2021年10月24日

<第922話  何もしなくても>

こんばんは♪

先週から腫れていた

右足は

少しはましになりました。

足が痛くても、お参りは休みになりません。

(+_+)

ですが

今日だけでも3時間ぐらい正座も出来ましたから

右足君、順調に回復しています。

ご心配おかけしました。

(m_m)

皆さまの応援、ありがたく心に沁みました。

(m_m)

☆☆

昨日のご法事での話。

あるおばあちゃんの一周忌の法事だったのですが、

おつとめのあと、いつもは私から法話をするのですが、

今回は、参詣の皆さまにおばあちゃんとの想い出、おばあちゃんの素敵なところを話してもらいました。

長女さんは、自分が妊娠した時に、お母さんが通ってくれて、自分が母になるときに、お母さんの今までのやさしさが、すごく身にしみてありがたかったこと。

「お母さんのようなお母さんになります!」とバス停まで母を見送りながらおもったこと。そして、今も何かと話しかけて、ずっと居てくれるような気がしていると言われました。

次女さんも、おばあちゃんのようなおばあちゃんになりたい!と言っておられました。

娘さんから、そのように慕われるお母さん、本当にステキですよね。

お婿さん方も、それぞれおばあちゃんがやさしかったことや料理が上手だったこと、いつもニコニコされていたことを目に涙をためながら、話してくださいました。

4人のお孫さんに至っては、みんな「おばあちゃん、大好き!」がいっぱいで、泣きながら「何か困ったことがあったら、おばあちゃんに連絡していた」と話されていました。

私が、昨年までお月参りしていたときも、いつも笑顔で、ご主人をたてて、控えめで、あたたかい方でした。

そして

ニコニコと穏やかなお顔で

「私は、何もできないんですけどね~!主人や子どもや孫に恵まれていて、幸せです。仏さま、ご先祖さまのおかげです。ありがたいです」と毎回、口癖のように言われていました。

何かが出来るから

尊敬されるということもあります。

それは、目に見える成果が出さればなおのこと。

だけど

何も出来なくてもいい!

多くを語らなくてもいい!

短い挨拶でも、大切な言霊を汽笛のように、相手に送れれば、、、

「よく来たね!」

「元気かい?」

「がんばるんだよ」

「また来るんだよ」

「いつも待ってるよ」

「ありがとう」

誰に向かっても、こういった言霊を心を込めて、相手に伝えるだけで

受け取った人は、生きる勇気が湧いてくる。

「さようなら」

葬儀の時に、笑みをたたえながら、言っていたそのお顔は

深くふかく、家族の魂に刻まれ、一年経って、さらにその愛情が深くなっているのを感じました。

秋も深まり、風が冷たくなってくる季節だから

余計に

心を込めた

温かい言霊を心がけましょう!

その温かい言霊が、忘れていた何かを相手の心に呼びさますかもしれない。

心のふるさとを想起させるかもしれない、、、

それは、もしかしたら仏さまの声も重なっているかもしれない。。。

仏さまのおもいを含んでいる短い言葉を

「陀羅尼(だらに)」と言います。

☆☆

一周忌の法事を終えて

しみじみとした暖かさを懐に抱いて、帰りました。

( -人- )

何かをしなくても

何もできなくても

平凡な一主婦を通した おばあちゃんから 頂いた宝ものでした。

今のままのあなたでいい

ありのままでいい

とは、こういうことを言うのだとおもいます。

今週も

お元気で!

ご機嫌よう!

けいくう

☆☆

小さきは 小さきながら おみなえし 日をなつかしむ 秋の野末に

小さくとも とわのいのちのみのる華 光にそだて 三昧の庭

                 (田中木叉上人道詠 道詠)