2021年10月31日

<第923話  先立たば、、、>

こんばんは♪

今日は、法然上人、九条兼実公、九条良経公、慈円法師にまつわるお話を

しようとおもいます。

九条兼実公は、摂政関白として5年間、日本の政治を司りました。

そして、政変で、失脚した6年後、息子の良経公が関白となり、再び返り咲きました。

ですが良経公は、4年後、38歳で頓死してしまいます。

そして、その翌年、師匠法然上人が、四国に流罪になってしまいます。

そのお別れの席で、法然上人は、兼実公に

「会者定離ハ、常ノ習ヒ、今ハジメタルニハアラズ。何ゾ深ク歎カンヤ。宿縁空シカラズバ、同一蓮ニ坐セン。浄土ノ再会甚ダ近キニアリ。今ノ別ハ、暫クノ悲シミ、春ノ夜ノ夢ノ如シ。」

と、言われています。

息子を失い、師とも今生の別れをしなければならなくなった兼実公の心中をおもうと辛いものがあります。

(;_;)

800年前も今も、別れは辛いですね。

良経公は、自身が亡くなる前に、奥さんも亡くしています。

書家でもあり、歌人でもあった良経は、後京極殿と呼ばれた彼の有名な句に

きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む

が、あります。

キリギリスは、今でいうコオロギです。丁度、今ぐらいの季節でしょうか。

コオロギが鳴いている寒い霜の降る夜に、冷たい寝床で、

衣かたしきというのは、その時代は、相手と二人で寝る場合お互いの袖を枕にして寝ていました。だから、片敷きとは、自分の衣だけで、一人で寝るのだろうか、

という意味です。

奥さまが亡くなり、一人寂しく、寒いところで、寝ている男の晩秋の様子が

なんとも寂しいです。

この歌は、柿本人麻呂公の

あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々しい夜を ひとりかも寝む

を踏まえて作られたと言われています。

☆☆

良経の叔父さん(兼実の弟)は、慈円法師といい、兄兼実の勧めによって、天台宗の座主になった方です。

この方の句は

おほけなく うき世の 民に おほふかな わが立つ杣に 墨染めの袖

(身分不相応だけど、この国の民衆の為に、比叡山に登り、僧侶となって、人々を救いたい!)

この句の奥にも、法然上人の影響が見え隠れするようです。

法然上人の偉大さの一つに、死後の世界を地獄という真っ暗闇から

極楽という明るい世界に変えたところだとおもっています。

亡くなった方は、大切な方が旅立つとき、迎えに来て下さって

極楽へともに往く。

これが、なんとも有り難く、尊いことだとおもいます。

秋が深まり、なんとなく、もの寂しくなるころ。

ですが、祈りの中では、多くの方とのつながりを感じます。

愛する人たちと別れた<寂しさ、暗さ>を<楽しさ、明るさ>に、変えてくれるのが、念仏です。

古歌に

先き立たば おくるる人を 待つやせん 花の台(うてな)に なかばのこして

生まれては 先ず想い出でん 古里に 契りし友の 深き誠を

兼実公よ!私は、四国の土佐、あなたは都ですから、東西に別れますが、祈りの中ではしっかり繋がっています。

そして、先だった方が後を迎えに来てくれる。

浄土に往生するという教えはなんとありがたいことか。

さびしいときは、お念仏。

かなしいときは、お念仏。

楽しいときも、お念仏。

うれしいときも、お念仏。

お念仏の中では、愛しい人と一緒。仏さまと一緒です。

そういって、75歳の御年で、颯爽と四国へ向かった法然上人。

カッコイイですね。

その生きざまを、少しでも見習いたいです。

今週も

お元気で!

ご機嫌よう。

けいくう

☆☆

1. あみだほとけの 法(のり)のいと 心の玉に つらぬきて みなもろともに のちの世は 同じはちすの身とならば

2. この露の身は ここかしこ しばしがほどは 別るとも 心はずず(数珠)の緒を通し 同じサトリの 身とならん

3. のち この経(ふみ)を よむひとは おもいだすらむ 花の上(え)に なかばを契りし この友を 深きまことの 友として

                       「光明聖歌 のりのいと」より

☆おまけ☆

兼実公と慈円法師の父 藤原忠通も風流な方で

百人一首に句が選ばれています。ご存じですか?

(*^_^*)

わたの原 漕ぎ出でて見れば 久かたの 雲ゐにまがふ 沖つ白波

です。