こんばんは♪
随分、涼しくなりました。
助かりますね。
皆さま、いかがお過ごしですか?
兵庫県の緊急事態宣言が今日までだったのが、今月末まで延長になりました。
コロナ以前、広がっていますね。
早く落ちついて、生活できるように祈っています。
法然上人のご法語に「深心」というのが、あります。
ただ心の善悪をも 省みず 罪の軽き 重きをも 沙汰せず 心に往生せんと おもひて 口に南無阿弥陀仏と 称えては 声につきて 決定往生の思ひをなすべし。
その決定心によりて すなわち往生の業は 定まるなり かく心得ねば 往生は不定なり。
☆☆
悪いことをせず、良いことをする。罪は犯さないようにする。
社会生活をする上では、当然のことですし、法然上人以前の仏教では特に厳しく言われていました。
しかし、心の善悪よりも、罪を犯したかどうかよりも、心から阿弥陀さまの救いを求め、口にお念仏を称えていれば、往生できるというのです。
これを間違って、どんな悪いことをしてもお念仏をすれば、救われる!と言って
悪いことをするのは、とんでもないことですとも法然上人は、おっしゃっています。
たとえて言うならば、
お寺から北側に5分あるけば、中学校があります。
お寺の前で、「中学校はどう行けば良いですか?」と質問する人があれば
まず、「ここから北にまっすぐ5分歩いて下さい」と答えるでしょう。
ですが、私がインドで体験したことですが
「美術館へは、どう行けばよいですか?」という質問に、7対3ぐらいで、違う答えを言われるので、多数決で多い方に行っていました。
先の中学校への道では、北へ行きなさいが7人、南へ行きなさいが3人ぐらいの感じです。
では、南へ行きなさいという人は、ウソを言ったのでしょうか?それとも中学校を知らなかったのでしょうか?
日本人は、道を聞けば、最短コースもしくは、わかりやすいコースを教えようとしますし、自分もそう行きます。
ですが、インド人は、南から行っても行けるよ!少々遠回りだけど、線路があり電車も見えるし、桜並木があり、その下を通っていくのが好きだから、、、
というような理由があるかもしれません。
大切なのは、北へ行こうが、南へ行こうが、目的地をきちんと持っておくということかともおもいます。
方法は、いろいろあります。
しかし、目的地が定まっていなければ、到達することは、できません。
根っこのところがしっかりしてれば、上は風で揺れても大丈夫です。
はじめのご法語では、今までどんな道を通ってきたか(どんな生き方をしてきたか)は、問題ではないんです。人生何回でもやり直せばいいのです。
まっすぐ来た方、寄り道ばっかりしてきた方、歩き出した方、もうずーと歩いている方、いろいろおられるとおもいます。
正解はないのです。
ただ、どこに行きたいか、<人生の目的地>を持っているかどうかです。
心に阿弥陀さまの浄土に往きたいと願い、その方法として、口にお念仏をしていれば、必ず往生できます。
諦めたら、たどり着けません。
皆さまの人生の目的地は、どこですか?
そこを深く心にもって、生きていれば、必ず到着できます。
自分の目的地は、自分しか知りませんし、自分しか設定できません。
しっかりと目的地をセットして、生きていきましょう!
ドライブの前にナビをセットするように。
(*^_^*)
今週も、お元気で!
ご機嫌よう!!
けいくう
☆☆
大本願の 汽車の中 アナタおつれの 旅なれば 苦楽はしばし 窓景色 ゆくては華のよしの山
救いの船に 乗りぬれば わがつく岸は 定まれり 憂き世のことは 因縁の 津々浦々の 風まかせ
(田中木叉上人道詠)