2022年1月2日

<第932話 射を感じる>

「謝」を「感じる」

あけましておめでとうございます。

令和4年1月になりました。

今年もよろしくお願い致します。

今日、今年はじめての

葬儀の連絡があり、枕経のおつとめをしてきました。

( -人- )

正月でも、旅立ちの方は居られます。

人生、いつ終えるかわからないです。

アナタは

どんな人生を送りたいですか?

どんな一年にしたいですか?

私は

感謝あふれる年にしたいです。

(*^_^*)

「感謝」というのは「謝」を「感じる」。

「謝」というのは「謝(あやま) る」ということ。

どういう時に「謝る」ことがわかるのか?

それは、仏さまの前で手を合わせた時にわかるのです。

仏教では「懺悔(さんげ) 」と言います。

その懺悔には2つの種類があります。

弁栄聖者の『光明礼拝儀』「至心に懺悔す」には

「心の至らざるよりして作(な) す可(べか)らざる罪を作り 作(な)すべきことを怠るの罪に陥れり」とあります。

1つ目は、作(な) す可(べか)らざる罪を作ること。

自分が迷惑をかけたこと、人を困らせたこと、悪いことをしてしまったこと

それを謝るということ。

もう1つは難しいです。

作(な)すべきことを怠るの罪を作ること。

本当はしなければいけなかったのに、サボってしまった罪。

気づいていないから、できなかったんです。

気づいていいないから、難しいんです。

理由はどうであれ、結果としてできなかった罪。

これらが2つの懺悔する罪です。

☆☆

仏さまの前で手を合わせていると、その2つの罪を許してもらえる。

その「謝」を感じる機会が多ければ多いほど、気づかなかったことに気づかせてもらえる。

そうすると心の底から感謝があふれるようになると思います。

そうして

今年も仏さまの前で手を合わせて、感謝あふれる1年にして参りましょう。

寒波が来ています。

北の地方では、大雪とも報道されています。

どうぞあったかくして、お過ごし下さい。

ご機嫌よう!

けいくう

☆☆

拝みはたらく 身はかるく 家じゅうかおる 福寿草

  合わす掌(て)に 気も折れあいて 昨日の悪(にく)み 今日の笑(え)み

お慈悲の中に いさぎよく つとめしつかれ こころよき 

  感謝に心 みち足らい やすむおじひの ひざの上

                  (田中木叉上人道詠)