2022年3月27日

<第944話 桜始笑>

こんばんは♪

今日は、急に温かくなり

桜の花も

チラホラと咲き出しました。

桜の異名ってご存じですか?

「夢見草」といいます。

夢のように美しく儚いから、そう呼ばれるそうです。

そんな春の花たちを見ていると

思わず笑みがこぼれます。

「咲く」はもともと「笑う」が字源でした。

三月中旬のことを

桃の花が咲きはじめる

「桃始笑」と言います。

それで言うと

今頃は「桜始咲」となりますかね。

(*^_^*)

先週の24日で、春のお彼岸も終わりましたが

彼岸の徳目の一つに「布施」があります。

その布施を行うときの心持ちを

「三輪清浄」といいます。

布施をする人

布施を受ける人

布施された物

そのすべてにこだわりがあってはいけないということです。

見返りを求めない気持ちが大事です。

「受けて忘れず 施して語らず」

受けた恩は忘れずに、人にさせてもらったことは黙っておく。

普通逆ですよね。

受けた恩は忘れ、人にしたと恩を売る。

お金を借りた方はすぐ忘れ、貸した方はいつまでも覚えている。

となることが多いのでは。

そうではなくて

「三輪清浄」です。

(*^_^*)

☆☆

しかしながら

「幼子の次第次第に知恵付きて 仏に遠くなるぞ悲しき」

という古歌にあるように、

成長するに従って、善し悪しをいい、好き嫌いをいい、損得計算をしてしまいます。

世間にまみれると、仏さまに遠ざかる、、、

仏さまに遠くなるから、、、苦悩が大きくなる。

だけど

それが生きているということだとおもうのです。

煩悩・エゴから、損得計算をし、執着し、ケンカし、足の引っ張り合いをし、心配し、迷うもの。

だから、仏さまをお慕いする気持ちが湧いてくる。

仏さまをお慕いすると、、、

無知が、身にしみて、謙虚さを呼び

怒りが、燃料を燃やすように、行動に移す力になり

欲望が、よりよい自分に成長していきたいという力になる。

そして

仏さまに近づいていく。

「念仏者の次第次第に智慧付きて、仏に近くなるぞ嬉しき」

となっていきたいですよね。

念仏者は、

自分で輝くのではなく、仏さまの光に照らされて

ほんのりと輝いていくのです。

自分で輝きたい!は、煩悩・エゴのような気がします。

(>_<)

仏さまに近づいて、照らしてもらって

人生の花、咲かせたいです。

周りの人と笑い合いたいです。

ちらほらと

咲き出した

桜の花を見上げながら、おもいました。

今週も

お元気で!

ご機嫌よう。

けいくう

☆☆

  みすがたおもう そよ風に 心の庭は 花ふぶき 

    おもいにお慈悲の 息かよう とけてとろくる 南無あみだ

  一心帰命 うちこみし ナムアミダブの 端的に

    邪気も邪念も はらわれて 獅子奮迅の 勇気わく

                 (田中木叉上人道詠)