今月は善悪と感謝について考えていました。
何が、善か。
何が、悪か。
師匠の空外先生はシンプルに悪とは「自分勝手」をすること!と、おっしゃっていました。
さすがです。
\(^O^)/
その自分が無くなってこそ、自分も相手もよろこぶ。
これが、善だと。
ェ(__)ェ
☆
法事の席で子どもさんがいると尋ねることがあります。
たとえば、お兄ちゃんが茶碗を割ってしまった。
それを見つけた妹が「アッ!お兄ちゃんが茶碗を割った!!」と大声でいうと
お兄ちゃんは「しまった、悪かった!」とは謝らない。
たいてい「うるさいっ!」とか「何が悪い!」と云って虚勢をはって誤魔化すこともある。
子どもだけではなく、親でもある。
「ウソをついてはいけません」というお母さんが
訪問販売が来た時など、「ちょっと、今、お母さんは居ません、と云って」と子どもに言う。
(^0^;)
「お母さんもウソつきだ~」とでも言うものなら「お母さんは、大人だからいいの!」などとわからないことをいう。
こうして悪いことをしてさらに怒ること、誤魔化すことは善いことですか?
と、聞くと子どもは、首をふる。
悪いことですか?と、聞くとおもいっきりうなずく。
では、悪いことをして謝るのはどうですか?と、聞くと不思議な顔をする。
悪いことをしてあやまるのは当たり前のこと。
善いも悪いも言えないからだろう。
(>_<)
では善いことをして威張る(ドヤ顔をする)のは善いことですか?
と、聞くと善いことをしたのだから善いのかなぁという顔をする。
だけど、ちょっとひっかかっているみたいだ。
では、これが本題。
善いことをしてあやまるのはどうですか?
と聞くと
さらに不思議な顔をする。
(>_<)
なぜ、善いことをしてあやまるの?と思っているから。
だけどこれが実は、最も善いことだとおもいます。
善いことをしてあやまる。
これは善いことをして恩に着せない。謙遜していることです。
☆
福島正伸先生が、よく言われていた言葉が「人によろこぶことを全力でして」
「あの~、どちらさまですか?」と聞かれたときに
「いや~、ただの通りすがりのものです!」と、その場を立ち去る!
これが最高にクールなこと!だと。
例えば交差点で白い杖をついた方が小さい声で「誰か~?」と助けを求めている。
なかなか近づく勇気がない人たちのなか、交差点の向こうから、一人の青年がスタスタッ!と近づいて「何か、お困りですか?」と声をかける。
そうすると「郵便局に行きたいのです」
すると時計をチラッとみて「僕も、ちょうど郵便局に行くところだったのです!」
と腕を引いて自分が渡ってきた交差点を戻って案内していく。
そして、サッと引き返す。
「ありがとうございました。」
「助かりました。」
「どちらさまですか?」
青年「いや、ただの通りすがりのものです!」って。
(*^_^*)
1.悪いことをして威張る 「カッコ悪い」
2.悪いことをしてあやまる 「人として当たり前」
3.善いことをして威張る 「カッコよくない」
4.善いことをしてあやまる 「カッコ善い!」
善いことをして謝(あやま)る。
これが謝を感じること。
感謝!です。
(*^_^*)
しっかりと「あやまれる」こと大切です。
感謝多き、一週間を!
けいくう
☆☆
やむにやまれぬ 大願の 道は一筋 まっしぐら つらくもつらい時こそは お役にたっている証拠
一心帰命 うちこみし ナムアミダブツの 端的に 邪気も邪念も はらわれて 獅子奮迅の 勇気湧く
(田中木叉上人道詠)
(この文章は2014年10月26日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)