こんばんは♪
今日は、梅雨の合間のとても良い天気!
すがすがしい日曜日でした。
皆さま、いかがお過ごしでしたか?
今日は、朝のおつとめで、法然上人のご法語前編 第30章のお話をしました。
法蓮房というお弟子さんが、法然上人に尋ねます。
古来の先徳は、皆その遺跡あり。
古来の先徳というのは、最澄と空海のこと。最澄には比叡山延暦寺が、空海には、高野山金剛峯寺が、あります。
後代の人は、比叡山に行けば最澄をおもいますし、高野山に行けば空海を偲びます。
しかし、法然上人アナタは、お寺を一つもお建てになっていません。もし、アナタが亡くなったら、残された私たちは、どこを拠り所としたらいいのでしょうか?と。
当時、法然上人は、吉水の草庵に住んで居られました。しかし、四国へ流罪。その草庵も無くなりました。
日本仏教は、比叡山・高野山が母山です。師匠、法然上人は、その最澄・空海にも智慧も徳も劣るべきお方ではない。その円熟せる宗教的人格から伝えられる念仏のみ教えは、今は日本中に、広がっている。その法然上人の遺跡がどこにもないので、どうしたらいいでしょうか?
それに対して、法然上人は、
あとを一廟にしむれば、遺法あまねからず。予が遺跡は諸州に遍満すべし。
と答えました。
法蓮房よ!よく問うた。遺跡が一つだと、私が説いてきた念仏の教えは、日本中に広がらないだろう。
私は、私の人生をかけて、念仏のみ教えを説いてきた。そのことにすべてを捧げたのだ。だから、念仏の声がするところが、私の遺跡だとおもっていてください。
法然上人のすばらしさが、この法語からも伺えます。
一人にて念仏すれば二人とおもえ、その一人は親鸞なるぞ。
という言葉も
親鸞聖人の師匠、法然上人の生きざまから出ている言葉です。
いかに、親鸞聖人が法然上人に傾倒していたかが、わかります。
お寺が建ち、教団が大きくなると、それを維持発展せしむることが、一つの事業となって、人の魂の救済を目的とすべき宗教が、寺院の維持を目標として事業化して教団的利己主義に陥ってしまいやすくなります。これは、宗教本来の使命を忘却して、第二義諦に堕ちてしまう。
法然上人は、その生涯を通して、念仏に生き、念仏を説く生活を全うされました。
何が一番、自分の人生に大切か。それを考えて、生きていきましょう。
自分が死んだあと残るのは、建築物や遺産ではなく、その人の生きざま・おもいです。
今週もお元気で。
ご機嫌よう!
けいくう
☆☆
法のため 露のいのちを このままに かけて示さむ 水くきのあと
正義とは 己がはからひ 捨ておきて 聖き意(こころ)に まかすなりけり
(弁栄聖者道詠)