2021年1月17日

<第882話 震災27回忌>

こんばんは♪

今日は、阪神淡路大震災から丸26年。

仏事でいう27回忌でした。

朝4時すぎに起きて、準備して
5時半から震災の祈りを捧げました。

26年前の震災の朝は、
<5時46分> 
ドーンという音とともに
飛び上がった感じがして
反射的に、隣で寝ていた家族の上に覆い被さりました。

すぐさま激しい揺れがきて、食器がガチャガチャ落ちて割れる音がしていました。
真っ暗になり、しばらく動けませんでした。

揺れがおさまると
その闇の奥から
ガスをつけるときに
ボタンをオスとチッ、チッ、チッ、チッ
と鳴る音が響いていました。

懐中電灯で、部屋を照らし、割れた食器の上を進んで
レンジの前に行き、倒れていた食器棚を反対側に押しやり音をとめました。

それにしても電気が消えて、真っ暗。
しばらく布団でジッとしていました。

7時前になり、ようやく明るくなってきて、本堂に向かいました。

そこは、悲惨な状況でした。
壁は落ちている、仏具はあちこちに飛び散っている。
位牌は、ドミノのように、倒れている!

しかし、ご本尊さまの前にお供えしているお茶とお水のコップは、こぼれていなかったんです。

不思議なことです。

が、それを見た時。「だいじょうぶ!」となぜかおもえました。

それから
しばらくは、ライフラインの無い生活を強いられました。幸い、家の地区は電気はその日に通りましたのでポンプが稼働でき、井戸水を汲み上げることができました。

お寺にはその当時、三つの井戸がありましたが、ポンプが焼き切れるのではいうほど、フル稼働して水を求める人に配っていました。

水!

生きる上で、本当に、大切です。

蛇口をひねると、水が出る!

そんな当たり前のことを涙してよろこんだことをおもいだします。

忘れないことも、鎮魂の上で、大切なことです。お能をしていると、シテ役の人が、面をつけて亡霊としてアノ世から出てきて、コノ世での名残を語り、ワキ役の僧侶の読経によって、成仏する話しも多くあります。

大切な方のことを忘れないのも鎮魂。
( -人- )

今朝は
その当時のこと、火の気が立ち上がる町の中や、ガレキの中を走ったこと、水を配りまくって腰を痛めたことなどを想い出し、今あることを感謝しました。

震災のあとの掃除、復旧工事、もう二度と経験したくないくらい大変でしたが、、、

その時が無かったように、生活様式も戻ってきましたが、震災を期にいろいろ大きな変化がおこったようにおもいます。

そういう意味では、昨今のコロナ禍の状況も、変化を強いられる大きな出来事ですね。

どんな状況でも、未来への光を見失わないように、心に希望の火を灯して、進んでいきましょう!

時が過ぎて、振り返ってみたときに、「あのおかげで」と今を喜べるように。

今から26年後、生きているとしたら80歳。

死んでいたら、極楽世界!

いずれにしても楽しい輝ける未来を想像しています。

祈りではじまり、祈りで終わった震災の日でした。
( -人- )

けいくう

☆☆
「光明聖歌 おじひの頌」より

大悲のみ手に おさめられ さすみ光に 融けあいて 永遠の寿(いのち)に生くる身を 職務(つとめ)はげみて 感謝する

うきわずらいもよろこびも み親に負われし我なれば よかれよかれの み心に まかせ果てたる わが身には

照るもお慈悲 降るも慈悲 護念(まも)らせ給もう みちからを 力に苦楽を 超え精進(すす)む 命の綱の 南無阿弥陀

聖旨(みむね)よわれに現れよ み国よここに きたれかし 南無あみだ仏 南無あみだ なむあみだ仏 あみだ仏
☆☆