2024年8月4日

<再配信版 第61話 なべ洗い>

こんばんは♪

夏の夜空に舞う花火、すばらしいですね。

あの「ひゅ~」という音はワザと付けている効果音だそうです。

いきなりパーン!より

ひゅ~~~~~~

ぱ~~~~ん

の方が、確かに良いですよね。

(*^_^*)

人生における「ひゅ~~~」が修業時代です。

「ぱーん」と花が開く前に地味な時間があるのです。

☆☆

今日は、料理人、村上信夫さんと田中健一郎さん三國清三さんの話を紹介します。

村上信夫さんは、帝国ホテルの料理長を26年務めてバイキングスタイルの料理を作ったりNHKの料理番組にも出演されプロの味を家庭に伝えられた方です。

その村上さんが帝国ホテルに入った頃、「三年間は、ナベ磨きだけ」をしていたそうです。

ところがボトル一本までピカピカに磨き上げるその仕事ぶりに先輩は村上さんが

洗った日は、スープに洗剤を入れずに返してくれるようになりました。

それで、かくし味の勉強ができたそうです。

田中さんは、村上さんの後、料理長になられた方で引き継ぐとき「一番美味しい料理は何か?」と尋ねたそうです。

天下の帝国ホテルの料理長の引き継ぎの会話ですよ。

(*^_^*)

皆さまなら、何と答えられますか?

田中さんが答えを考えていると、村上さんは「お母さんの料理だ」と、答えられた。

心を込めて、家族のために作る料理が一番。

その心持ちですべての料理を作っておられたのでしょうね。

村上さんが料理長を務めていた頃、三國清三さんが帝国ホテルへ修行にきました。

15才で、札幌グランドホテルの厨房に採用され2年間、その才能から人気シェフの座についていた新進気鋭です。

その三國さんが帝国ホテルに来て村上さんに言われたことは「ナベでも洗ってもらおうか」です。

三國さんは、「なんで私が、、、」と思ったかも知れませんがピカピカに磨き上げました。そして翌日「今日は、何をしましょうか?」と言うと

「ナベでも洗ってもらおうか」です。

それが、2年間!!

「もう限界!と思った頃」

村上さんから突如、スイス大使館へ行くように言われます。

(;゜ロ゜)

三國さんはナベ洗いしかさせてもらっていなかったのに。。。

その時のおもいを村上さんは次のように言っています。

「三国君は私が総料理長だった当時、札幌グランドホテルから帝国ホテルに志願してやってきた。正社員の枠がなく、パートタイマーで採用したが、やる気があって、よく気がつく男だった。何にでも一生懸命で、良い意味での「欲」があった。 駐スイス大使への赴任が決まっていた小木曽さんが「専属コックにいい人はいないか」と打診してきたとき、頭に浮かんだ何人かの候補者の中から、私は三国君を選んだ。当時、三国君はまだ20歳の若者、しかも帝国ホテルでは鍋や皿を洗う見習いだったため、料理を作ったことがなかった。

では、なぜ私は三国君を推薦したのか。彼は、鍋洗い一つとっても要領とセンスが良かった。戦場のような厨房で次々に雑用をこなしながら、下ごしらえをやり、盛りつけを手伝い、味を盗む。ちょっとした雑用でも、シェフの仕事の段取りを見極め、いいタイミングでサポートする。それと、私が認めたのは、塩のふり方だった。厨房では俗に「塩ふり3年」と言うが、彼は素材に合わせて、じつに巧みに塩をふっていた。実際に料理を作らせてみなくても、それで腕前のほどが分かるのだ。」(村上信夫著「帝国ホテル厨房物語」)

☆☆

地道に

地道に

コツコツと歩める人はすごいですね。

「ぱ~~~ん!」と開く花火!

その前に職人さん達の地道なお仕事があるのです。

花、開きたるときには、それを支える地中の根がある。根っこは見えないですが

地中で踏ん張っている。

辛いときは、自分の根が伸びているとき。

きっときれいな花が咲くはず!

今の自分にできることをしっかりしましょう。

(*^_^*)

☆☆

咲いた花見て よろこぶならば 咲かせた根元の 恩を知れ

折りしも時はお盆前。

今、咲いている皆さまのいのちを咲かせてくれたご先祖さまに感謝しましょう。

私は、昨日より15日まで分刻みで尼僧と合わせてお参り400軒以上!

がんばります。

暑いですから皆さまもお身体、お気を付け下さい。

けいくう

☆☆

怠らず あせらず つとめ結ぶ果(み)は 時にまかして 生かすその時

坂高し こがねの門の なお高し いつまで はわん 野に蟻のごと

                           (田中木叉上人道詠)

(この文章は2013年8月4日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)