2022年3月20日

<第943話 祈るということ>

こんばんは♪

今日は、通照院の春のお彼岸法要でした。

コロナ禍ではありますが、午前・午後の2部制にして

多くの方にご参詣いただき、おつとめさせていただけたこと

ありがたかったです。

今日は、

祈るということについて書きます。

祈ることは、生活に必要ですか?

祈るとどうなりますか?

祈っても、祈らなくても、わからないでしょう?

同じではないですか?

という方は、祈りの大切さがわからないから祈れないのかもしれません。

祈っていると感じるのです。

自分も祈ってもらっているということが。

たとえば、毎朝7時から、おつとめをしていますが、

通照院有縁の方々の幸せを祈っています。

有縁の方々には、この文章を読んでくださっている方のご家族、おじいちゃんやおばあちゃん、両親、子どもさんやお孫さんなども含まれています。

その方々は、毎朝自分が祈ってもらっていることを知らないとおもいます。

自分が知らないところで、自分が会ったこともない人が、自分の幸せを祈ってくれている。

祈りを捧げていると、それを感じるのです。

私も、祈ってもらっている。

誰かからおもってもらっている。

そう感じられると、生きていく力が湧いてきませんか?

先立たれた方も、おもってくれている。

そうした多くのおもいによって、支えてもらって、生きている。

ありがたいですよね。

祈りを捧げていると

周りの人が大切に思えてきて

そして

自分も大切に思えてくる。

多くのおもいに支えらえていることを

「仏さまに見守られている」と言ってもいいかもしれません。

神仏が加護してくださり、私を育ててくださっている。

そのことが、祈りを通じて、深く深く感じられていくのではないでしょうか。

それを感じると、祈らずには、感謝せずには、いられなくなってきます。

生活の中に、何気ない祈りの時間があることが、自分の生きていく力の源泉となり、励みになる。

だから

祈りって大切だとおもっています。

今は、ちょうど、お彼岸です。

ご先祖さまのことをおもい、手を合わすようところから

祈りをなさってはいかがでしょうか。

こころ豊かな日々をお感じいただけるとおもいます。

日常生活の中に、祈りを!

そう願っています。

三寒四温の日々、どうぞお身体、お大事に。

けいくう

☆☆

  微妙荘厳(みみょうしょうごん) 無辺際 ひれ伏し拝む 尊さに

    不思議ごころの 新天地 澄みし流れの 路かわる

  紺青の海 金色に におう光の あさぼらけ 

    ひれ伏し拝む 大空に 今や日の出の 大日輪

                (田中木叉上人道詠)