こんばんは♪
今日は
一年の書き納めの写経会でした。
その中で
『無量寿経』の「五悪段」の話をしました。
師匠の空外上人は、「人間というのは、昔から悪い。今日に至っても、人間は進歩していない。悪いことをしだしたら、もう十人のうち九人はみんな右向け右です。ですが、一人は菩薩と言える方がおられる。心の世界が高まった方です」と言われています。
聖書の話でもキリストさまが娼婦だった女性に石を投げつける人に「この中に罪を犯したことがない人はいますか」と尋ねたら、石を投げられなくなったとか。
悪を為さなければ善になるのに。
その悪には、何気ない一言も入っていることがある。
東京・本応寺の会報に、日木流奈くんが、書いた文章がある。
「月影の詠」(「せいがん」第155号)より
ある夫婦が離婚の危機に直面していた。妻のほうが夫の振る舞いに対し、そんなことぐらいで怒るなんてと、母につぶやいた。
すると母は、「そんなことぐらいと言われたら、私ならとても悲しい」と言った。
それを聞いたその妻は、ハッとしていた。その妻にとってたいしたことがなくても、夫にとってはとても重大なことだったのだと気づいたのだ。
自分が基準になっていると人の思いに気づきづらくなる。
(中略)
いろいろな考えや感じ方は、人によって本当に違うのだ。
同じだと思い込んでいるために起こるトラブルが、世の中には多い気がする。だから正義を振りかざす前に、お互いの思いを言い合い、聞き合うことが大切だと私はおもっている。
☆☆
「そんなことぐらい」
すぐ思ってしまいます。
自分は正義だとおもっていても、それが本当に正義かどうかわかりません。
わからないということをわかっていないまま行うと、善に違いないとおもっていたことも悪になってしまうことがある。
わからないゆえに為したことでも、許されないこともある。
悪を為さないというのは、本当に難しい。
自分には、無理だとおもう。
10人の内の9人に間違いなく入っている。
だけど、少しでも心は高めたいともおもっている。
作った罪は、あやまろう。
年末になる除夜の鐘で、消してもらおう。
明日から、寒くなるとも言われています。
どうぞお身体、お気を付けて。
けいくう
☆☆
おかさじと おもう下よりまた犯す この罪の根を たつすべもがな
悪人は 悪人ながら念ぜよと みちびくことば うれし恥ずかし
(田中木叉上人道詠)