こんばんは♪
日暮れが早くなってきました。
11月になりましたから。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
先日、先輩僧侶A氏から
電話をいただきました。
通照院にずっとご指導に来て頂いていた
河波晶上人が、旅立たれて、ショックを受けた、と。
(河波上人は、2016年に、ご逝去されています。)
河波上人のお話をもっとお聴きしたかった、と。
そして
今の浄土宗のお説教は、お念仏をすれば死後にお浄土に往生できることを中心に説かれていることが多いけど、お念仏を称える中に、今の生活にも救いがあることをもっと広めたいと言われました。
なぜ私に電話とされてきたのか?
今、書きました河波上人の教えをずっと受けていたこと。その死をこのブログから知ったから。
(第634話 河波上人の旅立ち)
そして
今から30年ほど前に、私もお話の勉強会に出ていて、その時の、私の話の中で、「念仏はありがたい」といって、感極まってしまって、涙ぐんで、お話ができなくなったことがあり、、、
その時、ご指導いただいていた先生から、話す方が泣いてどうするんだ!と
お叱り?を受けたのですが、、、
それがA氏には、印象に残っておられたようで、それでお電話してくださったとのことでした。
話した内容は、すぐに消えてしまうかもしれません。
だけど、話し手の思いは、言葉を越えて、心に響き、いつまでも残るようにおもいます。
30年も前の話なのに、覚えて下さっていて、しかも先輩僧侶A氏が。
なんか、うれしかったです。
☆☆
その時のお話は、今を生きる私たちへの念仏の功徳でした。
少し紹介します。
通照院では、毎春ゴールデンウィークに5日間の別時念仏会を開催しています。
(現在はコロナで、短縮になってしまっていますが)
当初は、期間中は、初日18時~21時。2日目から4日目の三日間は朝6時~夜21時。最終日は、6時~9時。というスケジュールでした。
その行に参加された方の感想から。(平成2年、平成3年の記録より抜粋)
○一心にお念仏を称えていますと、如来さまのお顔の色いろに変化なさり、理由もなく涙が頬を伝いました。この得がたいご縁をお恵みくださったすべてのことに、心から感謝します。別時念仏会の度に味わうこの喜びと清々しさは格別です。
○念仏行を重ねる毎に、次第しだいに身体も軽やかに、やる気満々の元気が湧いて楽しく念仏ができました。お寺を後に帰路につきましたが、知らずしらずに目頭が熱くなり、涙が流れていました。
○念仏中に仏さまの金色がどんどん輝き私を包んでくださったような感じが時々ありました。持病の足の痛みも覚えず、身体が軽くなり、全身が熱くなるときもありました。木魚とお念仏が一つになった時、道場全体がお念仏を称えているように「びーんびーん」と弦を鳴らしているように、また皆さまの念仏の声が心地よい合唱となって響いていました。無事に五日間満行できましたことは、如来さまのお力添えがあったからこそと感謝しています。
○幾とせの間、私の心に積もり積もったもろもろの埃や垢が、お念仏を称えるごとに洗い流されて、幼子のような清浄な心になってゆくようでした。
○ただひたすらに「南無阿弥陀仏」と称える。そのことが五日間で40時間続く。。。最後の一瞬、如来さまを見つめながら仏教聖歌を歌っていますと、何かしら熱いものが込み上げてきて、ただありがたいという想いの中に、涙が溢れてきました。
○春が生命の季節であるように、固い土を持ち上げて芽吹く草木のようなお育てを頂いた幸せは、どんなに喜んでもよろこびきれません。しかし、時々、足の痛みに悩まされ、「如来さま、足が痛くてたまりません」とうったえると、しばらくすると如来さまは私の心の中を通り抜けて苦しみをさらっていってくださる。こんなことを繰り返しながら、歩きなれた心の道が、違った色に染まるのを感じ、お念仏の大切さを実感し、如来さまとの距離が少し縮まった気がして、この上ないよろこびを味わいました。
☆☆
どの感想も、今、読んでいても、その方のお顔、お感じになったことが思い出され、やはり涙が出てきます。
そうしたおもい、時を経ても、伝わるもの。
どんなおもいで、言葉を言うか、そのおもいの乗った言葉を言霊(ことだま)といいます。
光かがやく、言霊を使いましょう!
その光は、ずっとずっと輝き続けるでしょから!
(*^_^*)
☆☆
お念仏、ありがたいです。
最近、特に、そうおもいます。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
今日から、日曜日の念仏会、1年半ぶり?、朝のお粥供養が再開しました。
お茶粥は、体のごはん。
お念仏は、心のごはん。
お腹いっぱい食べて、こころ豊かに、ニコニコとすごしましょう!
今週も、お元気で!
ご機嫌よう。
けいくう
☆☆
生けらば念仏の功つもり 死なば浄土にまいりなん
とてもかくてもこの身には おもいわずろう事ぞなき
阿弥陀仏(あみだぶ)に 染(そ)むる心の 色に出(い)でば
秋の梢(こずえ)の 類(たぐ)いならまし
(阿弥陀さまに染まっていく心が、色に表れるというようなことがあるなら、まるで秋の深まりとともに木々の梢が紅く染まっていくようなものだろう)
法然上人道詠