2022年5月1日

<第949話 如来大慈悲哀愍護念>

こんばんは♪

ゴールデンウィーク

皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

当院は、4月29日からの別時念仏会を

無事に今朝、満行いたしました。

コロナ禍で、5日間を3日間に短縮しての開催でしたが、3年ぶりにまとまった別時念仏会が出来ましたこと、大変うれしくおもいました。

ゆっくりと座り、暗幕で暗くなった本堂に、ロウソクの灯りに照らされた阿弥陀さまのお顔を見つめていると、自分の小ささがよく感じられました。

また、自分がいかに多くの方々に応援していただいているかも、その声が聞こえるようでした。

お念仏をする前に、「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」と唱えてから

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏…

と、称えていくのですが、

阿弥陀如来の光明は、あまねく十方(すべての空間)の世界を照らして、念仏する衆生(私たち)を摂取して、見捨てることがない。

この摂取は、護ってくださって、お育てくださるということです。

では、どうして仏さまは、私を護って下さるのでしょう?

そんなことをお考えになったことがありますか?

どうして、仏さまやご先祖方は、私を護って下さるのでしょう?

ある方は

それは、私が「どうぞお守りください!」と祈っているからです。

と、答えて下さいました。

うん。

それもそうでしょう。

だけど、どうして護って下さるのでしょう?

アメリカの大統領など政府の要人が来日すると、警視庁のSP(要人を警護するための私服の警官)が周りを囲んで、守りますよね。

それは、要人、大切な人だからです。

日本に来ていて、もし何かあれば、大変でしょう。

(+_+)

大切な人だから、護るのです。

ということは、

仏さまが、念仏する私たちを護って下さるというのは

仏さまは、私を大切だとおもって下さっているからです。

私は、仏さまに大切におもわれているのです。

仏さまに大切におもわれている私だと、普段意識していますか?

仏さまに大切におもわれて、護って頂いている私なのに、、、

私なんか、、、

どうせ、

でも、、、

とか言って、自分を卑下していませんか?

それは、とても勿体ないことだとおもいます。

念仏をしていると

そのことをよく感じました。

自分のことを大切にしないと、仏さまに申し訳ないな!と。

3月のはじめに、副鼻腔に膿がたまり、4月に歯茎の切開手術をしました。

仏さまが護って下さっているおかげで、順調に回復しています。

(*^_^*)

しかし、自分の身体も、いろいろと使い痛みが出てきています。

身体も心もいたわりつつ、

仏さまに大切にしていただいている私!をもって、意識して、過ごして行きたいとおもいます。

そして

いつもあたたかいおもいで、護って頂いてありがとうございます。

私も

僭越ですが、ご縁の方をお守りしたいと願っています。

如来大慈悲 哀愍護念

如来さまは、大慈悲をもって、私を哀れみて、お護りくださいっています。

今週は、お休みの方が多いのでは?

よい一週間をお過ごし下さい。

けいくう

☆☆

  ばかも一心 信願で 無能の全力(ベスト) つくす時

    かげに大悲の 力ぞえ できないままに できていく

  大悲の護念 わが上に 万難こえて みちびけり

    ただつらぬかん このつとめ 苦楽は縁に まかせはて

                   (田中木叉上人道詠)