2023年3月5日

<第993話 ぶどう園の話>

こんばんは♪

梅が咲き誇り、日中は、春のあたたかい陽射しになってきました。

気持ち良いですね。

(*^_^*)

今日は、佛教の話ではなく、聖書からの引用です。

朝の日曜日の法話で、弁栄聖者がキリスト教の学校の職員女性からご指導をいただける機会が少ないと言われたときに、お答えになった話です。

○ぶどう園の話 (マタイによる福音書 20章1-16節)

「天の国は次のようにたとえられる。

ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。

主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。

また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。

それで、その人たちは出かけて行った。

主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。

五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。

夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、

『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。

そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。

最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。

しかし、彼らも一デナリオンずつであった。

それで、受け取ると、主人に不平を言った。

『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』

主人はその一人に答えた。

『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』

このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」

☆☆

この物語り、私は今回はじめて目にしたのですが、面白いとおもいました。

皆さまは、どんな感想を持たれますか?

夜明けから働いていた人が、不平をいうことは、この社会でよくありがたちな光景のようにおもいますし、共感もしやすいです。

ですが、

私は、このお話のポイントは

一行目の「天の国は次のようにたとえられる。」だと思うんです。

(詳しくは、キリスト教の方に教えてもらいたいですが、、、)

コノ世界(佛教でいうシャバ世界)では、

例えば8時間労働したものと、1時間しか働かなかった人が同じ賃金だと

この話のように、「エッ!」って、なります。

だけど、

天の国

では、基準が違うのでしょうね。

見る視点が違う。

多い 少ない

得だ 損だ

楽だ しんどい

コノ世界の視点で

ついつい私たちが

見がちな視点。

だけど

それを超えた視点、

神さま、仏さまの眼差しを

少し意識すると

見え方が変わるかも。。。

私たちは

今のコノ世界に生きているのですが

天の国の視点を持てば、

ひっかかりが少なくなって、楽しくすごせそうです。

また

人によっては

最後の一文

「このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」

に、ピン!っと来る方もあるでしょう。

地主の言った

『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』

に、反応する方もあるでしょう。

この話と

全然関係がないのに、

「急にワインが飲みたくなった!」というのもありでしょう。

(*^_^*)

どう解釈するかは

読む人の自由とも言えるし

読む人の程度にしか受け取れないとも言える。

アナタは、この話どう受け取りますか?

キリスト教に詳しい方は

どうぞ教えて下さい。

いづれにせよ、何かの気づきや学びがあると

自分の人生、一歩前進ですよね。

行きつ戻りつですが、、、

より良い人生にしたいです。

三寒四温の折から、ご自愛ください。

ご機嫌よう。

けいくう

☆☆

この心身の内のみか 満天地 見る所に 見る心かも

打つくさび 横のくさびと 共に抜け あく穴見する 満天の月

きらびやか 身心土不二(うずたかきくに) 輝くを 肉眼のみぞ あめつちと見る

                           (田中木叉上人道詠)