こんばんは♪
今日は、供花。
仏さまに供えるお花の話です。
仏教では、「花」は、いのちの象徴です。
お釈迦さまのみ教えは、「自分の花の咲かせ方!」と、言っても良いかもしれません。
「拈華微笑(ねんげみしょう)」という言葉があります。
あるとき、お釈迦さまが、お説法をされている時に、花を手折られました。
それを見て多くの弟子はポカーンとして理由がわからなかったのですが
一人、迦葉(かしょう)尊者だけが、微笑んだ。
それで、お釈迦さまは、迦葉尊者を跡継ぎに決めました。
自分のいのちは、間もなく終わるだろう。
それを継いでくれるのは、誰か?
というのが、花を手折った理由だとおもいます。
それに答えたのが、迦葉尊者だったというわけです。
お花がこちらを向いている理由
<その1>
お花は、お釈迦さまのみ教えだから。
いのちを尊ぶ、み教えを表しているから。
こちらに向かって教えてくれているのです。
(*^_^*)
仏教のシンボルは、蓮の花です。
それは泥の中から泥に染まらず美しい花を咲かせているからです。
私達も、煩悩の泥に染まらず
自分の花を咲かせられる、み教えです。
花を咲かせた人を仏さまというのでしょう。
仏さま・菩薩さまは、蓮の花びらの上に居られます。
蓮華臺(はすのはなのうてな)がサトッタ証拠。
尊さ・神々しさをかもしだしています。
(*^_^*)
お位牌もそうですね。
亡くなられた方は蓮の花の上に居られます。
(ー人ー)
☆
おつとめの中で、奉請文(ぶじょうもん)というのがあります。
それは仏さま・菩薩さま、今から、おつとめをはじめますからどうぞこの道場にお越し下さい。
私達は、花をまいてお迎えします。
という意味です。
お釈迦さまをはじめ阿弥陀さまも観音さまも勢至さまも、みんな、お花が好きなのです。
お花をお供えする理由です。
そうして、おつとめすることを回向(えこう)とも言います。
それは読んで字のごとく
向きが回ることなのです。
どういうことか?
こちらから
仏さまやご先祖(お亡くなりになった方)に祈りを捧げておもいを届ける。
そのおもいが、仏さまのところに届いたらクルッと向きが変わってこちらへ返ってくるのです。
衆生(しゅじょう:私たち) 仏を 憶念したもうとき
仏も また 衆生を 憶念したもう
私たちが仏さまをおもって祈りを捧げたときは、仏さまも私たちのことをおもって下さっている。
この回向の世界
目に見えませんからわかりにくいです。
しかし、親しい方が亡くなって49日間、中陰(ちゅういん)の間は
この おもい・おもわれる<回向の世界>を感じていただけやすいのです。
(自分の実感として)
今、中陰中の方、亡き方を思ったときは、さっと胸の前で手を合わせ「南無阿弥陀仏」と念じて亡き方をお偲び下さい。
☆
お花がこちらを向いている理由。<その2>がこれです。
仏さまに、亡くなられた愛する人に祈りをささげる
そのアナタのおもい、ちゃんと受け取っていますよ。
そして私(仏さま・故人)もアナタのことをおもっていますよ。
という姿を現しているのです。
☆
回向と同じような言葉で供養(くよう)という語もありますが
「供」え物をして仏さまや先祖を「養」ってやっている!
のでは、ありません。
(>_<)
お供えものをさせてもらって、私の心を養っていただいているのです。
おもいを届けて、受け取っている、でしょう。
むしろ私のおもいより仏さま・亡き人のおもいの方が、遥かに大きくて深いことに
おつとめをすればするほど気づいていかれるでしょう。
☆
お花がこちらを向いているのは
仏さまや故人が花の向きを変えて私をおもってくださっている姿。
拝む私が拝みやすいように。
気持ち良く手を合わせるように。
との心遣いです。
(*^_^*)
アナタは決して一人ではないですよ。
コノ世(目に見える世界)の家族・親戚・友人・知人と手を繋いで生きているだけでなく
アノ世(目に見えない世界)からも仏さま・ご先祖さまが見守って下さっています。
かげから私を支えて下さっているので
それを「おかげさま」といいます。
ありがたいです。
(~人~)
☆
朝晩は少し涼しくなってきました。
ですが、まだまだ日中は暑いです。体調を崩されませんように。
今週も
お元気で!
ご機嫌よう。
けいくう
☆☆
み名をよぶ 声に心が 乗せられて 呼ぶたび通う 慈悲のふところ
つみの我 捨てず身に添う 親にぞ 叱らるるかな 護らるるかな
(田中木叉上人道詠)
(この文章は2016年9月11日に送った文章に一部編集を加えた再掲載です)