくんの頭をヨシヨシしました。

法事が終わったときは、子ども達が家の外まで見送りに来てくれました。

(*^_^*)

いつもこころを込めてお話させていただかないと、とあらためておもいました。

(m_m)

しかし子どものころからこうして死と向き合い先立ちしご先祖方に見守られているということが腹にきちんとおさまっていると

人生でピンチを向かえたとき強いです。

理由もなく

「だいじょうぶ!」

見守って下さっているから、と勇気が出せる生き方ができます。

大切なことだとおもいます。

どんな時も

仏さまは見守って下さっています。

大好きだった

おじいちゃん

おばあちゃん

おとうさん

おかあさん

みんな

みんな

みんな

見守って下さっています。

それを忘れないようにしましょう!

今年が7回忌の法事の年でした。

小さかったかっくんも

小学生2年生。

今年の法事のお話も一生懸命聞いてくれていました。

夏至もすぎ、だんだんと暑さも増してきました。

お身体に気をつけて。

今週もお元気で!

ご機嫌よう。

けいくう

☆☆☆

木の葉は 千々に わかれても 同じいのちの えだ小枝

ちるまで元木の 役はたす 青葉 若葉に 日の光

おなじミオヤの はらからと ひとつのいのちを わけあいて

永遠の旅路に 手をつなぐ きっても切れぬ この えにし(縁)

                          (田中木叉上人道詠)

(この文章は2018年6月17日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年6月18日

<再配信版 第8話 更に登る一層の楼>

梅雨に入りましたが、いいお天気が続き

いよいよ夏至が近くなり、日中は蒸し暑い神戸です。

(~Q~;)

☆☆

中国の唐代に 王之渙(おうしかん) という方がいました。

彼の詩で「鶴鵲楼(かんじゃくろう)に登る」があります。

皆さま、覚えておられますか?

絶句や律詩って。

(*^_^*)

4句の詩を絶句。8句詩を律詩といいましたね。

そして、一句の文字数で五言絶句とか七言絶句と言っています。

それで、彼の詩は

  白日依山盡(はくじつやまによりてつき)

  黄河入海流(こうがうみにいりてながる)

  欲窮千里目(せんりのめをきわめんとほっし)

  更上一層楼(さらにのぼる、いっそうのろう)

です。

ですから、これは

一句に5文字で4句からなるので

はい! その通り!

「五言絶句」です。

(*^_^*)

意味は???

わかるとおもいますが、、、

輝く太陽が、山に寄り添って沈んでいき

黄河は、海にむかって流れている

遠くまで見わたしたいとおもい

さらに、一階上に登った

です。

太陽が沈み 河が流れている その雄大な景色も 地面に立っていれば

それほど見えませんが

2階

3階

4階

10階

20階

30階

100階

登っていけば

登っていくほど

遠くまで

見わたせますよね。

☆☆

この年(2017年)

オランダのライデンを訪れて日本との文化交流・仏教瞑想の会をいたしました。

ライデンでの日本文化交流

その時

オランダで侍に憧れ剣道を習っているハンクさんという男性がいました。

写真 右端

とても親切でいい方でした。

僕も剣道をしているから構えだけでも見せて下さい!

木刀で彼の構えをチェックして

剣先が高いとか腕に、力が入りすぎているとか、体重のかけ方が、後ろになっているとか、わかる範囲でアドバイスしました。

また、機会があれば、彼とも稽古したいです。

もしその場合は、彼が参ったというまで真剣にやります。

そうすると彼のいる位置が今は、3階だなぁとか身体で理解できるとおもうのです。

そして、まだ上の階があるよ、と!

そして稽古をしたら上の階に行ける。

行けば、眺めが変わる!

剣道も

茶道も

仏道も

道を窮めるのは、限りがありません。

ですが私がいる階までは指導できます。

何でもそうですね。

その先生のレベルまでしか教えられません。

そこまでくると更に、上の先生を紹介します。

少し剣道をかじりオランダで初心者ばかりに指導していたら

自分の階より上はないと勘違いしてしまうかもしれません。

日本だと先生がいっぱいおられますから私自身も日々、稽古を積んで自分の階を少しでもあげようとしています。

日び、成長!

心は、死ぬまで成長し続けるもの。

現時点で、満足せずに

今日、階段を一段でも登れるようにしたいですね。

☆☆

天才は天才の一歩

凡人は凡人の一歩

自分の歩幅で歩み続けたいです。

みんな仏さまになれる種をもっていることを忘れてはいけないとおもうのです。

私の花が咲きますように!

アナタの花が咲きますように!

今週もお元気で!

ご機嫌よう!

けいくう

☆☆

かたければこそ 尊とけれ とうとければこそ 不退転

やむにやまれぬ 誓願の はらがすわれば 苦中楽

張り合いのなき 楽をして 生ける屍(しかばね) たらんより

うたえ高らか 大願を 雲居はるばる あげひばり

                         (田中木叉上人道詠)

☆おまけ☆

心が広がればこの道詠のような境地になります。

せっかく生まれてきたのですから鳥のように大空を羽ばたきたいですね。

(この文章は2017年6月18日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年6月11日

<再配信版 第7話 I won’t complain>

こんばんは

昨日、知り合いの友人家族が神戸に来て通照院へ立ち寄られました。

お父さんとお母さんと中学3年生の娘さんでした。

いろいろお話をしている中で娘さんが進学前なので将来何になりたい?

と、尋ねますと

声優か心理カウンセラーと言われました。

お寺の一人娘さんなので小さな声で「最後は、お寺に帰ってくるかも」と。

その時に言いました。

「なんでお寺に生まれたんだろう?」と思っておられますね。

(・_・)(._.)

そのことをプレッシャーに感じているようだったので質問しました。

気が付いたらたまたまお父さんとお母さんから生まれていて場所がお寺だった。

と、思うのと

自分がこの両親、お寺を選んで生まれてきた、と思うのと

どっちですか。

(?_?)?

皆さまはいかがですか?

普通のサラリーマンです!という家庭でもまったく同じということはありません。

双子でも同じ人ではありません。

どうして家は、こうなんだろう!?と他の家を羨ましくおもったり

どうして私は、●●なんだろう!?と思ったことはありませんか。

自分が理想とするような素敵な人と比べて「あ~あ」とため息をついてみたり!

(@_@;)

\(◎o◎)/!

(゜◇゜)ガーン

そんな方は「全部、自分が望んでこの人生を選んでいる」と思って人生を歩んでみてください。

「自分が選んでいる」

と、心の底から思えれば他人や社会を指さして不平を言わなくなります。

人と比べることが無くなります。

世間体に振り回されず、自分の人生に取り組めます。

☆☆

どんな選択をしても

どんな悲しい経験をしても

どんな辛い時期を過ごしても

「新しい今」を見つけられたときすべては自分の人生に必要なパーツだったのだと気付きます。

人生は、そうなっているとしたら

初めから自分が選択しているとおもった方が、ブツブツ文句を言いながら

アイツが悪い、学校が、会社がと、過ごさなくてもいいですよね。

最後に素敵な曲を紹介します。

「私は、不平を言いません。」

生きていれば、良い日もあれば

(試練の)丘を登る日もある。

ヘトヘトになる日も。

眠れぬ夜も。

しかし、まわりを

見わたして

よくよく考えれば

私の良き日と悪い日を

秤にかければ

良き日にコトって傾くよ。

だから、私は不平を言いません。

時には、雲がかかって

どっかに行って欲しいと願うこともある。

神さまに

どうして私は

こんなに苦しまないといけないの?と。

しかし

神さまは

私にとって

何が一番いいのかを知っている。

弱った私には

ヘトヘトにツカレタ私の目には

見えていないだけで。

だから私は

神さまに「ありがとう!」って言おう!

不平を言わずに。

神さまはよくして下さっている。

これまでの私より

一つ成長させてくれる。

神さまは、私によくして下さっている。

私の涙を乾かして下さって

心の闇夜を

(ポカポカお日さまが照り輝く)

昼間に変えて下さる。

だから

感謝しましょう!

「ありがとう」と言いましょう。

「ありがとう、神さま」

「私は、不平を言いません」

(^o^)

急ぎ訳したので原文を下に記します。

英語の得意な人ちゃんと訳し直して下さい。

(^_^)/ヨロシク!

「I won’t complain」

I’ve had some good days

I’ve had some hills to climb

I’ve had some weary days

I’ve had some weary nights

But when I look around

And think things over

All of my good days

They outweigh my bad days

So I won’t complain

Sometimes my clouds hang low

I ask the Lord to see them go

And then I ask the question

Lord why so much pain

But God knows what’s best for me

Although my weary, weary eyes can’t see

So I’ll say thank you Lord

I won’t complain

God’s been so good to me

The Lord has been so good to me

More than this world could ever be

The Lord has been so good to me

And he dried my tears away

And he turn all my midnights he turned them all into day

So I’ll say thank you Lord

I just say thank you Lord

I’ll just say thank you Lord

I won’t complain

☆☆

☆☆

「自分の人生、全部、自分が選んで、生まれてきて、選びながら生きている!」と

思えたら「新しき今」を生きてキラキラしてきます。

そして

「不平は、言わない人生を!」

今がどんなにつらくても

大丈夫!

不平を言わず、感謝で過ごしていれば

きっと、うまくいきますよ!

(*^_^*)

今週もお元気で!

ご機嫌よう!!

けいくう

☆☆

授かりし境遇 いさぎよく忍び はたす使命に 光る身の上

                  (田中木叉上人道詠)

(この文章は2011年6月12日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年6月4日

<再配信版 第6話 因縁乞食>

こんばんは♪

6月に入り衣替えをするとすっかり気分は夏ですね。

日も長くなりましたし汗もかくようになりました。

今日は「因縁乞食」という話をします。

昔むかし寛政(1800年)のころ京の町に乞食がいました。

この乞食はどんなにいやな目に遭っても

因縁でござりまする

というのです。

それで世間の人はこの乞食のことを「因縁乞食」と呼んでいました。

この乞食は西本願寺の階段の下へ毎朝暗いうちから起きて行って朝のおつとめの間

じっとそこにいて合掌して念仏を称えている。

そして、朝のおつとめが終わると乞食をしに町中に出かける。

そこでは、石を投げられたり、暴言を吐かれても

「因縁でござりまする」

という。

ある時、西新町六条にある近江屋の主人が酔っぱらって、うちへかえる途中

道を歩いていると小便がしたくなった。

ちょうど大きな石があったのでそれに向かって小便をした

ら、、、。

その石が動いた!!

(*゜∀゜)

よく見ると石ではなくて人でした。

因縁乞食がうずくまって寝ていたのです。

小便で目を覚まして起きたから近江屋さんビックリした。

すると、この乞食

「旦那、因縁でござりまする!」

と言った。

なんともくさい因縁です。

(^^ゞ

しかし近江屋もいくら乞食でも小便をかけたのでは申し訳ないから

「お前はそこにいたのか!」

「石だと思ったから、思わず小便をかけてしまった。申し訳ない!」

と、謝った。

(m_m)

すると乞食は

ただ

「因縁でございまする」

と言った。

それで近江屋は、感心して、何か償いをしようと考えた。お前は、たぶん、身寄りがないだろうから「もしお前が死んだら、わしが、葬式を出してやろう!」と約束した。

☆☆

何年か経って道のほとりで乞食が死んでいると店のものが近江屋の主人に伝えた。

見にいくと 例の「因縁乞食」でした。

安らかな顔をして死んでいた。

そこで約束通り近江屋はその死骸をひきとり葬儀を営んで、火葬場へ送った。

その翌日、火葬場の職人が近江屋にやってきて主人にちょっときてくれと言った。

行ってみると因縁乞食を火葬した灰がすべて紫色になっているではないか!

しかもお骨が全部、透き通ってキラキラ輝いていた!

「旦那、わしゃ、長年ここで火葬をしているがこんなことは初めてじゃ!」

薬の影響で骨が変色したり出血していると骨に色がつくことがありますが私(啓空)も透明なお骨は、見たことがありません。

(?_?)

まぁ、物語の中のお話かも知れませんが

「因縁乞食」の灰は紫でお骨は、透き通っていた。

それを聞いた京都の町中の人はこぞってその灰とお骨を分けてもらって自分のうちの仏壇に祀ったそうな。。。

(おわり)

何をされても

「因縁でござりまする!」と言えるのかと問われると

正直、できないでしょう。

(´。`)

しかし、この乞食は因縁でござりまする!で生涯を貫いた。

すべてを仏さまからのご縁で、起こってきたと受け取っているところがすばらしいです。

まさに佛教の教えの真隨のような生き方です。

その証しとして、火葬場で残った灰が紫色になって、お骨が、透き通ったのでしょう。

何があってもそれは因縁により起こったこと。

ならば仏さまは、いつも応援してくださっている。

どんなことがあっても誰と出会っても

いいましょう!

「因縁でございまする!」

今週もお元氣で!

ご機嫌よう。

台風の大雨で被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。

( -人- )

けいくう

☆☆

大悲の護念 わが上に 万難越えて みちびけり ただつらぬかん

このつとめ 苦楽は縁に まかせはて

全分を 尽くしてあとは おまかせの 気も身もかるく あぐる能率

                     (田中木叉上人道詠)

(この文章は2014年6月1日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)

2023年5月28日

<再配信版 第5話 心のお掃除>

こんばんは

新緑の香りを含んだ風が、そよそよと気持ちのいい一日でした。

(^-^)

今年、4年ぶりに5日間の別時念佛会を開催しました。

この年(2016年)も

ありました。

☆☆

先週の水曜日から今朝まで5日間の念仏会。

参加してくださったみなさまの心はすっかりキレイになりました。

「別時念仏会後の心とかけて

子供の部屋と答える。」

その心は

はい(^O^)/

「すぐ散らかる!」

^^;

お寺の北側のお地蔵さまのところに植えてある樫の葉もそうです。

キレイに掃除しても

風が強いと

翌朝は

また

いっぱい落ちています。

(現在では、1本を残して伐採して、人工竹になっています)

掃除しても、すぐに汚くなるから

しても しなくても

同じではないですか?

という質問をする人は

あまり掃除をしない人です。

すぐに散らかるにせよ

掃除をして気持ち良さを知っているのとそうでないのとは

大きな違いになると思うのです。

できれば

掃除は気づいたらこまめにしたいものです。

心の掃除は

なおのこと眼に見えませんから。

サボりがちです。

しても しなくても いいと思いますし

掃除できるの?と 思う方もあるかもしれません。

それは掃除をすればわかります。

心の掃除とは

自分の心をしっかり見つめること。

いかに雑念、妄念、邪念の波にのみこまれているかを実感することです。

そして

雑念、妄念、邪念を少しずつ払っていくと

キレイな心になっていくのです。

心の掃除ができたら声がします。

「ただいま!」って。

只今

ただ「今」です。

過去のことをクヨクヨせず

未来のことを取り越し苦労せず

今に 生きること。

悩んでいる人は

心の掃除が必要なのではないでしょうか。。。

そして

掃除をすると、自分を超えた大きな存在に気づき、仏さまと一緒に、創造的にスッキリと生きれるとおもうのです。

今週もお元気で。

ごきげんよう!!

☆おまけ☆

  昨日は昨日 もうしまい 明日は明日の 風が吹く

    今日の仕事に なりきれば 明日を乗り切る 道がつく

  一心帰命 打ち込みし ナムアミダブの 端的に

    邪気も邪念も はらわれて 獅子奮迅の 勇気わく

                         (田中木叉上人道詠)

(この文章は2016年5月1日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)