こんばんは♪
法然上人ご法語(後編 第八章)に
「安心起行(あんじんきぎょう)」があります。
其れ浄土に、往生せんと、思はば心と行との、二つ相応すべき也。
かるが故に、善導の釈に、但し、その行のみ有るは、行即ち、一人にして、又、至る所無し。
只その願のみ有るは、願即ち、虚しくして、又到るところ無し。
必ず、願と行と、相助けて、なすところ、皆剋すといへり。
およそ、往生のみに限らず、聖道門の、得道を、求めんにも、心と行とを、具すべしといへり。
発心修行と、名付けるこれなり。今此の浄土宗に、善導の如きは、安心起行を名付けたり。
「安心」は、一般的には「あんしん」と読んでいます。
では
「あんしん」と「あんじん」とは、何が違うのでしょうか?
法語の最後にも書いてありますが、
この安心起行(あんじんきぎょう)というのは、中国の善導大師が名づけられました。
まず
極楽浄土に、往生するためには、
「極楽に往きたいと願う」ことと
「実際に行動する」こと
この二つが必要です。
これは
どんな目標を達成することにも言えますよね。
目標をたてて
努力する。
目標だけでもダメだし
やみくもに努力だけをしてもダメ。
目標を定めて、そこに向かって、正しい努力をすることが
大切です。
☆☆
先日、「ブルージャイアント」という映画を観ました。
仙台に住む主人公の青年は、高校からジャズに魅せられ、世界一のテナーサックスプレーヤーになろうと、毎日、毎日、寒い雪の降る日も、練習に励みます。
高校を卒業して、東京へ出て、仲間を見つけ、東京で一番、格式の高いジャズのお店での演奏を目標に日々、取り組み、為しえていくという話です。
ちょっと簡単に書きすぎていますが。。。
(>_<)
主人公の青年は、ステージに立つ時には、「自分は世界一だとおもって、恐れず思い切り、その時の精一杯をつくしています」その心のあり方は、本当にすばらしいです。
「自分は、世界一のサックスプレーヤーになる」という願い
「毎日、毎日、練習に取り組む」という実践
この二つで、ドンドンと目標に向かって進んで行きます。
原作のコミックも映画も、とても素晴らしいです。
オススメです。
☆☆
コノ世での夢・目標を達成することは、とても意義のある大切なことですが
たとえば、オリンピックで金メダルを獲得すると、そのあと燃え尽きる方も居られます。
コノ世は、泡沫(うたかた)の世界。
諸行無常の世界。
コノ世での一時の心の安らぎの状態を
安心(あんしん)と言っているのだとおもいます。
それに対して
安心(あんじん)は、死んでからもずっと続いて行くもの。
私の「心」を
仏さまの願いの中に、「安」置する。
それが「安心(あんじん)」です。
安置すると→安定して→安楽(お浄土の生活)になる。
それは、一時的なコノ世的なものではなく
死んでからもずっとつづくものです。
身体があるだけが人生だとおもって、生きていくのと
人生、身体がなくなってからもあるとおもって生きているのでは
通過地点の力が違いますよね。
100m走で、100m丁度で止まるのと
100m走りきったあと、徐々にスピードが落ちて120mぐらいで止まるのとでは
100mを通過するときの早さが違うと同じように。
(*^_^*)
念仏行は、安心を得るための
すばらしい行です。
与えられたこの人生を精一杯生きる、生き抜くためにも
念仏とともに、安心の中で、すごしていきましょう。
今日も
ご覧下さいまして、ありがとうございました。
花冷えとも申します。
お身体にお気を付けてお過ごし下さい。
ご機嫌よう!
けいくう
☆☆
おじひの中に いさぎよく つとめしつかれ こころよき
感謝に心 みちたらい やすむおじひの ひざの上
微妙荘厳(みみょうしょうごん) 無辺際(むへんざい) ひれ伏し拝む 尊さに
不思議ごころの 新天地 澄みし流れの 路(みち)かわる
(田中木叉上人道詠)