2020年11月8日

<第872話 木魚の話>

こんばんは♪

今日は、木魚のお話です。

木魚、、、

木の魚なんですが、、、

なぜ魚の形をしているのでしょう。

それは
魚には、瞼(まぶた)がないので、寝ていても目があいているからです。
(^_^)

日本での最古の木魚は室町時代と言われていますが
一般に使われてだしたのは、インゲン豆で有名な、黄檗宗の名僧・隠元禅師が江戸時代に中国から
持ってきてからです。

木魚は、
ごはんですよ〜とか、
お坊さん集合〜!
と言った時間を知らせる道具でした。

それから
中国の唐の時代の百丈懐海(ひゃくじょう えかい)という方が
木魚について
「魚晝夜常醒。刻木象形撃之。所以警昏惰也。」(百丈清規)
と書いています。

魚は、昼も夜もつねに、醒めている。
これを形どって、うつのは、
昏惰(こんだ)を警(いましむ)る為です、と。

昏惰とは、居眠りをしたり、雑念ザツザツの怠け心です。

修行中に、居眠りをしないように、との警告です。
(>_<)

☆☆
師匠の空外先生は
この昏惰とは、居眠りですが、その中身は
「科学的な半径だけで生活すること」だと言われました。

科学的な生活とは、機械的、すなわちボタンを押して電気をつける生活。
携帯電話に頼る生活。 機械が生活を決めている生活。

こうして「機械的」になると機械が使える範囲でしか生活できなくなります。

計算できる世界。
損得の世界。
比較の世界。

で、生きていってしまいます。


「いのち」の世界は、計算できません。
阿弥陀さまの「アミター」の世界です。

科学も(お金も)大事ですが、、、

「いのちの世界」は、限りなく深めていける、広げていけるのです。
無限に。。。

そうしたら
敵味方が無くなりますから、戦争って、できなくなります。
100年後の未来を考えますから、公害を出さなくなります。

この「いのちの世界」の上に「科学の世界」が来れば、世の中は幸せが増してきます。一人のひとりのいのちが輝くはずです。


自分勝手という煩悩の玉を口から出しているのが、木魚の姿です。
木魚をうって「ナムアミダブツ」「ナムアミダブツ」と念仏していれば
自分の生活半径は、無限に広がります。

そして
自分の中も空になり、周りの人と仲良く暮らしていけます。

生と死の境も超えていけます!

僕も
昏惰から醒めるため
毎朝、一生懸命おつとめしています。

なかなか醒めませんが
諦めずに
少しずつでも
前に進んでいると信じています。

アナタは
いかがですか?


おまけ話

「和漢三才図会」という本の中に、木魚のことが書いてあります。

ゴウという大きな魚が居て、背中がカユイカユイと言っています。
そこで、そのヒレを鼓ってあげると、喜んで、山や川が感動して、震えたという話があるんです。
だから、お経を唱えるときに、木魚を使います!と。

これを今朝、聞いた方が、木魚を鼓つと魚さん、痛くないかな、申し訳ないなとおもっていたけど
カユイところをかいてあげているんだとおもったら、嬉しくなりました!と
感想を言ってくれました。
(^_^)


損だ、得だ、、、
儲かる、儲からない、、、
大きい、小さい、、、

と、眠っている間に

立冬もすぎました。

いよいよ季節は
冬に向かいます。

暖かい心豊かな
時間を過ごすように
したいですね。

お身体、ご自愛下さい。

けいくう

☆☆
一心帰命 うちこみし ナムアミダブツの 端的に
             邪気も邪念も はらわれて 獅子奮迅の 勇気湧く

アナタをまことに 一心を そそぐ一声 ひとこえに
             親の心と 子のこころ とろくる慈悲の 別天地
                            (田中木叉上人道詠)