2023年10月29日

<再配信版 第27話  善と感謝>

今月は善悪と感謝について考えていました。

何が、善か。

何が、悪か。

師匠の空外先生はシンプルに悪とは「自分勝手」をすること!と、おっしゃっていました。

さすがです。

\(^O^)/

その自分が無くなってこそ、自分も相手もよろこぶ。

これが、善だと。

ェ(__)ェ

法事の席で子どもさんがいると尋ねることがあります。

たとえば、お兄ちゃんが茶碗を割ってしまった。

それを見つけた妹が「アッ!お兄ちゃんが茶碗を割った!!」と大声でいうと

お兄ちゃんは「しまった、悪かった!」とは謝らない。

たいてい「うるさいっ!」とか「何が悪い!」と云って虚勢をはって誤魔化すこともある。

子どもだけではなく、親でもある。

「ウソをついてはいけません」というお母さんが

訪問販売が来た時など、「ちょっと、今、お母さんは居ません、と云って」と子どもに言う。

(^0^;)

「お母さんもウソつきだ~」とでも言うものなら「お母さんは、大人だからいいの!」などとわからないことをいう。

こうして悪いことをしてさらに怒ること、誤魔化すことは善いことですか?

と、聞くと子どもは、首をふる。

悪いことですか?と、聞くとおもいっきりうなずく。

では、悪いことをして謝るのはどうですか?と、聞くと不思議な顔をする。

悪いことをしてあやまるのは当たり前のこと。

善いも悪いも言えないからだろう。

(>_<)

では善いことをして威張る(ドヤ顔をする)のは善いことですか?

と、聞くと善いことをしたのだから善いのかなぁという顔をする。

だけど、ちょっとひっかかっているみたいだ。

では、これが本題。

善いことをしてあやまるのはどうですか?

と聞くと

さらに不思議な顔をする。

(>_<)

なぜ、善いことをしてあやまるの?と思っているから。

だけどこれが実は、最も善いことだとおもいます。

善いことをしてあやまる。

これは善いことをして恩に着せない。謙遜していることです。

福島正伸先生が、よく言われていた言葉が「人によろこぶことを全力でして」

「あの~、どちらさまですか?」と聞かれたときに

「いや~、ただの通りすがりのものです!」と、その場を立ち去る!

これが最高にクールなこと!だと。

例えば交差点で白い杖をついた方が小さい声で「誰か~?」と助けを求めている。

なかなか近づく勇気がない人たちのなか、交差点の向こうから、一人の青年がスタスタッ!と近づいて「何か、お困りですか?」と声をかける。

そうすると「郵便局に行きたいのです」

すると時計をチラッとみて「僕も、ちょうど郵便局に行くところだったのです!」

と腕を引いて自分が渡ってきた交差点を戻って案内していく。

そして、サッと引き返す。

「ありがとうございました。」

「助かりました。」

「どちらさまですか?」

青年「いや、ただの通りすがりのものです!」って。

(*^_^*)

1.悪いことをして威張る  「カッコ悪い」

2.悪いことをしてあやまる 「人として当たり前」

3.善いことをして威張る  「カッコよくない」

4.善いことをしてあやまる 「カッコ善い!」

善いことをして謝(あやま)る。

これが謝を感じること。

感謝!です。

(*^_^*)

しっかりと「あやまれる」こと大切です。

感謝多き、一週間を!

けいくう

☆☆

やむにやまれぬ 大願の 道は一筋 まっしぐら つらくもつらい時こそは お役にたっている証拠

一心帰命 うちこみし ナムアミダブツの 端的に 邪気も邪念も はらわれて 獅子奮迅の 勇気湧く

                                (田中木叉上人道詠)

(この文章は2014年10月26日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)