こんばんは♪
ゴールデンウィーク
皆さま、いかがお過ごしでしょうか?
当院は、4月29日からの別時念仏会を
無事に今朝、満行いたしました。
コロナ禍で、5日間を3日間に短縮しての開催でしたが、3年ぶりにまとまった別時念仏会が出来ましたこと、大変うれしくおもいました。
ゆっくりと座り、暗幕で暗くなった本堂に、ロウソクの灯りに照らされた阿弥陀さまのお顔を見つめていると、自分の小ささがよく感じられました。
また、自分がいかに多くの方々に応援していただいているかも、その声が聞こえるようでした。
お念仏をする前に、「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」と唱えてから
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏…
と、称えていくのですが、
阿弥陀如来の光明は、あまねく十方(すべての空間)の世界を照らして、念仏する衆生(私たち)を摂取して、見捨てることがない。
この摂取は、護ってくださって、お育てくださるということです。
では、どうして仏さまは、私を護って下さるのでしょう?
そんなことをお考えになったことがありますか?
どうして、仏さまやご先祖方は、私を護って下さるのでしょう?
ある方は
それは、私が「どうぞお守りください!」と祈っているからです。
と、答えて下さいました。
うん。
それもそうでしょう。
だけど、どうして護って下さるのでしょう?
☆
アメリカの大統領など政府の要人が来日すると、警視庁のSP(要人を警護するための私服の警官)が周りを囲んで、守りますよね。
それは、要人、大切な人だからです。
日本に来ていて、もし何かあれば、大変でしょう。
(+_+)
大切な人だから、護るのです。
ということは、
仏さまが、念仏する私たちを護って下さるというのは
仏さまは、私を大切だとおもって下さっているからです。
私は、仏さまに大切におもわれているのです。
仏さまに大切におもわれている私だと、普段意識していますか?
仏さまに大切におもわれて、護って頂いている私なのに、、、
私なんか、、、
どうせ、
でも、、、
とか言って、自分を卑下していませんか?
それは、とても勿体ないことだとおもいます。
念仏をしていると
そのことをよく感じました。
自分のことを大切にしないと、仏さまに申し訳ないな!と。
☆
3月のはじめに、副鼻腔に膿がたまり、4月に歯茎の切開手術をしました。
仏さまが護って下さっているおかげで、順調に回復しています。
(*^_^*)
しかし、自分の身体も、いろいろと使い痛みが出てきています。
身体も心もいたわりつつ、
仏さまに大切にしていただいている私!をもって、意識して、過ごして行きたいとおもいます。
そして
いつもあたたかいおもいで、護って頂いてありがとうございます。
私も
僭越ですが、ご縁の方をお守りしたいと願っています。
<如来大慈悲 哀愍護念>
如来さまは、大慈悲をもって、私を哀れみて、お護りくださいっています。
今週は、お休みの方が多いのでは?
よい一週間をお過ごし下さい。
けいくう
☆☆
ばかも一心 信願で 無能の全力(ベスト) つくす時
かげに大悲の 力ぞえ できないままに できていく
大悲の護念 わが上に 万難こえて みちびけり
ただつらぬかん このつとめ 苦楽は縁に まかせはて
(田中木叉上人道詠)