2022年1月30日

<第936話 元服>

こんばんは♪

今は、受験真っ最中ですね。

今日は

東井義雄先生から教えて頂いたお話を紹介したいとおもいます。

 「元服(げんぷく)

 僕は今年3月、担任の先生から奨められて、A君と2人、○○高校を受験した。

○○高校は、私立であるが、全国の優等生が集まってきている、いわゆる有名高校である。担任の先生から、君たち2人なら絶対大丈夫だと思うと、強く奨められたのである。僕らは得意であった。父母も喜んでくれた。先生や父母の期待を裏切ってはならないと、僕は、もうれつに勉強した。

 ところが、その入試で、A君は期待通りパスしたが、僕は落ちてしまった。得意の絶頂から、ナラクの底へ落ちてしまったのだ。何回かの実力テストでは、いつも僕が一番で、A君がそれに続いていた。それだのに、その僕が落ちてA君が通ったのだ。成績の下の方が通ってしまったのです。

 誰の顔も見たくない。みじめな思い。自分の部屋に閉じこもっている僕のために、父母が僕の好きなものを運んできてくれても、やさしい言葉をかけてくれても、それが、みんな余計に癪にさわった。何もかも叩きこわし、引きちぎってやりたい怒りに燃えながら、布団の上に横たわっている時、母が入ってきた。

 「Aさんが来てくださったよ」

 僕は言った。

 「母さん、僕は誰の顔も見たくないんだ。特に世界中で見たくない顔があるんだ。世界中で一番憎い顔があるんだ。誰の顔か言わなくたってわかっているんだろう。帰ってもらってくれ」

 母は、言った。

 「せっかく来て下さっているのに、母さんにはそんなこと言えないよ。あんたたちの友達の関係って、そんなに薄情なものなの。ちょっと間違えば、敵・味方になってしまうような薄っぺらいものなの。母さんにはAさんを追い返すなんてできないよ。イヤならイヤでそっぽを向いていなさいよ。そしたらお帰りになるだろうから」

 といっておいて母は出て行った。

 入試に落ちたこのみじめさを、僕を追い越したことのないものに、見下される。こんな屈辱ってあるだろうかと思うと、気が狂いそうになった。二階にあがって来る足音が聞こえる。布団をかぶって寝ている。こんなみじめな姿なんて見せられるか。胸を張って見据えてやろうと、僕は起き上がった。戸が開いた。中学の3年間いつも着ていたよれよれの服のA君。涙をいっぱいためたA君が、くしゃくしゃ顔で、

 「B君、僕だけが通ってしまってごめんね……」

 やっとそれだけ言ったかと思うと、両手で顔をおおい、駆け下りるようにして階段を降りていった。

 僕は恥ずかしさでいっぱいになってしまった。思い上がっていた僕、いつもA君になんか負けないぞと、A君を見下していた僕、この僕が合格して、A君が落ちたとして、僕はA君を訪ねて、僕だけ通ってしまってごめんねと、泣いて慰めに行ったろうか。ざまあみろと、余計思いあがったに違いない自分に気づくと、こんな僕なんか落ちるのが当然だったと気がついた。彼とは人間のできが違うと気がついた。通っていたら、どんな恐ろしい一人よがりの思い上がった人間になってしまったことだろう。

 落ちるのが当然だった。落ちてよかった。本当の人間にするために、天が僕を落としてくれたんだとおもうと、悲しいけれども、この悲しみを大切に出直すぞと、決意みたいなものが湧いてくるのを感じた。僕は今まで思うようになることだけが幸福だと考えていたが、A君のおかげで、思うようにならないことのほうが、人生にとっても、もっと大事なことなんだということを知った。昔の人は15歳で元服したという。僕も入試に落ちたおかげで、元服出来た気がする。

                『自分を育てるのは自分』(東井義雄著)より

☆☆

思うようにならないことのほうが、人生にとっても、もっと大事。

本当の人間にするために、天が僕を落としてくれた。

僕も入試に落ちたおかげ。

こう言えるBくんは、すばらしいですね。

本当の人間になろうとおもえたときが、元服。

それは、自分に与えられた課題にきちんと取り組もうとするところからはじまります。

そして、その課題は、出来ないことは、手を変え品を変え、出来たことは次の自分へなるために、天は与え続けてくれるのでしょう。

「○○のおかげ」と言えたときに、人は一つ、本当の人間に近づける。

私も、今の課題に心して、取り組んでいきます。

受験生、がんばって。

受験が終わった方も、人生の課題、放り出さないようにしましょう。

1人で辛いときは、お寺へお越し下さい。

仏さまもいてくださいますし、

微力ながら一緒に、手を繋いでいけるところは、お伴させて頂きます。

今週もお元気で!

ご機嫌よう。

けいくう

☆☆

 まだはえぬ 子をはわせんと み手かさね 育ての慈悲に 力ずく我

 上もなき のぞみをとぐる為の今日 息するなかれ 念ぜぬ時は

 し得ねども 手はひけぬこと 手にあまり いのる誠に さずかる力

                            (田中木叉上人道詠)