2024年10月27日

<再配信版 第68話 自灯明法灯明>

こんばんは♪

少しずつ日の出が遅くなり、少しずつ日暮れが早くなり

少しずつ涼しさが寒さに変わってきました。

秋は、感情が刺激されて物事が考え深くなりますね。

私たちはふだん、考えて物事に価値や意味を付けています。

それもたいてい損か得かです。

意味や価値を付けているのは誰ですか?

そう、、、自分です。

自分でものごとに意味や価値をつけているのです。

これ大切です。

ものごとそのものには意味や価値はありません。

「何の意味もない!」のです。

「空」ともいいます。

何の意味もないことに意味や価値を自分がつけています。

だから私の付けた意味・価値は私にとってのみ意味があり価値があるのです。

それを勘違いしてすべての人に意味があり価値があると思っている人もおられますが、他の人は自分とまったく同じということはありません。

また、同じ自分でも置かれている状況が変われば変わります。

意味や価値は変わるのです。

だけど意味や価値をつけた時は、それがずっと続くと思っています。

これも勘違い!

この勘違いや思い込みから「思い通りにならない!」と悩み・苦しむのです。

(>_<)

すべて勘違いです。

もう一度いいます。

(*^_^*)

ものごとそのものには「何の意味もない!」のです。

それを意味づけしているのは自分です。

では、同じ勘違いするならすばらしい勘違い幸せになる勘違いをしたらどうでしょう。

自分は幸せ!自分はすばらしい!自分は素敵!

すべて自分で意味づけして価値を付けているのですから。

(*^_^*)

「価値の無い 宝の珠」

「無価(むげ)の宝珠」という話が『法華経』にあります。

二人の男が居ます。

一人は、金持ちのR君。 一人は、貧乏のB君。

二人は親友です。

一緒に飲んでいたときB君が酔いつぶれて寝てしまいました。

R君はかわいそうにおもいB君が働かなくても生活に困らないくらいの価値のある

宝物を服に縫い付けてお店を出ます。

しかし月日が流れ、二人は再会しますがB君のみなりはみすぼらしいまま。

f^_^;)

あれ?どうして?とR君が聞いても

B君も何?何のこと?

(>_<)

R君「この前会った時、服に宝ものを縫っておいたでしょう?」

B君「そんなものなかっ、、、  あれ?、、、あった!!これがあれば貧乏生活とはおさらばできていたのに、、、。」

宝の珠とは私たち一人ひとりに仏さまから与えられたいのちと考えてみてください。

すてきないのち(宝物)をいただいているのに気付かずに自分をそまつにしてダメだ、ダメだと言っていませんか?

私なんか、、、とか どうせ、、、とか 言っていませんか?

無価の宝珠を授かっているのですよ。

誰しも赤ん坊の時はキラキラしていたはず。

それを思い出しましょう。

ちゃんと服(身体)のなかにキラキラした宝物(いのち)がありますから。

自分の意味・自分の価値は自分がおもっているより

ずっと ずっと 素晴らしいのでは、、、。

あなたは最高です。

(by 仏さま)

自分で価値をつけている。他人から付けられるものではありません。

人の目を気にしていませんか? 人の評価で生きていませんか?

自分のいのち、自分で輝かせましょう。

これを「自灯明(じとうみょう)」といいます。

さっき書きましたものごとには「何の意味もない」を「法灯明(ほうとうみょう)」

と言います。

「自灯明法灯明」

大切なお釈迦さまの言霊です。

(*^_^*)

寒くなってきます。どうぞお風邪をひかれませんように。

ご機嫌よう!!

けいくう

☆☆

かぎりなき いのちに 身体 ただ着物 脱ぎしはだかぞ 永遠の輝き

とらわれず 信ずる通り 最善を つくせし夕べ 感謝のどかに

                          (田中木叉上人道詠)

(この文章は2015年10月25日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)