こんばんは♪
今日は写経会でした。
その時に
大西良慶和上のことをお話ししました。
ご存じですか?
年末になると今年の漢字を大きなパネルに書いておられる森清範貫首の前に京都・清水寺の貫首(住職)をなさっていた方です。
昭和の名僧の一人で昭和58年に107才で亡くなられました。
40年ぐらい前に一度お会いしたのですが
和上は小さい方で小さいお顔やさしい目が印象に残っています。
合掌なさると自然と聴衆もすっと合掌される姿が美しかったです。
今日、皆さましたお話は
関東の方のA住職が良慶和上に法話の依頼をされた時の話です。
A「良慶和上、是非、うちの寺にお話に来てくれ!
早く来てくれないと、和上も歳だからいつポックリいかれるかも
わからん。とにかく早く来てくれ!」
和上「そうせっついて言われてもワシも命が惜しいですの。それで、ことわりますの。それでもまたやって来て、せっつきますの。ワシは必死でことわりますの。それもとうとう断りきれんようになって引っ張りだされたの」
良慶節と言われた独得の関西弁で笑いが絶えいお話です。
(*^_^*)
(私も、見習わなければ、、、)
和上「このA住職は、ちょっと変わっておりますの。そこへ行くには、車で高速を8時間走ってインターを降りてからさらに2時間も走りますの。10時間も車に揺られて、そのお寺に着きましたの。ところがなぁ、ふつうなら、おつかれでございましょう!とお茶ぐらいだしましょうが。
それが 出しませんの。お茶も飲ませずに本堂に連れて行きますの。本堂にはもうお人が沢山見てますの。すぐに話せといいますの。
終わりましてナァ、ヤレヤレと思うたらの、もう一つ話してもらわにゃならんといいますの。
帰りは、途中の食堂で食べるものがありませんの。
それでなぁ、住職がごはんを炊いたものをお櫃に入れてお櫃ごと車に入れてくれましたの。
いい匂いが立ちこめているのに侍者は、車中でそんなもん出したら失礼やとおもうたのか、出してくれません。
夜になって清水寺に着いてから、そのお櫃のごはんを食べさせてもらいましたの」
一同は、笑いながら聴いていましたが
和上「あの住職は、えらい人ですの。お茶を出すことなど、どうでもいいことですの。あの人は、法を伝えることに命をかけているのですの。変わった人ではありますがの、えらい人ですの。」
こういう人からの依頼ですから十時間も車に揺られお茶も出してもらえなくてもお話に行かれたのでしょうね。
「わしも命が惜しいですの」などと言われていても法を伝えるためなら和上も命など惜しいと思われていないに違いありません。
和上
「それでなぁ ワシも覚悟を決めた!死ぬ気で行ってこよう、そう思いましてな、清水の観音さまにお願いしまして、観音さまこの旅で死ぬものなら、死なしてくださいまし、生きるものなら、生かしてくださいまし、とな。
こう観音さまにお願いしまして、万事観音さまにおまかせで行って来ましたの。
楽なもんですの」
最後の
「楽なもんですの」
これがすごい言霊ですね。
法を伝えることに、命をかけている住職さんもすごいですが、、、
それに応えた100才を越えられた良慶和上は本当にすごいですよね。
☆☆
良慶和上の生きざまから、何かを感じませんか?
この人生、何をするために生きていますか?
何に覚悟を決めていますか?
写経会にご参会の方に問いかけ自分自身も考えました。
皆さまは、如何でしょう?
☆☆
今週の半ばから寒くなるようですね。
お風邪を引かないようにまた、インフルエンザにも気をつけて参りましょう!
今週もお元気で!
ご機嫌よう!!
けいくう
☆☆
大願の海 疾風(はやて)吹く ちぎるる雲間見よ 光 空うつなみは
波まかせ いざ乗りきらん まっしぐら
大悲の護念 わが上に 万難こえて導けり ただつらぬかん
このつとめ 苦楽は縁に まかせはて
(田中木叉上人道詠)
(この文章は2017年11月12日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)