2022年9月4日

<第967話 海蔵さんの生き方>





こんばんは♪

9月に入りましたが、暑い陽ざしに汗をかきながら

今日も、おまいりをさせてもらっていました。

今日は

新美南吉著『牛をつないだ椿の木』

に、出てくる

「海蔵さん」という人力曳きのお話です。

詳しくは

https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/638_34289.html

ご覧下さい。

☆☆

はじめに

ざっとあらすじを書きます。

海蔵さんは

利助さんと峠にさしかかったときに

水を飲みに、離れたところにいきました。

利助さんが連れていた牛を椿の木に結んでいたのですが

その牛が2人が水を飲みに行って帰ってくる間に

椿の葉を食べてしまいました。

そこで、地主さんからえらく怒られました。

水飲み場が近くにあれば、こんなことにならなかったのに。

そして

海蔵さんは

その峠を越える時に

誰もが、ノドを潤すことができたらすばらしい!

椿の木の前に

井戸を掘ろうとしました。

30円で井戸が掘れることがわかり

山林で収入があった利助さんに出資を頼みますが

「30円を出して、おれだけがその水を飲むなら話はわかるが、ほかのみんなも飲む井戸にどうしておれが金を出すのか?」

それが理解できない、と断られます。

海蔵さんは、そうか利助さんは自分のためだけに、せっせと働いていたのか。

そういう生き方をする人だから、協力を頼めないとわかりました。

そこで、海蔵さんは自分自身で、お金を工面しないといけないとおもいました。

まず

峠に募金箱を置いてみました。しかし、誰も寄付してくれません。

考えた末

仕事の合間にお茶をして、お菓子を食べていたそのお金を

コツコツと貯めていこうとおもいました。

食べたいのをガマンして、、、。

その甲斐があって

2年後に、井戸を掘るお金が貯まりました。

(*^_^*)

ところが、次の問題が起こります。

地主の老人が井戸を掘ることを許可してくれません。

何回お願いに行っても、許してくれません。

ある日、海蔵さんが門をくぐると、老人がしゃっくりをしていました。

老人は

「何度お前が頼みにきても、わしは井戸を掘らせん。しゃっくりがもうあと一日つづくと、わしが死ぬそうだが、死んでもそいつは許さぬ。」と、がんこに言いました。

海蔵さんは、死にかかった人と争っても仕方がないとおもい、しゃっくりが直るおまじないを教えて帰ろうとしました。

そこへ、老人の息子さんがやってきて、「父が亡くなって私の代になったら井戸を掘らせてあげます!」と言ってもらえました。

海蔵さんは、喜びました。

そして、その夜、夕飯のときに、お母さんにその話をしました。

「あのがんこ者の親父が死ねば、息子が井戸を掘らせてくれるそうだがのオ。だが、ありゃ、もう二、三日で死ぬからええて」と。

するとお母さんは、海蔵さんにいいました。

「お前は、自分の仕事ばかり考えていて、悪い心になっただな。人の死ぬのを待ちのぞんでいるのは悪いことだぞや。」

お母さんにそう言われて、海蔵はハッと気付き、翌朝、老人のところへ謝りに行きました。

 海蔵さんは、枕元に両手をついて

「わしは、あやまりに参りました。昨日、わしはここから帰るとき、息子さんから、あなたが死ねば息子さんが井戸を許してくれるときいて、悪い心になりました。もうじき、あなたが死ぬからいいなどと、恐ろしいことを平気で思っていました。

つまり、わしはじぶんの井戸のことばかり考えて、あなたの死ぬことを待ちねがうというような、鬼にもひとしい心になりました。そこで、わしは、あやまりに参りました。

井戸のことは、もうお願いしません。またどこか、ほかの場所をさがすとします。ですから、あなたはどうぞ、死なないで下さい。」

と、いいました。

 老人は黙ってきいていました。それから長いあいだ黙って海蔵さんの顔を見上げていました。「お前さんは、感心なおひとじゃ。」と、老人はやっと口を切っていいました。

 

「お前さんは、心のええおひとじゃ、わしは長い生涯じぶんの慾ばかりで、ひとのことなどちっとも思わずに生きて来たが、いまはじめてお前さんのりっぱな心にうごかされた。

お前さんのような人は、いまどき珍しい。それじゃ、あそこへ井戸を掘らしてあげよう。

どんな井戸でも掘りなさい。もし掘って水が出なかったら、どこにでもお前さんの好きなところに掘らしてあげよう。

あのへんは、みな、わしの土地だから。うん、そうして、井戸を掘る費用がたりなかったら、いくらでもわしが出してあげよう。

わしは明日にも死ぬかも知れんから、このことを遺言しておいてあげよう。」

 海蔵さんは、思いがけない言葉をきいて、返事のしようもありませんでした。

だが、死ぬまえに、この一人の慾ばりの老人が、よい心になったのは、海蔵さんにもうれしいことでありました。

海蔵さんは、心から地主の老人に謝りました。その海蔵さんの心が老人の心をとかし、老人の心も変わっていったんです。

私利私欲がない生き方。

あこがれます。

その後、海蔵さんは日露戦争に出かけていって、花と散ってしましましたが、、、

出兵する前に、その井戸を掘ったことを誰に自慢するでもなく、学校帰りの子どもが井戸から水を飲む様子をニコニコしながら眺め、自分もいっぱい、うまそうに飲んでいったそうです。

海蔵さんの最後の言葉は、こうでした。

「わしはもう、思いのこすことはないがや。こんな小さな仕事だが、人のためになることを残すことができたからのオ。」

皆さまは、この海蔵さんの生き方をどう思われますか?

人に名前を知られることなく、コツコツと心を込めて、世のために尽くした多くの人たちがいます。

その名も無き菩薩さま方に、乾杯!

台風も接近しています。

どうぞお気を付けて、お過ごし下さい。

今週もお元気で!

ご機嫌よう。

けいくう

☆☆

石窟(がんだら)に 一生ささげ 野に朽ちて 仏きざむに 我が名刻まず

とらわれず 信じる通り 最善を つくせし夕べ 感謝のどかに

                         (田中木叉上人道詠)