2021年5月16日

<第899話 他力の話>

こんばんは♪

新緑がキレイだなぁ~と思っていたら

もう九州・四国は、梅雨入りですね。

神戸も今日は、梅雨のようなお天気でした。

明日ぐらいに梅雨宣言がでるかもですね。。。

なんか早くないですか?

(>_<)

☆☆

毎朝のおつとめで、法然上人のご法語を日めくりのようにその日にあたる章を拝読してます。今日は16日なので、第16章を。そしてそれを簡単に解説しています。

第十六 他力念仏

念仏の数を多く申すものをば、自力を励むということ、これまた、ものも覚えず、浅ましき、僻事(ひがごと)なり。

という言葉ではじまります。

印度仏教史で第二の釈尊とも言われる龍樹菩薩の『十住毘婆沙論(じゅうじゅびばしゃろん)』という書物の「易行品(いぎょうほん)」に、仏道修行をするのに険しい山道を登って山頂の仏さまのところにいく難行道と阿弥陀さまの本願の船に乗せてもらって仏さまの岸に渡してもらう易行道があると説かれています。

難行

限られた人だけが行える難しい修行。

易行

誰でもできる易しい修行。

これをもとに曇鸞(どんらん)大師が、自分で山登りする自力の修行、阿弥陀さまの本願の船に乗せてもらう他力の修行といいました。

法然上人のころに、自力だ!他力だ!というような議論があったんだとおもいます。そして、念仏を熱心にずっと称えるのは、自力の修行ではという声に、

法然上人が「物事がわかっていない、浅はかな、つつしむべきこと」と言っています。

僻事!というのは、法然上人が弟子を戒める時に使われる厳しい言霊です。

特には、思い上がるな!傲慢になるな!という時に、言われています。

第16章のご法語は、以下、このようにつづきます。

少し省略して、現代語で、書きます。

ただ一念二念を称えても、自力の心だとおもっている人は、自力の念仏です。

千回も一万回も一日に称えていても、朝に晩に、毎日毎日、称えていても、謙虚に阿弥陀さまの願力を仰いで、称えている人の念仏は自力とは言わないのだ。すなわち他力の念仏だ。

と。

今朝、後ろで一緒にお念仏している母に尋ねました。

私「人は、自分がエライから、心臓を自分で動かしているの?」

母「違う。阿弥陀さまに動かせてもらって、生かしてもらっている!」

と力強くハッキリといいました。

そうなんですよ!

自分で心臓を動かしている人は、いません。

動かすどころか、その動きをコントロールできる人もたまにいます(映画ガイヤシンフォニーに出演していた登山家ラインホルト・メスナーや素潜りのジャック・マイヨールなど)が、私を含めほとんどの人は、コントロールできません。

いのちを授かってから、動かしてもらっています。

もうそこには、自力なんて、どこにも入る余地がないようにおもいます。

生かされているいのちに気づいたら、そこはもう他力の世界!

他力の世界をきちんと生きている方は、謙虚さをよく知っていて

すべてのいのちに敬意を払っている。

その世界が念仏の修行と共に、広がって行くようにおもいます。

まずは、生きている!

→自分が稼いだ金で、自分の好きなことをして何が悪い!とか、おっしゃる方の世界。

から

「生かされている!」

→この心臓を動かして下さっているのは、阿弥陀さま。すべてのいのちは尊いと実感している世界。

仏道修行の第一歩は、

損得計算をする自分

人と比べて、得意になったり、落ち込んだりする自分

他人をうらやましがる自分

すぐ怒る自分

見栄をはりたい自分

偉くなりたい自分

ものごとにこだわりすぎる自分

もとごとをほしがる自分

自分勝手な自分

小さな小さな自分

悲しみにくれる自分

さびしがりやな自分

こわがりな自分

それらを自分でなんとかしようとするのではなくて

そんな自分を認めてそれでも仏さまは、許して下さって手を差し延べて下さっている。

そのことを信じ、

他の人にも敬意をもって

阿弥陀号に乗るキップを手にして

(南無阿弥陀仏と念仏すること)

阿弥陀号に乗せてもらって

みんなと一緒に手を取り合って、人生を楽しく、こころ豊かに、旅していきましょう!

せっかく、賜った命

生かされている命

精一杯、仏さまからの光をもらって、輝かせてもらいましょう!

今週も、お元気で!

ご機嫌よう!

けいくう

☆☆

  すくいの船に 乗りぬれば わがつく岸は さだまれり 憂き世のことは 因縁の 津々浦々の 風まかせ

  大本願の 船なれど 心ゆるすな 胸のうち 貪欲瞋恚(どんよくしんに) 煩悩の 高瀬の波の あるうちは

                            (田中木叉上人道詠)

おまけ

アイキャッチ画像は、実るまえに落ちた梅の実。(を掃除して集めたところ)
生きようとおもっても、生きられるかどうかは、仏さま次第。
他力ですね〜!