こんばんは♪
今日は、阪神淡路大震災から丸26年。
仏事でいう27回忌でした。
朝4時すぎに起きて、準備して
5時半から震災の祈りを捧げました。
26年前の震災の朝は、
<5時46分>
ドーンという音とともに
飛び上がった感じがして
反射的に、隣で寝ていた家族の上に覆い被さりました。
すぐさま激しい揺れがきて、食器がガチャガチャ落ちて割れる音がしていました。
真っ暗になり、しばらく動けませんでした。
揺れがおさまると
その闇の奥から
ガスをつけるときに
ボタンをオスとチッ、チッ、チッ、チッ
と鳴る音が響いていました。
懐中電灯で、部屋を照らし、割れた食器の上を進んで
レンジの前に行き、倒れていた食器棚を反対側に押しやり音をとめました。
それにしても電気が消えて、真っ暗。
しばらく布団でジッとしていました。
7時前になり、ようやく明るくなってきて、本堂に向かいました。
そこは、悲惨な状況でした。
壁は落ちている、仏具はあちこちに飛び散っている。
位牌は、ドミノのように、倒れている!
しかし、ご本尊さまの前にお供えしているお茶とお水のコップは、こぼれていなかったんです。
不思議なことです。
が、それを見た時。「だいじょうぶ!」となぜかおもえました。
それから
しばらくは、ライフラインの無い生活を強いられました。幸い、家の地区は電気はその日に通りましたのでポンプが稼働でき、井戸水を汲み上げることができました。
お寺にはその当時、三つの井戸がありましたが、ポンプが焼き切れるのではいうほど、フル稼働して水を求める人に配っていました。
水!
生きる上で、本当に、大切です。
蛇口をひねると、水が出る!
そんな当たり前のことを涙してよろこんだことをおもいだします。
忘れないことも、鎮魂の上で、大切なことです。お能をしていると、シテ役の人が、面をつけて亡霊としてアノ世から出てきて、コノ世での名残を語り、ワキ役の僧侶の読経によって、成仏する話しも多くあります。
大切な方のことを忘れないのも鎮魂。
( -人- )
今朝は
その当時のこと、火の気が立ち上がる町の中や、ガレキの中を走ったこと、水を配りまくって腰を痛めたことなどを想い出し、今あることを感謝しました。
震災のあとの掃除、復旧工事、もう二度と経験したくないくらい大変でしたが、、、
その時が無かったように、生活様式も戻ってきましたが、震災を期にいろいろ大きな変化がおこったようにおもいます。
そういう意味では、昨今のコロナ禍の状況も、変化を強いられる大きな出来事ですね。
どんな状況でも、未来への光を見失わないように、心に希望の火を灯して、進んでいきましょう!
時が過ぎて、振り返ってみたときに、「あのおかげで」と今を喜べるように。
今から26年後、生きているとしたら80歳。
死んでいたら、極楽世界!
いずれにしても楽しい輝ける未来を想像しています。
祈りではじまり、祈りで終わった震災の日でした。
( -人- )
けいくう
☆☆
「光明聖歌 おじひの頌」より
大悲のみ手に おさめられ さすみ光に 融けあいて 永遠の寿(いのち)に生くる身を 職務(つとめ)はげみて 感謝する
うきわずらいもよろこびも み親に負われし我なれば よかれよかれの み心に まかせ果てたる わが身には
照るもお慈悲 降るも慈悲 護念(まも)らせ給もう みちからを 力に苦楽を 超え精進(すす)む 命の綱の 南無阿弥陀
聖旨(みむね)よわれに現れよ み国よここに きたれかし 南無あみだ仏 南無あみだ なむあみだ仏 あみだ仏
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