2022年4月25日

<第948話 一寸先は闇>

こんばんは♪

今日は、小雨の日曜日でした。

朝の念仏会のあと

虚空藏菩薩についてのお話をしました。

虚空って、無限の空間という意味だとして、、、

無限の空間って、どうしてできるのでしょうか?

境界をつけなければ、無限になのですが、、、

私たちは、物事を認識するために、名前を付けます。

名前がついた瞬間に、自他の区別が生まれ、

無限から離れて

ここまでが自分、ここからが他人という有限の世界になってしまいます。

そして有限の世界を自分なりに解釈して、幻想を見て、それを現実だとおもって生活しています。

???

難しいですよね。

例えば、この文章を読んでくださっている方は、ほとんど日本人だと言われるとおもいますが、、、

日本という名前を付けた土地に住んでいるからですよね。

日本の中でも、兵庫県という県境の中に居て、さらに神戸市という市の中にいる

だから

私は、神戸市民で、兵庫県民で、日本人と思って生活しています。

しかし、宇宙から地球を見たら、どこに国境がありますか?

国と国との境界は、本来は無くて、便宜上、人が作ったものです。

鳥が空から大地を見ていて、あれが日本か! あれが兵庫県か! あれが神戸市か!などとは、決して思わないでしょう。

人間によって、名前がつけられなければ、単なる存在のみで、自他の区別もないのです。

自分という境界線をあるとおもうから、対象となるものができて、争ったり、欲しがってしまうのです。その欲望に埋もれると、表面的な世界しか見えなくなってしまいます。

虚実といいますが、

本質は、虚の世界、眼には見えない、名前もない、真っ暗な世界なのです。

そして、現実は、自分が勝手に解釈した仮の世界。ある部分に光をあてて、それを自分なりに解釈している世界です。

虚空という眼には見えない、無限に広がる世界は、何でも受けいれます。

すべてを包み込み、あれはいいけど、これはダメということはありません。

光は、つけたり消したりできますが、闇はずっとそこに存在し続けます。

光が当たると、光と闇に分離し、どちらかに価値を置きますが、そのどちらをも見なければ、バランスがとれず、満たされることがありません。

一寸先は、闇!

これは、マイナス解釈されることが多いですが、虚空は闇なのです。

その闇は、あたたかくて、やさしい世界です。

闇に支えられ、光があることをおもうと、闇の世界って、目に見えない世界って、

なんて思い遣りにあふれた世界だろうとおもいます。

本来、分けられないものを分けて、解釈と価値を乗せて、自分の現実を作っています。

時には、虚空藏菩薩の智慧をいただいて、のびやかな、おおらかな

限りの無いひろびろとした世界で生きてみましょう。

今週末、29日夕方から5月1日の朝まで、別時念仏会を開催します。

正味4月30日の1日ですが、よろしければ、少しの時間でもご参加ください。

別時念仏会中は、本堂の照明も消し、ロウソクの炎だけで、ひたすら南無阿弥陀仏です。

一寸先は闇を楽しみましょう!

お待ちしています。

今週もお元気で。

ご機嫌よう。

けいくう

☆☆

御名をよぶ 聲にこころの 雲はれて さやかに見ゆる 月の面かげ

月かげに 我を離れて すみぬれば こころにかかる うき雲もなし

                       (弁栄聖者道詠)