こんばんは♪
先週、さくらの話を書きました。
先人のオモイを感じながら花見をしましょうって。
(*^_^*)
こういうことを感じる感性、昔の方は、とてもすばらしいですね。
私もアンテナの感度を磨かなくてはおもいます。
(>_<)
皆さまは、桜のどこに一番魅力を感じますか?
今朝のお話では、色、あのうすいピンク色に癒される!とか散り際がいい!とか、それぞれ感想を言って頂きました。改めて、自分が桜の何が好きかを考えてから、愛でるのもいいかもしれません。
☆☆☆
私たちは目に見える世界で生きています。目に見えるから比べてしまいます。
比べるから、嫉妬したり、優越感に浸ったり、劣等感に落ち込んだり、あれができない!これがない!と、自分のことをありのまま認められない。
そして、理由を付けてはいかに自分が幸せでないかをいっています。
比較・条件の中では、調和や安らぎは感じられません。
見える世界にだけ住んでいると息苦しくなってきます。
息苦しい
↓
生きるのが苦しくなってきます。
☆
咲いた花見て 喜ぶならば 咲かせた根元の恩をしれ
花は、根っこがないと咲いてこないのです。
見える世界だけに生きているのは、根っこがない切り花の状態です。
切り花は、いくらキレイに咲いていてもあとは、枯れていくばかりですね。
それはこの身体が自分だとおもい80年ほどで、終わりをむかえて何も無くなるというのと同じではないでしょうか。
それでは行き詰まるのも無理はないです。
仏教では、仏さまの大きな懐に抱かれて今の私が存在している。誰しも仏さまになる種を持っていると説いています。
種は、大地に蒔かなければ、芽が出ません。根を張って大地から栄養をもらっていのちが続いていくのです。いのちは、与えられて生かされている。
ソメイヨシノが誰かの手によって植樹して、増えていったように
この私もお父さんとお母さんからいのちを頂いて今、生きている。いのちの根をしっかりと伸ばしていないと【無条件の愛】を感じにくいです。
自分が、「生かされている」と心底、感謝できたとき人にやさしさをプレゼントでき
人の喜びのために無条件で、尽くせるとおもうのです。いのちの根を深く伸ばすのが祈りです。
目に見えない世界のことを大切におもって心、豊かにすごせるのです。日常の生活の中で祈りの時間を持ちましょう。そうすればいろいろなおかげを感じるアンテナの感度が上がってきて、今、私がいることが申し訳なくて、ありがたくて、もったいなくて、「なんて生きているって 生かされているって素敵なんだ」と生きる喜びが湧いてくるでしょう。
我も桜なり かけがえのない 一つのいのちなり
このいのち 誇りをもって 尊く生きん
(啓空)
☆☆
桜の木も、私も、鳥も、虫もかげがえのない、いのちを授かって今、ここ に存在している。
いのちの芽吹きを感じいのちを謳歌する。
花見の季節にいのちを謳歌しないでいつするのでしょう。
今週もよろこびにあふれた一週間をすごされますように。
ご機嫌よう!!
けいくう
☆☆
一切の縁の 集まる成り行きの 大き流れに 高き意味あり
授かりし 境遇 いさぎよく しのび 果たす使命に 光る身の上
(田中木叉上人道詠)
(この文章は2015年4月12日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)