2023年12月17日

<再配信版 第34話 仏さまは、みてござる>

こんばんは♪

急に寒くなりましたね。

{{ (>_<) }}

お風邪、大丈夫ですか?

今日は「仏さまは、みてござる」という題です。

僧侶になりたてのころ

先生から「お参りしたあとお預かりしたお布施やご寄進があったときに中身を見てはいけません」

と言われていました。

中身によって、その人へお礼するお辞儀の角度が変わってはいけないから、と。

人は油断しているとツイツイ少しだと浅い角度で、たくさんだと深くなるものだ!と。

正直、中身を見なくても、お預かりした瞬間に中身は、想像できますが、、、

(>_<)

それ以来、どんな時もきちんとお辞儀してお預かりするようにしております。

お布施やご寄進は、私ではなく仏さまにささげられるものですから。

あくまで、お預かりするものであり

そこには自分の損得計算を入れてはならないのです。

☆☆

これは僧侶だけに限らず、たとえばレストランやお店でたくさんお金を使ってくださったお客さまがお帰りになるとき深々とお礼をして少ししかお金を使わない方にはそこまでお礼をしないというのは

どうでしょうか?

お礼は、来て下さったお客さまだけにするのですか?

そうしているように見えますが、今、お店の中にいるお客さまもその様子を見ています。

どんな方に対してもきちんと対応されるところに、人間としての器の大きさみたいなものが表れるのです。

私の母はすごく丁寧にお寺に来られる方をお迎えしお見送りします。

なかなか、マネができないほどすごいとおもいます。

もう20年近く前の話ですが、認知症の方が高丸インターの道路公団の事務所に保護されて「通照院」とだけおっしゃったので

お寺に電話がかかってきました。

少し不便なところでしたので母を車に乗せてその場所まで行きました。

するとぜんぜん知らないおばあちゃんだったのです。

(+_+)

母の顔を伺うと明らかに知らない人だわ!という顔をしています。

私は、保護管さんに「すいません。存じ上げない方なのでお力になれません」と言っていると母は、その方のところへ歩み寄り、その方と目線を合わせて

「おばあちゃん、いつ、お寺に来てくれたんかなぁ?」

「なんで、通照院って知っているのかなぁ?」

と満面の笑顔でしゃべりかけているのです。

(≧◇≦)

( ^o^)ノ

結局、どこのどなたということはわかりませんでしたが、その時の態度にすごく感心したのを覚えています。

誰に対しても笑顔で接することのすばらしさを学びました。

(*^_^*)

ですから、お寺に来られる方は「こんにちは!大奥さま、おられますか?」という方、多いです。

( ^o^)ノ

私が玄関に出ても住職ではなくお母さんに会いに来たんだよ!

大奥さまが居ないなら失礼します~!

とばかりササッと帰られます。

(>_<)

どんな時でも誰に見られていなくても

「仏さまは、みてござる!」

そして「仏さまのように、育ててくださる!」

人に褒められるためにする

誰かが見ているからする

仕事だからする

得だからする

ヒマだからする

というのと

誰も見ていないけどする!

誰にでも同じようにする!

いつでも同じようにする!

見た目は似ていますが中身には大きな違いがありますよね。

(*^_^*)

こんなこと書かなくても皆さま、よくご存じだとおもいますが、、、

☆☆

「仏さまは、みてござる!」

私に与えられたこと、私の目の前にやって来たこと、お越しになった方が

ややこしくても しんどくても つらくても めんどくさくても 損をするように見えることでも仏さまがよろこばれるなら

それはお役目!

よろこんでさせてもらいましょう!

今週もお元気で!

ご機嫌よう!

けいくう

☆☆

あけぬれば 今日も お慈悲に護られて 光のつとめ するぞうれしき

みさかえを 日びにあらわす よろこびの 職務(つとめ) イソイソ 舞う蝶のごと

                        (田中木叉上人道詠)

(この文章は2018年12月9日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)