こんばんは♪
昨日は、お寺でコロナ禍で出来ていなかった
子ども向けのイベント「お寺たんけん・たいけん」を行いました。
たくさんの子ども達が来てくれて、楽しい時間でした。
最近の子ども達は、花火をする場所も機会も少なくっているようで
とてもよろこんでくれました。
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今日は
三蔵法師のお話です。
三蔵というのは
経蔵(お釈迦さまの教え)・律藏(仏教教団の規律)・論蔵(お経の解説書)
の三つをマスターした方の称号です。
日本では西遊記の玄奘三蔵が有名ですが
玄奘(げんじょう)の他にも
『阿弥陀経』や『妙法蓮華経』『維摩経』『大智度論』『中論』など日本人に愛される経典を訳している鳩摩羅什(くまらじゅう)
『倶舍論』や『摂大乗論』など、やや難しい文献を訳している真諦(しんたい)
密教を唐に定着させた不空金剛(ふくうこんごう)
なども
三蔵法師と呼ばれています。
日本人でも空海・最澄などと一緒に遣唐使で中国に渡った霊仙(りょうせん)は
三蔵法師の称号をもらっています。
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しかし
玄奘三蔵はインドへの旅を日記『大唐西域記』に記しました。
これは、近代、インドへイギリスなどの探検隊も参考にしたと言われるぐらいの正確さでした。
また、それがもとに、小説『西遊記』ができました。
これで、玄奘がすごく愛され、有名になったのですが、
その中に出てくる孫悟空(そんごくう)・猪八戒(ちょはっかい)・沙悟浄(さごじょう)は
貪瞋癡(とんじんち):むさぼりの心・いかりの心・おろかさの心だとも考えられます。
中国からインドへの旅をつづけて、天竺(てんじく)まで行き経典を持って帰るには
その三つの心を押さえないと成功しなかったとおもうのです。
☆
三つの心を押さえるとは
「自分の中に、貪瞋癡があることをちゃんと認めて、自分の都合を一旦、横に置いておく」こと。
☆
玄奘は長安の都を死にものぐるいで脱出し隣町に行きます。
そこには、皮膚がただれた老婆がいました。老婆は玄奘に、いいます。
「私の病気は、徳の高い僧侶に膿を吸い出してもらうと、助かるといわれている。だから、どうか私の膿を吸い出して下さい」と。
玄奘は、私にはインドまで行って、尊いお釈迦さまのみ教えを取ってきて世に広めるという夢がある!ここで老婆に関わると、その病をもらって、死んでしまうかも知れない!と、迷ったと思います。
しかし、ここでこの老婆を救えずして、何が、世のために経典を流布だ!と勇気を出して、「お婆さん、膿を吸い出してあげましょう!と口を持って行きます」
すると老婆の姿は、観音さまになって、玄奘に
これから苦しいとき、ピンチの時はこの偈文を唱えなさいと
「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」
(ぎゃーてい ぎゃーてい はーらーぎゃーてい はらそうぎゃーてい ぼでぃそわか)
という『般若心経』の最後の偈文を授けて、消えてしまった。
玄奘は苦しいとき、ピンチに陥ったときに「ギャーテイ ギャーテイ……」とやっていたのでしょうね。
「行こう、行こう、みんなで行こう、華の故郷、理想の世界へ」
かなり意訳(;゜ロ゜)
そしていざ、天竺のお寺についたとき、安置してある観音さまのお顔をみると
あの時の老婆の変化身だったそうです。
(*^_^*)
また『大唐西域記』を読みますと○○国では、滞在90日。
とか△△国では、滞在半年。とか書いてあります。
すっと通り過ぎるのではなく、その国の王さまの依頼によって国民に仏教を説かれていたのです。
だから行きしなはすごく時間がかかり、帰りは早く帰ってきています。
これも玄奘が「私には、経典をインドから中国へ持ち帰る」という大儀名分があるから、あなたの依頼は受けられませんと国々の王さまに言っていれば、たぶん、志半ばで、旅が終わっていたのではないでしょうか。
国の王さまは、自国の民がしあわせに豊かに暮らせるように仏法を説いてもらった。
だから、玄奘三蔵一行を庇護・擁護したとおもいます。
大きな理想があっても目の前の一歩を大切にすること。
三蔵法師の生き方から、学びたいとおもいます。
目の前のことに、一生懸命!
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暑い時期ですから一日、一つでも心を込めてやりましょう。
後は、のんびりだらりでもいいではありませんか。
熱中症、くれぐれもご注意を!
けいくう
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力なき身を 投げ出して まもるミオヤを 念ずれば
久遠大悲のみ力が わが身 心に みちわたる
大みちからを ちからとし いさむ心の 奮いたち
ナムアミダブのかけ声で 出来ないからぞ やってみる
(田中木叉上人道詠)
(この文章は2013年7月28日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)