2023年12月3日

<再配信版 第32話 鳥立つ時 >

こんばんは♪

師走となりました。

一年の終わりが見えてきましたね。

Time flies like an arrow.  でしたっけ?

光陰矢の如し

時の過ぎ行くのは、本当に早く感じます。

(゜◇゜)ガーン

先月(2012年11月)14-15日と高松市・さぬき法然寺さまでの念仏会に参加させてもらいました。

法然寺さま、本応寺の品愚上人はじめ隨喜の皆さま、お世話になりありがとうございました。

夜は、お釈迦さまがお亡くなりになる様子を「仏像」で

                     (↑↑これは、とても珍しい!)

あらわした涅槃堂で、お念仏。

翌朝は人が亡くなるときに阿弥陀如来さまが二十五菩薩さまとともにお迎えにきてくださる様子を同じく仏像であらわした来迎堂で、お念仏。

どちらも、圧倒的な迫力ですごい空間・時間を体験させていただきました。

涅槃堂は、常時、拝観できるとおもいますが、

来迎堂は、一般には年に2回、8月16日と12月31日に拝観できるそうです。

是非、参拝されることをお勧めします。

(*^_^*)

人が亡くなるとき、あのような仏さまたちがお迎えにきてくださる。

ある意味、楽しみです。

(^_^)/

今日は、インド人の死の迎え方を紹介します。

私がインドへ行ったのは、もう30年近く前ですがバナラシー(ベナレス)で

丸一日ガンジス河の川辺ですごしました。

そこでは、亡くなった方のご遺体を薪で焼いて、灰を母なる河・ガンガーに流すのです。

それが、天国へ続く道!

インド人にとっての最高の死の迎え方です。

インドでは人びとは死期をサトルと周囲の人に挨拶をしてバナラシに向かいます。

バナラシには多くのアシュラム(宿)があり無料で、人びとを迎えています。

それらの宿はマハラジャなどの裕福な方からの寄付でまかなわれています。

人びとは服に、荼毘にふす薪代を縫い付け死を待っています。

静かに、静かに、待っています。

インド人にとっては死は悲しみではなく

この人生「よく頑張った!」という祝福だそうです。

輪廻転生!生まれ変わり、死に変わりしますから。

こうした人生観・環境の中で死を待つ人の心は非常におだやかに見えました。

日本では、いかがですか?

昔は自宅で家族に見守られて看取りが行われていましたが、今はほとんど病院です。

それが、死を日常から遠ざけ死を「コワイ!」ものにしているのかもしれません。

一年の最後の月に、今年を振り返るとともに自分の最期もどうすごしたいかを考えておくと、心静かにこの人生を卒業できるのではないでしょうか?

母なる河・ガンガーの雄大な流れを見ていた日を思いだし

ゆったりと生きていきたいと思いました。

私は、法然寺でのお念仏を通して、亡くなる時には仏さま方が音楽を奏でながら、お迎えに来て下さると確信しました。

最後に、ある方のお別れの仕方を紹介します。

「皆さま、こんにちはお変わりございませんでしょうか

実は 私 十 月 六 日に旅立ちました。

お別れはとても寂しいのですが 皆さまと出会えたこと たくさんの笑顔と楽しい思い出を頂けたことは 本当に幸せでした おかげさまで 心の空は晴れて穏やかです 皆さまにはどうぞ これからも長く長く 人生を楽しんでくださいますように 今まで 本当に 本当に有難うございました さようなら」

この手紙が、亡くなってから本人の名前で友人に送られてきたのです。

亡くなった方は息子さんに日付を入れて投函するように依頼し受け取った友人には

さらにメモ書きで「みんなのおかげで楽しく幸せな最期の日々をおくることができました。ありがとう! 幸せだったから、泣かないでね!」

そして、お食事でもしてください、と金一封も同封されていたそうです。

素敵な旅立ちですね。

(>_<)

まさに、

立つ鳥あとを濁さず

といった感じでのお旅立ちです。

時には「死」に目を向けるのも大切なことです!

今週も生かされていることに感謝して元氣にいきましょう!

けいくう

☆☆

何の為 生まれけんとや なげきなん 餌(え)のみあさりし 一生の暮れ

道問えば 沙(すな)ほりやめて 浜の子は ただ笑いつつ 三日月を指す

                        (田中木叉上人道詠)

☆おまけ☆

立つ鳥あとを濁さず は 飛ぶ鳥あとを濁さず と言われることもありますが

「立つ鳥」が本来です。

「飛ぶ鳥を落とす勢い」からの混同されているのではとおもいます。

(*^_^*)