2023年3月26日

<第996話 総願偈>

こんばんは♪

先週月曜日、大阪のお寺に新しく住職になられる方の入山式があり

出かけました。

その時にお会いした中国から日本の佛教を学びに来られている素敵な尼僧さまJさんに

お会いしました。

少しお話して、また通照院にもお越し下さい!

と言いましたら、

J「ハイ。必ず行きます!」と

お返事くださいました。

そうしたら

今日の朝の念仏会に京都から始発に乗って、来て下さいました。

ありがたいですね。

有言実行

すばらしいです。

そして

朝の法話を聴いてくださった

感想に

佛教を学びはじめた頃

総願偈(一般には四願誓願)の順番に疑問を持ちました。

総願偈とは、仏・菩薩が持つ誓いのことですが

一、衆生無辺誓願度

生きとし生けるものは、数限りないけど、すべてを救いたい。

二、煩悩無辺誓願断

煩悩は、ドンドン溢れてくるけど、誓って断ち切っていきたい。

三、法門無尽誓願知

仏さまのみ教えは尽きることがないけど、残らず学びたい。

四、無上菩提誓願証

仏さまのサトリは、遙か高みにあるけど、そこまで到達したい。

五、自他法界同利益

自分だけでなく、周りのひとも同じように仏さまの世界で利益を受けて

六、共生極楽成仏道

皆共に、極楽にて、仏さまへの道を完成させますように!

この一番と二番が、順番を入れ替えた方がいいのではとおもったというのです。

自分が煩悩まみれでは、周りの人を救うことなんてできないから。

自分を浄めるのが先だとおもう。

そう言われると、そういうように考えられるなぁとおもいました。

ですが、

私はその質問を聞いておもいました。

人は、「自分のためだけに」では、力を出しにくい。

周りの人のためにだと、頑張れる。

ご主人を亡くされた奥さまが、料理をする気がなくなったと言われていました。

主人や子どものためなら、自分がしんどくても台所に立って、料理を作るけど、

自分だけだったら、しんどいときは残り物をチン!するか、インスタント食品だけでもいい、と。

そういうものですよね。

(*^_^*)

最近、ボクシングの井上尚也選手の番組を見ましたら

同じようなことを言っていました。

井上尚也が闘う意味は何でしょう?

宿命を背負っているから。

それは

自分一人のためではない。

すべての人達のおもい

いろんなものを背負っているから

だから、やめられない。

誰からも期待されなければ

プロとしてやっている意味が無い。

☆☆

人は多かれ少なかれ、オモイを背負って生きている。

それを感じ。

お世話になっていることに報いさせてもらおう

周りの方々に笑ってもらおう

という、その気持ちが

自分の煩悩を押さえる役割をしてくれる。

だから、

まずは、周りの人に幸せを感じていただけるように、生活する。

気がつけば、自分の煩悩も少しは、減っている(気がする)。

この「気がつけば」というのが

自分で自分の座っている座布団を持ち上げられないように

自分の中にある煩悩を自分ではいかんともできず、仏さまに救っていただいているということを意味しているのだとおもいます。

自分のことは、後にして。

日本人は、そういう生き方をして居られる方が多いから、きっと

アナタもそうでしょうけど、、、。

自分のワガママを感じたら、一旦立ち止まって、利他の心を確認する。

周りの方の幸せの為に、何ができるのか。

それを考えて

周りの方が笑って、楽しくすごせるように、心がけてみましょう。

桜の花が咲いてきました。

花は、すばらしいですね。

意図していなくても

見る人を幸せにしてくれるから。

それこそ

菩薩のよきお手本ですね。

今週もお元気で!

ご機嫌よう!

けいくう

☆☆

見る人もなき 岩かげに つつましく咲く ひな菊の

  花一輪に あめつちの 栄えあらわす 日本ばれ

一心帰命 うつこみし ナムアミダブツの 端的に

  邪気も 邪念も はらわれて 獅子奮迅の勇気わく

お慈悲のなかに いさぎよく つとめしつかれ こころよき

  感謝に心 満ち足らい やすむお慈悲の ひざの上

                (田中木叉上人道詠)