2021年12月12日

<第929話 本もののかしら>

こんばんは

今から25年ほど前の話です。

1996年に『二十世紀の法然房源空 山本空外上人聖跡点描』という本を

通照院から出版しました。

愛媛の坂村真民先生の会に、参加する機会を得て、その本を持参し、真民先生に手渡しました。

すると、真民先生は、空外上人とご縁があったこともあり、大層よろこんでくださって

「本もの」という詩を書いてくださいました。

  「本もの」 

    坂村真民

  人間一生のうち

  一番大事なのは

  本ものという人に

  出会うことである

  空外先生には

  一度お会いしただけだが

  今生きて居られる方では

  本ものの頭(かしら)であろう

  御長寿を祈るや切

  (※この時、空外上人は95歳。お元気でおられました)

☆☆

そう空外上人は、間違いなくホンモノでした。

とてつもないホンモノでした。

今日の写経会でのテキストから

「わたくしは中国からインド、西洋の文献までみんな読んでいますけれども、あたりまえのことしか言っておらぬ。サトッタひとは、あたりまえのこと、自然のことしか考えない。サトラナイと、自分勝手なことになる。いくら学者になっても、自分勝手なことを言う方が少なくない。それでも通らないことはない。なぜかというと、本当のことを知らないひとの方が多いですから何を言っても通りはする。でも、そういうものじゃない。百人に一人、千人に一人しか知らなくてもです。」

                     (『いのちの讃歌』p.179参照)

空外上人は、コレッ!と思う人には、しばらく一緒に寝起きをしておられました。

また、文献を読むときは、必ず原典を紐解いて居られました。

『旧約聖書』は、ヘブライ語で、『新約聖書』は、ギリシャ語で。

『仏教経典』は、サンスクリット語・パーリ語・チベット語・中国語・日本語で。

『哲学書』は、ドイツ語・フランス語などその著者の書かれた言語で。

語学の天才ゆえにできたことかもしれませんが、

中学を卒業するころには、英語の辞書は、不要。

高校を卒業することには、ドイツ語の辞書は不要。

そこまで、マスターされていました。

いちいち辞書なんかひいていたら、文献が読めないともおっしゃっていました。

他にも、ラテン語など十数各国語を自在に扱っておられました。

原典を読まないと、本当のことがわからない。

書物は、読む人のレベルでしかわからない。

原典を読み、自分で解釈して、受け取っていく。

話も、聞き手のレベルでしか受け取れない。

とも、よくおっしゃっていました。

今は、特に情報が氾濫している時代。

どの情報を自分に取り入れて、そしてそれをどう自分の人生に生かすか?

そうは思っても、なかなか自分では原典を紐解くなんてできない。。。

空外上人のすごさに

小さい小さい自分を感じていましたが、、、

人の説を自分で考えたように、

人の話を自分で経験したように、

話してしまう、、、

私です。

あぁ~あ、自分は偽物だなぁ、、、

と、おもいつつ

だけど、少しずつホンモノになっていきたいなぁと

遠くに輝く師匠、空外先生を仰ぎつつ

今日も、お話させていただきました。

空外上人は、空外上人の人生とお役目。

啓空は、啓空の人生とお役目。

啓空として、少しでもホンモノの生き方をしていきたいです。

寒くなってきます。

どうぞお身体、ご自愛ください。

けいくう

☆☆

  ばかも一心 信願で 無能の全力(ベスト) つくす時

         かげに大悲の力添え できないままに できてゆく

  一心帰命 うちこみし ナムアミダブツの 端的に

         邪気も邪念も はらわれて 獅子奮迅の 勇気わく

              (田中 木叉上人 道詠)

☆おまけ☆

1997年の10月

島根の空外記念館で、空外上人が講話なされているところに

出雲大社にお参りになった帰りの坂村真民先生が訪ねてこられ

お二人は、再会されました。

その大きなご縁の端っこを担うことができて、とても光栄でした。

(*^_^*)