2021年2月14日

<第886話 もうこりた!>

こんばんは♪

今日は
通照院の涅槃法要でした。

コロナ禍の影響で、お寺のでの飲食を控えさせていただいているので
お昼過ぎからの法要でした。

12時半から30分ほど
お話をして

ご詠歌の奉納があり

塔婆回向のおつとめ

そして
寺庭に出て、浄火供養。
不要な仏具や白木位牌、法要での塔婆を
浄めて、炊き上げました。

あたたかい好天に恵まれ

三密を避けながらも
50人ほどが集って
共に手を合わせました。


お話では
『涅槃経』の中の
雪山偈を取り上げ
それを訳したのが「いろは歌」になるということと

南無阿弥陀仏

もうこりた!

のお話をしました。

お釈迦さまがおっしゃったのは

諸行無常 是生滅法

すべてのものは移ろい変わりゆく

生まれたら滅していくのがコノ世の道理

ということ。

いろは歌でいうと

色はにおへど
散りぬるを
我が世 誰そ
常 ならむ

というところです。

色は、姿形あるものは

華開いて、芳しい匂いを放っていても
やがて散っていくもの、、、

私が生きているコノ世で
ずっと変わらないものがあるだろうか、、、

同じことを言っていますね。
(*^_^*)

そして
有為の奥山 けふこえて

浅き夢みし
酔ひもせず

有為というのが

私が
私が
というエゴの世界です。

それを
夢を見たり
酔っ払っていたりせず
地に足つけて

今日(今)越えていくのです。

☆☆

私が

私が、、、


言っていなくても

どこかで
そのオモイがあると

これしてあげたのに、、、

お礼も言ってくれない、、、

これしてあげたから
(これほどのことを為しえたから)
皆んなにスゴイと褒められたい!

自分を認めてもらいたい

と、どこかで
思っているのが、この私です。

感謝されるためにしているわけではない!

言っていても
やはり感謝されるとうれしいです。

だ け ど

有為の世界で
生きていると

そんなはずではなかったのに、、、


行き詰まることもあります。

思わぬ所で、人を傷つけることもあります。

そして

もう懲りた!

と言って、

すねてしまったり
怒ってしまったり
やめてしまったり

します。

私が
私が、、、

は、もう懲り懲りでしょう。
(>_<)

☆☆
南無阿弥陀仏と称えると

自分がエライから
これが出来ている!というオモイが

いや、ちょっと待てよ?

みんなのおかげではないか!

と、気づかせてもらえます。

無自性(むじしょう)といいます。

自分がエライのではないということです。

おかげさまの世界に入っていきます。

そこには
エゴがだんだんと少なくなります。

その世界は

もうこりた!

もう こりた!

ではなくて

もうこ りた!

の世界です。

漢字で書くと

<忘己利他>

おのれを忘れて、他の人によろこんでもらう。

おのれを忘れて


大切です。

別に自分の手柄にならなくても
いいんです。

誰かが、、、

仏さまが、、、

私の目の前の人を喜ばせてくれたら、いいのです。

ついつい
自分がしたい

自分が、自分が、、、


出てしまいますが、

もう懲りましょう。。。

忘己利他
で、いきましょう。。。

そうしたら
自分の計算でしか見えていなかったちっぽけな世界が

大きな大きな仏さまの世界で
展開していきます。

それは、自分の想像を遥かに超えた世界です。

だから
阿弥陀さまのことを「無量」はかれない、限りが無いというのです。


忘れようとしても
すぐに、エゴくんは
顔を出してきます。

だから、どんな時でも
南無阿弥陀仏

自分がエライのではないぞ!

仏さまのおかげだ!

皆さまのおかげで!

と、
己を忘れていくのです。

それが
無為の世界です。

お釈迦さまがおさとりになった世界です。

少しでも、近づきたいです。

そのためには
お念仏しましょう!

すべてを仏さまに
おまかせしましょう!

自分で、善い悪いを決めつけないで、、、

自分の見える世界で、限界を作ってしまわないで、、、

下を向いていないで、顔をあげて

大きな命の世界に、身を委ねましょう!

きっと青い青いお空が
限りなく広がっていきますよ。
(*^_^*)

今週も、お元気で!

けいくう

☆☆
罪にほろびし わが身には 外にたよらん 方もなく 闇より闇に落つべくを この度 本願(すくい)の縁にあい

大悲のみ手に おさめられ さすみ光に 融け合いて 永遠(とわ)の寿(いのち)に生くる身を 職務(つとめ)はげみて 感謝する

うきわずらいも よろこびも み親に負(おわ)れし 我なれば よかれよかれの み心に まかせ果てたる わが身には

照るもお慈悲 降るも慈悲 護念(まも)らせ給う みちからを 力に苦楽を 超え精進(すす)む 命の綱の 南無阿弥陀

「光明聖歌<おじひの頌>」より