2021年4月11日

<第894話 さりげなく>

こんばんは♪

3月、お葬儀が多くて、その後の中陰のおまいりとかも付随して多くなります。

先週、一軒連絡ミスで、先方が予定してくださっていたのに

おまいりできなかったお家がありました。

すぐにお詫びの手紙を書き、昨日、お参りしたのですが、、、

そこのご夫婦は、平素からいつも丁寧に、ご挨拶してくださるとてもすてきな方でした。

今回は

そのご主人が亡くなってのおまいりです。

息子さんが、

「最近、私も耳が遠くなってきたからね。私がちゃんと聞いていなかったんだとおもいます。すいません。いつも遠方まで来て頂いて!」

と言われたのです。

あのお父さんにまして、その丁寧なご挨拶に、恐縮してしまいました。

私があやまらないといけないのに、逆に「すいません」とあやまられて、感謝までしてくださった。

もう絶対同じミスは、しないとお礼を申し上げ、失礼しました。

怒られたり、クレームを言われるところを逆に、感謝していただくって

心の奥底まで響きますね。

怒りの感情が来ると、心のシャッターを閉じてしまうので、表面では「わかりました」って、すまなさそうな顔をしますが、心の奥底では、「そんなことを言ってもこちらにも、事情がある、、、」とかおもってしまいますので、

また、同じようなミスを繰り返してしまうのだと感じました。

さすが、M・Kさんに育てられたご長男だとおもいました。

さりげなく、相手のミスを大きな心で許せるって、本当にステキです。

☆☆

話は変わりますが

先日、クリスチャン・ラッセン氏やカーク・レイナート氏などの絵の展示会に行きました。

ラッセン氏は、海洋の絵で有名な方ですが、

一番よかったのは、彼が20代に書いたマウイ島の浜辺の原画でした。

そこには、風が吹いており、波の音が聞こえ、浜辺に立ってそれを感じているような気にさせてもらえる絵でした。

他の絵もすばらしいのですが、そこには素朴さが感じられず、なんか私にはかもしれませんが、心に響きませんでした。

素直・素朴・さりげなさ・自然体

どうやら

心に響くのは、心の底まで届くのは、そういったものではないかとおもいます。

共通するのは、自分がない!ということでしょうか?

自然の恵みや、人智を越えたものへの畏敬の念でしょうか?

感謝からくる行為や言葉がけでしょうか?

☆☆

あまり無防備に、心のシャッターを開けっ放しにしていると

とがった言葉の刃が、飛んできたりして危ないですから、気をつけないといけませんが、、、

今日のように晴れわたった青空の日には、開け放ってすごすことも「素直さ・素朴さ・さりげなさ・自然体」を感じるアンテナを鈍らせないために、大切だとおもいました。

人にやさしくしていただいたら

その受けた恩を次の誰かに、さりげなく、させていただこうとおもいました。

そうしてこの世が、感謝と幸せにあふれていくことを念じています。

今週も、お元気で!

ご機嫌よう!!

けいくう

☆☆

  晴れわたる 空にこころも すみぬれば 我や空やの わけあへぬまで

  みほとけを ますます高く おもふほど 我(おの)が心も いや尊とけれ

                          (弁栄聖者道詠)