2021年9月12日

<第916話 人生の目的地>

こんばんは♪

随分、涼しくなりました。

助かりますね。

皆さま、いかがお過ごしですか?

兵庫県の緊急事態宣言が今日までだったのが、今月末まで延長になりました。

コロナ以前、広がっていますね。

早く落ちついて、生活できるように祈っています。

法然上人のご法語に「深心」というのが、あります。

ただ心の善悪をも 省みず 罪の軽き 重きをも 沙汰せず 心に往生せんと おもひて 口に南無阿弥陀仏と 称えては 声につきて 決定往生の思ひをなすべし。

その決定心によりて すなわち往生の業は 定まるなり かく心得ねば 往生は不定なり。

☆☆

悪いことをせず、良いことをする。罪は犯さないようにする。

社会生活をする上では、当然のことですし、法然上人以前の仏教では特に厳しく言われていました。

しかし、心の善悪よりも、罪を犯したかどうかよりも、心から阿弥陀さまの救いを求め、口にお念仏を称えていれば、往生できるというのです。

これを間違って、どんな悪いことをしてもお念仏をすれば、救われる!と言って

悪いことをするのは、とんでもないことですとも法然上人は、おっしゃっています。

たとえて言うならば、

お寺から北側に5分あるけば、中学校があります。

お寺の前で、「中学校はどう行けば良いですか?」と質問する人があれば

まず、「ここから北にまっすぐ5分歩いて下さい」と答えるでしょう。

ですが、私がインドで体験したことですが

「美術館へは、どう行けばよいですか?」という質問に、7対3ぐらいで、違う答えを言われるので、多数決で多い方に行っていました。

先の中学校への道では、北へ行きなさいが7人、南へ行きなさいが3人ぐらいの感じです。

では、南へ行きなさいという人は、ウソを言ったのでしょうか?それとも中学校を知らなかったのでしょうか?

日本人は、道を聞けば、最短コースもしくは、わかりやすいコースを教えようとしますし、自分もそう行きます。

ですが、インド人は、南から行っても行けるよ!少々遠回りだけど、線路があり電車も見えるし、桜並木があり、その下を通っていくのが好きだから、、、

というような理由があるかもしれません。

大切なのは、北へ行こうが、南へ行こうが、目的地をきちんと持っておくということかともおもいます。

方法は、いろいろあります。

しかし、目的地が定まっていなければ、到達することは、できません。

根っこのところがしっかりしてれば、上は風で揺れても大丈夫です。

はじめのご法語では、今までどんな道を通ってきたか(どんな生き方をしてきたか)は、問題ではないんです。人生何回でもやり直せばいいのです。

まっすぐ来た方、寄り道ばっかりしてきた方、歩き出した方、もうずーと歩いている方、いろいろおられるとおもいます。

正解はないのです。

ただ、どこに行きたいか、<人生の目的地>を持っているかどうかです。

心に阿弥陀さまの浄土に往きたいと願い、その方法として、口にお念仏をしていれば、必ず往生できます。

諦めたら、たどり着けません。

皆さまの人生の目的地は、どこですか?

そこを深く心にもって、生きていれば、必ず到着できます。

自分の目的地は、自分しか知りませんし、自分しか設定できません。

しっかりと目的地をセットして、生きていきましょう!

ドライブの前にナビをセットするように。

(*^_^*)

今週も、お元気で!

ご機嫌よう!!

けいくう

☆☆

 大本願の 汽車の中 アナタおつれの 旅なれば 苦楽はしばし 窓景色 ゆくては華のよしの山

 救いの船に 乗りぬれば わがつく岸は 定まれり 憂き世のことは 因縁の 津々浦々の 風まかせ

(田中木叉上人道詠)