こんばんは♪
今日は、出会いについて書いてみたいとおもいます。
(*^_^*)
人生において出会いは、大切なことですが、、、
すごい人と出会った!と喜んで写真を撮って満足して終わり、、、。
ということはないですか?
すごい人と出会いさえすれば人間は変われると思うのは
資料や人のノートをコピーしただけで勉強した気になっている学生と同じかもしれません。
誰かと出会った。
しかしその出会う相手と自分が実は一つだ!という世界に入っていかないと本当の出会いとは言えないかもしれません。
自分が自分に出会うこと。
師と仰ぐ人と出会うことは師の背後におられる仏さまに出会うこと。
同じく自分が自分に出会うとは自分が仏さまに出会うこと。
☆
広島の檀上先生はよく「花は、祈りながら咲いている!」とおっしゃいます。
私たちが花を見るとき一方的にこちらから花を見ているとおもっています。
しかし私たちが花を見るとき花も私たちを見ている!
しかも好き嫌いというおもいも持って見ている。
そんなことがわかるのですか?と不思議におもう人もおられるとおもいますが
人と花とがまるで違う存在だとしたらそんなことは起きないでしょうけど
人も花も同じいのちを生きているのです。
人のいのちと花のいのちが一体となったとき感応道交の世界が開けてくる。
それを檀上先生は
「花は祈りながら、咲いている!」
という。
それは檀上生が祈りながら、花を愛でているから。自然を愛でているから。
雲を愛し
風を愛し
大地を愛し
水を愛し
虫を愛し
蝶を愛し
鳥を愛し
生きとし生けるものと一体になっておられるから。
☆
写真家 星野道夫さんは言っています。
「木も、岩も、風も、あらゆるものがたましいをもってわたしたちを見つめている。」
と。
彼の写真を見ると自然と一体になっている世界を感じます。
☆
自然(じねん)と人(私)が一体になること。
仏さまと人(私)が一体になること。
それを「妙(みょう)」といいます。
自他の対立を超えた出会いをしたところの境地です。
この世界に触れたとき人は劇的に変わります。
花と出会っていますか?
いのちと出会っていますか?
今週もお元気で!
ご機嫌よう!
けいくう
☆☆
みすがたおもう そよ風に 心の庭は 花ふぶき
おもいにお慈悲の 息 かよう とけてとろくる 南無あみだ
生ける天地に 合掌し 念(おも)いをはこぶ 心霊界
端厳微「妙」(たんごんみみょう) なつかしき 大悲のミオヤ 見そなわす
(田中木叉上人道詠)
(この文章は2019年5月19日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)