2024年2月11日

< 第1001話 屈折率>

こんばんは♪

今日は通照院のお涅槃法要(ねはんほうよう)でした。

涅槃法要とはお釈迦さまのご命日が2月15日と言われていますのでその命日の前の日曜日におつとめしております。

今日は、晴天で比較的あたたかく70名近くの方の参詣がありました。

ありがたいことです。

(*^_^*)

午前中、30分ほどですが法話をしました。

宮澤賢治の詩

『春と修羅』から

「春」は、豊かなおだやかな世界、満ち足りた安息の世界、夢や希望に溢れた世界、夏の暑さの前の清々しい世界。

これが、お涅槃の世界だと言っても良いと思います。

対して

「修羅」は、「春の世界」という理想を掲げ、すべての人とと一緒に到達したいと願いつつも、実現できず、苦悩、悲哀、焦燥に駆られた賢治の心境。

それを「おれは、一人の修羅なのだ」と言い切り

燃える願いを持ちながら、世間の無理解、身体の弱さ、欲望の激しさに災いされて、苦しむ姿を想起させます。

『春と修羅』の中の

屈折率

            宮澤 賢治

  七つ森のこつちのひとつが

  水の中よりもつと明るく

  そしてたいへん巨きいのに

  わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ

  このでこぼこの雪をふみ

  向ふの縮れた亜鉛(あえん)の雲へ

  陰気な郵便脚夫(きやくふ)のやうに

      (またアラツデイン 洋燈(ラムプ)とり)

  急がなければならないのか

                     二二・一・六

これは、賢治26才の時の詩ですが、

賢治には

あるとき、小岩井の南にある山の一つが、不思議に明るく、大きく見えたのでしょう。それは、まるで理想の世界、光輝く仏の世界、涅槃の世界。

しかし、

ふと足もとに眼を落とすと、現実世界がある。

凍ったデコボコ道。

そして、その先には亜鉛の雲。

陰気な郵便配達人のように、

どんなに激しい雨風や吹雪の日にも、困難な場所にも、指定された道を歩き、指定された手紙を配る。

賢治にとっては

その手紙は、仏の心なのに、なかなか伝わらない。

ランプとり、、、

まだ、仏の心(洋燈)を取り得ていないのか。

(法話では、アラジンの話も少ししましたが、ここでは割愛します。)

それは、今すぐしないといけないのか

どうなのか、、、

☆☆

詩を味わうのは、個人差があるので、難しいですが

外の世界がどんなであっても、内面は穏やかに、煩悩に振り回されず

過ごして行きたいですね。

そんなお話をさせていただきました。

その後は、寺庭で浄火供養をして

燃えさかる火に、去年からの白木塔婆や経木塔婆をくべて、浄めました。

まだ、もう少し寒い日が続きます。

どうぞ、お元気で!

ご機嫌よう。

けいくう

☆☆

ひらかば 散らぬ 永遠(とわ)の花 かおりも高く 咲きそむる 春まつ土の

 雪の下 のびる白根に 光 ふる

見る人もなき 岩かげに つつましく咲く ひな菊の 花 一輪に

 あめつちの 栄えあらわす 日本ばれ

                           (田中木叉上人道詠)