2020年12月27日

<第879話 無事是貴人>

こんばんは♪

今年もあと4日となりました。

ブログも今年の書き納めです。

本当に、一年過ぎ去ってみると早いです。

今年は、コロナで大きな変化を強いられた年になりました。

皆さま、どうお過ごしでしたか?

年末には、床には弁栄聖者が揮毫された「無事是貴人」をかけます。

茶室とかでは、今年も無事に暮らせたことの感謝を表し、新しい年を迎えましょう。との意味でかけることが多いです。

しかし、『臨済録』での「無事」の意味は、何も求めない心と言われています。貴人とは、サトリとか安心のことを言います。

何も起こらず平穏無事が尊いというのもありますが、

何が起こっても、そこにこだわらず、さっと流してひっかからない安心して生きていこう、という意味です。

自分の前に起こってきたことを諦めて、受け取っていこうということです。

これ書くのは簡単ですが、行うのはなかなか厳しいです。

(>_<)

ですが人間関係で悩んでいる人には、この「こだわらない」をオススメします。

相手に理解してもらおう、わかってもらおうと必死に自分を押しつければ押しつけるほど、人間関係は悪化していきますから。

学ぶべき事は何なのか、どう生きるのかは、相手ではなく、自分にかかっているのです。

あの人が悪いと指を相手に向けるのでは無く、自分の心に向けていくことで、自分の人生に学びがあります。一つ学びがあると、自分の心が一つ豊かになります。

(*^_^*)

今日は、朝の法話で芥川龍之介著『戯作三昧(げさくさんまい)』を取り上げました。

江戸時代の戯作者、滝沢馬琴を取り上げて戯作の境地を書いている作品です。

馬琴は、スランプに陥り、書きかけの『八犬伝』を仕上げられません。褒める人もあれば、けなす人もあり、うまく筆がすすみません。

画家の渡辺崋山に会うと、モヤモヤとした気持ちが幾分は、晴れましたが『八犬伝』を読み返すと最初から書き直さないといけないような気持ちになっていました。

そこへ、馬琴の孫の太郎が帰ってきて、バァーと爺さんに飛びつきます。

そして馬琴に言うのです。

ここの会話は、とても好きなので、引用します。

(*^_^*)

☆☆

太郎「よく毎日。」

馬琴「うん、よく毎日?」

太郎「お勉強なさい!」

馬琴「それから?」

太郎「それから、、、ええと、、、癇癪をおこしちゃいけませんって。」

馬琴「おやおや、それっきりかい。」

太郎「まだあるの。」

馬琴「まだ何かあるのかい?」

太郎「まだね。いろんな事があるの。」

馬琴「どんな事が?」

太郎「ええと、、、お祖父さまはね。今にもっとえらくなりますからね。」

馬琴「えらくなりますから?」

太郎「ですからね。よくね。辛抱おしなさいって。」

馬琴「辛抱しているよ。」

太郎「もっと、もっと辛抱なさいって。」

☆☆

お寺のお坊さんか誰かに

聞いたのかを孫に尋ねると

太郎「違う!」

太郎「あのね。」

馬琴「うん。」

太郎「浅草の観音さまがそう云ったの。」

答えたのです。

そうして、孫は茶の間の方へ、逃げていきます。

そのあと、馬琴の心の様子が書かれています。

☆☆

 馬琴の心に、厳粛な何物かが刹那に閃いたのは、この時である。彼の脣には、幸福な微笑みが浮かんだ。それと共に彼の眼には、いつか涙がいっぱいになった。この冗談は太郎が考えだしたのか、或いは又母が教えてやったのか、それは彼の問うところではない。この時、孫の口から、こう言う語を聞いたのが、不思議なのである。

 「観音さまがそう云ったか。勉強しろ。癇癪を起こすな。そうしてもっとよく辛抱しろ。」

 六十何歳かの老芸術家は、涙の中に笑いながら、子供のように頷いた。

その夜、馬琴は、再び芸術家としての集中力を取り戻し、芸術の喜びを感じながら、焦らず、深く考えて、ゆっくりと筆を進めていきます。

☆☆

「根かぎり書き続けろ。今己が書いている事は、今でなければ書けないことかも知れないぞ。」

   (中略)

 この時彼の王者のような眼に映っていたものは、利害でもなければ、愛憎でもない。まして毀誉に煩わされる心などは、とうに眼底を払って消えてしまっていた。あるのは、只不可思議な悦びである。或いは恍惚たる悲壮の感激である。この感激を知らないものに、どうして戯作三昧の心境が味到されよう。どうして戯作者の厳かな魂が理解されよう。ここにこそ「人生」は、あらゆるその残りカスを洗って、まるで新しい鉱石のように、美しく作者の前に、輝いているではないか。……

☆☆

「勉強する!」「癇癪を起こさない!」、「辛抱する!」

そうすることが、相手ではなく、自分の心を指すこと。そうして生きていく中に、自分の心が磨かれて光を放っていく。

それを導いてくれるのが、観音さま!

観音さまは、あるときにはパートナーとなったり、子供となったり、先生となったり、友だちとなったりして、「イヤな役」、「怒り役」、「けなし役」、「ほめ役」などを演じてくれて、私が貴人となるようなきっかけを作ってくれているのです。

そう思うと、指が自分に向きやすくなりますね。

自分の人生、人格を向上させたいとおもっています。その為にも、人に指を指すことをやっていたと気づいたらすぐやめて、受け取ることを心がけています。

お互いが、お互いの観音さまとなって、馬琴が感じた「ただ不可思議な悦び」の境地を感じるような生き方をしていきたいです。僕の至らないところは教えてください。ご迷惑をおかけするかも知れませんが、お互いさまだとおもって許して下さい。

私が私のままで、光かがやく生き方をする。

光輝いた人が、「貴人」です。

  「無事是貴人

どんなことが自分に起こってきても、大丈夫。

ちゃんと受け取れば、それがアナタの素晴らしさになります。

アナタの心の鉱石が光を放ちます!!

人生って、心の鉱石磨きのようなものでしょうか。

来年もどうぞよろしくお願いします。

今年も、毎週、お付き合いいただきまして、ありがとうございました。

年末年始、寒さが厳しくなるとも言われています。

どうぞお身体に気をつけて、よいお年をお迎え下さい。

けいくう

 身は水のあわ きゆるとも キララ夜明けの 海キララ くらければこそ 気がつかぬ とわにかがやく 大海原

 きまる夕やみ くれの鐘 み名を念じて みあかしの み前をたてば あらとうと 月にも照れる じひのおも

 慈悲の中に いさぎよく つとめしつかれ こころよき 感謝に心 みちたらい やすむお慈悲の ひざの上

                                          (田中木叉上人道詠)

ご覧いただき、ありがとうございました。