「謝」を「感じる」
あけましておめでとうございます。
令和4年1月になりました。
今年もよろしくお願い致します。
今日、今年はじめての
葬儀の連絡があり、枕経のおつとめをしてきました。
( -人- )
正月でも、旅立ちの方は居られます。
人生、いつ終えるかわからないです。
アナタは
どんな人生を送りたいですか?
どんな一年にしたいですか?
私は
感謝あふれる年にしたいです。
(*^_^*)
「感謝」というのは「謝」を「感じる」。
「謝」というのは「謝(あやま) る」ということ。
どういう時に「謝る」ことがわかるのか?
それは、仏さまの前で手を合わせた時にわかるのです。
仏教では「懺悔(さんげ) 」と言います。
その懺悔には2つの種類があります。
弁栄聖者の『光明礼拝儀』「至心に懺悔す」には
「心の至らざるよりして作(な) す可(べか)らざる罪を作り 作(な)すべきことを怠るの罪に陥れり」とあります。
1つ目は、作(な) す可(べか)らざる罪を作ること。
自分が迷惑をかけたこと、人を困らせたこと、悪いことをしてしまったこと
それを謝るということ。
もう1つは難しいです。
作(な)すべきことを怠るの罪を作ること。
本当はしなければいけなかったのに、サボってしまった罪。
気づいていないから、できなかったんです。
気づいていいないから、難しいんです。
理由はどうであれ、結果としてできなかった罪。
これらが2つの懺悔する罪です。
☆☆
仏さまの前で手を合わせていると、その2つの罪を許してもらえる。
その「謝」を感じる機会が多ければ多いほど、気づかなかったことに気づかせてもらえる。
そうすると心の底から感謝があふれるようになると思います。
そうして
今年も仏さまの前で手を合わせて、感謝あふれる1年にして参りましょう。
寒波が来ています。
北の地方では、大雪とも報道されています。
どうぞあったかくして、お過ごし下さい。
ご機嫌よう!
けいくう
☆☆
拝みはたらく 身はかるく 家じゅうかおる 福寿草
合わす掌(て)に 気も折れあいて 昨日の悪(にく)み 今日の笑(え)み
お慈悲の中に いさぎよく つとめしつかれ こころよき
感謝に心 みち足らい やすむおじひの ひざの上
(田中木叉上人道詠)