おはようございます。
昨日は、遠方で夕方にご法事があり、その後お食事も同席させていただいたので、
お寺に帰りましたら23時を過ぎていました。
書いておりましたら、日付が変わり、皆さまにお届けするには遅くなりましたので、今朝の配信となりました。お許し下さい。
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先週、Yさんの葬儀をつとめました。
Yさんは、大正8年のお生まれでしたから、満102歳。
行年103歳でした。
行年とか、享年というお位牌の裏に書く年齢は、満年齢にお母さんの胎内の十月十日を加えます。なぜなら仏教では、体内に宿った時が、生有(しょうう)といい命のはじまりと考えられ、この肉体のある人生を本有(ほんぬ)といい、ご臨終を死有といいます。そのあと、中有(ちゅうう)という命のあり方をします。その期間を中陰ともいいます。
行年とか享年は、身体があって命を賜っている期間という意味で、生有から死有までの時間の長さをあらわすのです。
このYさんは、本当にお元気な方で、100歳の時でしたか?
住職、私は吉野千本桜が観たくなって、一人でバスツアーに申し込んで行ってきました!と。お寺のバスツアーも参加され、いつも最高齢でした。
5年前に奥さまをお見送りし、そして1年半前、ご長男さんを見送られました。
その他、100年以上もコノ世に居られると、私では想像もできないような経験を沢山なさられたとおもいます。ですが、字もとても美しく、いつも穏やかで、ニコニコとなさっている印象しかありません。素晴らし方でした。
書きましたように、Y氏のご家族は、ここ5年目で、3軒目のお葬儀です。
葬儀でのお話も、2通りさせていただいて今回3回目。
同じ話でもいいのですが、今回は、ご家族の顔を見ていて、おもいつくままにお話いたしました。
戒名の意味。
そして、葬儀・告別式の意味。
葬儀と告別式の違いは、ご存じでしょうか?
葬儀は、私のような宗教者がお亡くなりになった方に対して、
「あなたは、もうお亡くなりになりました。阿弥陀さまが二十五菩薩とともに、お迎えに来られていますから、どうぞお旅立ち下さい」と伝える儀式です。これを引導作法(いんどうさほう)といいます。この時は、恐れ多くも導師は、お釈迦さまの代理としてつとめます。
(m_m)
葬儀式は、言わば「人生の卒業式」です。
そして、告別式は、旅立つ方とご縁のあった方、家族とご縁のあった方が、お別れを告げる式です。
きちっとお別れを告げることは、大切です。旅立たれる方にいろいろなことを経験したことの有り難さを感じ、感謝を伝えること。そして、「あなたのことをしっかり心に刻み込んで忘れません」と自分に別れを言い聞かすことです。
中には、「ありがとう」ではなく、「ごめんなさい」と言われる方もありますが、
旅立つ方は、見送って下さる方々に「ありがとう~!」って、言われているように聞こえることがほとんどです。
ですから、送る側も感謝で、お見送りすることが相応しいようにおもいます。
しっかりとお別れすることで、その後、安心して暮らしていける日を迎えやすくなります。
悲しいですが、それで、心に節目ができるのです。節のない竹がないように、人生に節がなければ、すっと上に伸びていけません。辛くても、時々節目をつけて、成長していくのです。
葬儀式に話を戻します。
人生の卒業式といいましたが、卒業生は亡くなられた方。在校生は、参列の方々。私は、卒業証書を渡す先生の役です。
先生のお仕事として、生徒に成績表を付けるというのがあります。
成績を付けられるのは、あまり嬉しくない方も多いとおもいますが、、、
人生の成績表、何を基準に付けるとおもいますか?
学生時代を思い出して下さい。
1.日常の態度。遅刻はないか?授業をちゃんと聞いているか?宿題をしているか?
2.テストの成績。中間・期末・実力考査などですよね。
3.その他、委員会活動やクラブ活動、友達と仲が良いかなどなど
で、判断されることが多いとおもいますが、人生の成績表も同じようなものです。
1.どう生きてきたか?何をしてきたか?日常何を考えて、過ごしてきたか?
これが、もっとも大きなポイントですが、、、
葬儀をつとめる中では、生前にお会いしていない方の葬儀をつとめることもあります。
その場合どうするのか?
2.のテスト、、、これは、「死に顔」に出ることが多いです。ですから、枕経のときは、しっかりとお顔を見つめて、おつとめして、「貴方はどんな人生を送られましたか?」とお釈迦さまの気持ちになって、問いかけます。
そして
3.は、参列している方々のお顔に成績表が表れます。ですから、ご参列の方々のお顔をしっかり見ながら、お話させていただいています。
そうして導師なりに、人生の成績表を卒業証書とともに、お渡しするのが、葬儀式です。
☆☆
そう行った意味では、Yさんは、満点も満点です。
ご自身も子や孫、曾孫にしてあげたいことはすべてなさったでしょうし、周りの方もお爺ちゃんにしてあげたいことはすべてなさったでしょう。
喪主であるお孫さんが、言いました。
「おばあちゃん、お父さんのときは、○○だったら、とか○○であればという一種の後悔があった。だけど、今回はそれがもう1回、お墓参りに連れて行ってあげたかったぐらいです」と。
誰しもがそういう人生を生きられるわけではありませんが、そう願われる人生でした。
葬儀が終わり、斎場で棺が納められたあと、Yさんの娘さまが、先を歩く私の袖をちょっと引っ張られ「どうされたのかな?」とおもっていますと、、、
「お葬儀本当にありがとうございました」と深々とお礼を言ってくださいました。
そのあと、参列されていた方々も続かれて、頭をさげてくださいました。
喪主も「祖父が全幅の信頼を置いていた通照院さんに最後までおつとめしてもらえて、大変喜んでいると思います。ありがとうございました」と。
そのありがたさに、ちょっと涙ぐんでしまいました。
人生の成績表を付けさせてもらった私が、皆さまから葬儀の成績表をつけてもらったような気になりました。
(*^_^*)
「いい葬儀って何ですか?」
葬儀中に時間があるとき、よく葬祭業者の方に質問します。
いいお葬式をさせてもらいたいから。
そんなとき「ご家族によろこんでもらえたら、いいお葬式です」と答える方がいます。その方には、
「ではその為に貴方はどんな工夫・努力をしていますか?」
こんなことを質問するから、通照院は、面倒くさい坊さんだと思われることもたまにありますが、、、
(>_<)
いい葬儀とは、
葬儀に携わる人すべてで、心を合わせて、亡き方の為、ご家族・ご遺族の為に、つとめてはじめて、皆がよろこべる葬儀になるとおもっているからです。
人生の卒業式、同じするなら、しっかりとつとめさせてもらいたいです。
☆プチおまけ☆
通夜のあと、一件のメッセージが届きました。
素敵な演奏をしてくださっていた方から、、、
なんと
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こんばんは
Tです。いつもお世話になりありがとうございます。突然ご連絡を差し上げ申し訳ございません
実は今日長年生きてきた中で五本の指に入るくらいビックリのサプライズが起きました。
夕刻私は楽器を演奏しておりました。
当初は応援を!と頼まれて急遽お受けしたお仕事でしたが
人生の幕を閉じられた方またそのご家族の皆様のお気持ちに寄り添えたら…と
今の自分にとって無くてはならないお仕事になりました。
あの席で住職にお会いし、ありがたいご説法を聞かせていただき
改めて身の引き締まる思いでおります。
本当に嬉しい時間でした。
またお会いする日が来るやも知れません。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
T♪
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うれしいメッセージでした。
寒暖差が大きいです。
どうぞお身体、お気を付け下さい。
今週もお元気で!
ご機嫌よう。
けいくう
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須磨の浦 帆に夕映えの 汽車のまど 涙も笑みも 運ぶ都路
待てしばし 我も往く身ぞ きよきくに 先立つサトリ 道標せよ
授かりし 境遇 いさぎよく忍び はたす使命に 光るみの上
(田中木叉上人道詠)