2025年6月8日

<第1037話 水流天自在>

こんばんは♪

梅雨に入り、今週はずっと雨の予報です。

曇り空から、雫がシトシトと落ちてきます。

田んぼには、ありがたいのですが、気分まで少し湿りがちになりそうです。

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今日は

「水流天自在 心遠地寛閑」という北宋の魏野の漢詩の紹介です。

現代語訳をしますと

水の流れと空の運行は自在です。

世俗から遠く離れた所にて生活をする私の心は

(空のように)広々とした心境であり

静かに(流れる川のような)心境なのです。

自然のまま、自由自在に、広々と生きる心境。

穏やかな心境。

すばらしいです。

そうなるためには、無常を受け入れること。

そして

どこから来て、どこにさっていくのかを、自分の中にきちんと持つことかなぁとおもいます。

方丈記の冒頭の部分を味ってみてください。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 

たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。

☆☆

昔も今も、変わらず、人は、一生懸命生きていますね。

今週も

お元氣で!

けいくう

☆☆

水の流れと 人の身は 今日はこの岸 あすはまた どんな景色をうつすやら 早い瀬もある 滝もある

あてにしきっていたことが いざとなったらだめになり あてにはならぬ世の中と 知った時には もうおそい

ままにしたいと あせったり ままにならぬと あんじたり われとわが気をもてあます 心をしばる わが心

                           (田中木叉上人道詠)