こんばんは♪
今日は
朝の法話で、弁栄聖者のこんな一文が出てきました。
「娑婆は凡夫が阿頼耶識でみる世界である」。
おわかりになりますか?
ほとんどの方が、「はっ?」という顔をされるとおもいます。
娑婆(しゃば)とは、刑務所から出てきた方が、タバコに火をつけて
「シャバの空気はうまい!」というその娑婆です。
一般には、この社会のこととして使われますが、「忍土」とも訳され、煩悩や苦しみの多い世界、理不尽と思えることが起こる世界、堪え忍ばないといけない世界のことです。
それは、凡夫(一般の人)が、阿頼耶識で見ているからだと弁栄聖者は言われるのです。
次に、阿頼耶識(あらやしき)という
また、難しい言葉が出てきました。
だから今回は簡単に、
仏教でいう「識」の話をします。
一般の言い方だと「心」です。
仏教では
八識とか九識として
心を分類していますが、
一番目から五番目そして六番目は
1.眼識
2.耳識
3.鼻識
4.舌識
5.身識
そして
6.意識
です。
心は、幸せになりたい!
楽しみたいとおもうものだと、
考えるとわかりやすいです。
1.眼識:目で見る楽しみ。形や色、景色、表情など。
2.耳識:音を聴く楽しみ。音楽や自然の音、人の声など。
3.鼻識:香りを嗅ぐ楽しみ。料理の匂い、花の香り、木々の香りなど。
4.舌識:味わう楽しみ。甘い、辛い、酸っぱい、しょっぱいなど。
5.身識:触れる楽しみ。固さ、やわらかさ、暑さ寒さ、痛い、心地よい、風を切るスピード感など
第1から5を前五識といいます。
所謂、感覚器官を通しての楽しみです。
第6の意識は、1~5を統括して、記憶する、判断する、考える、命令するなどの働きで、
読書とか映画鑑賞とか、数学の問題やパズルを解くとかの楽しみです。
1~6は、意識の世界です。
そして
7~9は、無意識の世界に入っていきます。
7. 末那識(まなしき)
8. 阿頼耶識(あらやしき)
9. 阿摩羅識(あまらしき)
です。
7.の末那識は、自我のことです。自分の知らないところで、いろいろなことに執着する自我のこと。
この末那識と向き合うことが、とても大変なのです。
自分のわがままの出所。そこを認めて行かないと、愚痴・不平・不満の生き方になってしまい、幸せから遠ざかってしまいます。
で、八番目にやっと阿頼耶識くんが、出てきましたね。
(*^_^*)
アーラヤというのは、蔵(くら)という意味です。
インドの北に
ヒマラヤ山脈がありますが、
あれは、ヒム アーラヤの合成語で
ヒムは、雪。アーラヤは、蔵。
いつも雪が積もっている山という意味です。
普通は蔵というのは、大切な物をしまっておく場所なのです。
阿頼耶識に何をしまっておくのか
仏教では「業(ごう)」がそこに記録されていくのです。
過去・現在・未来の
行ってきたこと
言ったこと
考えたこと
が
「業」です。
毎日
母屋(意識の世界)ではみんなが生活して、賑やかにやっていますが、
蔵(無意識の世界)は、普段はとても静かです。
しかし、何かあると
蔵の扉があいて、中のものが出てくるのです。
一般の人は、作ってきた業、今作っている業、これから作る業によって世界を見ている。
弁栄聖者は
この阿頼耶識で、現世をみると、娑婆に見えますよ!
あなたが今、この世界を
苦しみの多い世界、つらい世界に見えているなら、それは
阿頼耶識から見ているのですよ、といわれているのです。
では、どうしたらいいのか。。。
もう少し書きたいのですが、、、
長くなりますので
今週は、これぐらいで。
(*^_^*)
☆
桜の花が、とてもキレイですね。
春を楽しみましょう!
花冷えとも言われます。
体調にお気を付けて。
来週まで
ご機嫌よう。
けいくう
☆☆
肩はかえても 荷はひとつ ひとつすんでも またひとつ
むねに気がかり たえまなき 重荷を負うて 何処へゆく
あわば心の闇はれん たのし三昧 春の旅
声にお慈悲の 山彦の ひびくもうれし 南無の歌
(田中木叉上人道詠)