2021年7月4日

<第906話 弁栄聖者の愛について>

こんばんは♪

熱海の土石流でのニュースを知り

慎んでお見舞い申し上げます。

神戸は、雨はそれほど降っていませんが温度が上がって、湿度が高くて

額に汗をかきつつ、昨日、今日とすごしました。

☆☆

もうすぐ、七夕ですね。

愛する二人が一年に一度、出逢う日。

ロマンチックです。

今日は、弁栄聖者が言う

「愛」について、書いてみます。

弁栄聖者は、「愛とは生命を保護するための天使である」と言われています。

そう

「愛は、生命」です。

そして

愛に三段階あります。

1.天性的(本能的)な愛。

2.理性的な愛。

3.霊性的な愛。

☆☆

1.天性的な愛。

肉体本位の自我に基づく愛。自分自身や妻子、または現実生活を助ける金銭や財産などを無上のものとして愛する愛です。その最も中心が異性に対する愛です。

2.理性の愛。

人類その他の生物までも愛する仁慈。国家を愛したり、生きとし生けるものを慈しむ愛。また哲学や学問・芸術を愛するなどです。

3.霊性の愛。

宇宙最上の美であり、愛である阿弥陀仏を愛すること。阿弥陀仏は宇宙全体の純粋さの極みであり、精妙さの極みであり、幽玄にして妙なる存在の極みというようにしか表現できません。この阿弥陀仏に触れるには、自らの霊性を開花することができた人にして初めて可能となります。

☆☆

愛は生命です。

本心から阿弥陀仏を愛するうちに、最大の幸福と最上の満足とが感じられます。

阿弥陀仏の霊的な人格を愛し、触れると、阿弥陀仏の光明によって自らの人格を形成してゆきます。

自らの人格の形成!

この為には、霊性の愛にまで、しっかりと取り組む必要があるのです。

☆☆

物質的な愛は、限りがあります。

たとえ申し分のない相手に巡り会えて、共に生活するようになっても、いつかはこの肉体はなくなるわけですから、別れなければなりません。

物質的な愛は、一時的なもので、長続きましません。

目に見えるから、簡単に手に入りそうですが、、、

相手によって、左右されやすいものでもあります。

ですが、霊性の愛は、永遠に続きます。

そして

相手に関係なく、自らの心を仏さまに預けることにより

いつも「楽」を感じて、暮らしていくことができます。

それを「極楽の生活」といいます。

弁栄聖者がいう

最大の幸福と最上の満足を味わう暮らしです。

☆☆

「衆生が仏を想い念じれば、仏も衆生を想い念じたまう」

今、パートナーがいる人も、いない人も

お念仏をすれば、仏さまが私を想って下さる。

そして、霊性を育んでくださる。

せっかく人として、生を受けて、念仏にご縁があったのですから

霊性の愛にも、取り組んでまいりましょう。

愛は、生命。

僕自身、「愛」について、わかっているとは言えません。

『宗祖の皮髄』という弁栄聖者の本から「愛」についてのところを今日は紹介しましたが、わかっていない僕が書くから、なんか今日は、わかりにくい文章になっているとおもいます。

(>_<)

ですから、日々、お念仏をして阿弥陀さまに「霊性」を育てて頂き、弁栄聖者の言われる「愛は生命」を少しでも理解して、そして生命を愛おしみ、慈しみ、讃えることができる愛の人になっていきたいです。

蒸し暑いです。体調管理に気をつけていただいて

今週もお過ごし下さい。

来週まで、ご機嫌よう!

けいくう

☆☆

  かりそめの 色のゆかりの 恋にだに 遇うには身をも惜しみやはする

  われはただ 仏にいつか葵草 こころのつまに かけぬ日ぞなき

                          (法然上人道詠)