2021年3月28日

<第892話 負けるも価値>

こんばんは♪

突然ですが、

ノウマク・サンマンダバザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン

って、ご存じですか?

はい。

( ^o^)ノ

お不動さまのご真言です。

正解!

不動明王とは、非常に恐い表情をしていて

焔(ほのお)の光背があり

右手に宝剣をもち、岩の上に立っている

お姿が有名です。

不動明王は、迷いや悩み、欲望をその剣で、断ち切り

自らの道を指し示す軍神として

多くの戦国武将からも崇められていました。

先のご真言ですが、、、

先週、剣道の稽古をする前に

相手の方(Mさん)がブツブツ言っておられました。

何を言っているのかとおもうと

先の

不動明王のご真言だったのです。。。

(*^_^*)

稽古が終わって

Mさんが

挨拶に来られたときに

佐橋先生とやるときは

佐橋先生の後ろに、阿弥陀さまが付いているから

恐くて?!

それに負けないように、お不動さんの真言を唱えてから

稽古することにしました。

でも、恐いです。。。

(>_<)

と。

(*^_^*)

笑ってはいけませんが、、、

おもしろかったです。

そうか、僕は楽しくやっているつもりが、相手には恐く見えるのか、、、

確かに

六段よりは、七段の方が段は上ですが、、、

相手が自分より強い(恐い)と思った時点で

自分の実力は出せなくなってしまいます。

意識の上では、勝つ!と思っていても

心の片隅に、何か引っかかるものがあるとココというときに

負けてしまう。

「無心で臨む」大切さを改めて考えました。

Mさん、考える機会を与えてくださりありがとうございました。

こう言ったことを稽古で見つめて、自分に取り組めるのが武道のいいところですよね。

(*^_^*)

プロ野球が開幕しましたが、

かつてホームランの世界記録を作った

王 貞治選手が打席に立つと、一番ホームランを打ちやすいところに相手投手が投げてくるという話を読みました。

相手投手は、そこに投げてはいけないとおもうから、返ってそこに球を投げてしまう。

相手に呑まれるというのか、術中にはまるというのか、身体は意識と違うレベルで動くものだとおもいます。

野球の投手が、「今日、押さえられたのは、よく球が走っていたからです」というコメントを残すことがあります。

「球が走っていた!」というのは、面白くないですか?

今日の自分は、いいボールを投げた。と自分を主語にしているなら理解できるのですが

球が、主語になっています。

どの投手も、試合で最高のボールを投げれるように、練習して、体調を調整して、試合に臨むのですが

「今日は、球が走っている!」とか「今日は、球が走らない!」ということがある。

心の底(無意識の領域)からの身体への影響って、ありそうですね。

勝負の世界では

勝者が褒め称えられますが

仏さまの世界では

勝っても、負けても

精一杯、自分にできることをすることが褒め称えられます。

勝ち負けにこだわらないために

「負けるが勝ち」

という言葉もあるでしょう!

今回は、それに加えて

「負けても勝ち」

「負けても価値」

って、思ったら

人生

無理しなくなって

楽しくすごせるのではないでしょうか?

せっかく命を授かって、今を生きているのですから

生かされているのですから。

Mさん

私とも楽しく稽古をお願いします。

(m_m)

稽古だけでなく、何でも、楽しくとりくみましょう!

(*^_^*)

それが生きる価値を見いだすコツのようにおもいます。

☆☆

今日は、一日、雨降りでしたが

桜の花が、神戸も見頃になってきました。

どこかで、三密を避けながらも

ゆっくり花見ができたらいいなぁ~と

思っています。

皆さまも春を楽しんで!

今週も、ご機嫌よう!

けいくう

くせずきし 心の縛り いつ解けん 我と我が気を もてあます我

あるままに また無きままに 楽しけれ 物によどまぬ こころ澄まして

                  (田中 木叉上人 道詠)