2020年11月2日

<第871話 月のおもかげ>

こんばんは♪

昨晩も月がきれいでした。

秋の月!

いいですね~。

なぜか心に染みいります。

仏教伝道教会が出版している

『仏教聖典』に

こんな文章があります。

 People call one phase of the moon a full moon, they call another phase a crescent moon; in reality, the moon is always perfectly round, neither waxing nor waning.

 Buddha is precisely like the moon. In the eyes of men, Buddha may seem to change in appearance, but, in truth, Buddha does not change.

人は、月のある姿を満月だといい、また別の姿を三日月だと言う。

実際には、月は、いつも完全に円い姿をしているんだ。上弦の月、下弦の月と

言われようとも。

まさに、仏さまもお月さまのようだ。人の目には、仏さまが違ったお姿で、見えるかもしれないが、実際は、仏さまは、変わらないんだ。

☆☆

仏さまのことを言っている文章なんですが、、、

お月さまは、いつも完全な円い姿だ!というところにすごく共感しました。

(the moon is always perfectly round,)

自分、このままで、いいんだ。

って、すごくおもえました。 

調子の良いときもある。イマイチの時もある。

日々、変化していくけど、それでいいんだ。

それがいいんだ。

何か、生きているってそういうことかなぁと

素直に思います。

僕もそうだけど、みんなそうですね。

(*^_^*)

☆☆

先週、日曜日夜、広島の西光寺にお邪魔して、月曜日の朝、雲海を見に行きました。

その日は、すごくいいお天気で、お天気がいいとその場所は、靄(もや)が立ちこめ、何も見えません。

西光寺の檀上先生が山を登りながら言いました。

「この辺は、人生でいう20代、まだまだ何も見えないね~

少し昇って、この辺は40代、まだまだ見えないね~

この辺までくると60代、少しは、見えてきそうかなぁ~

頂上まできて、ここは80代、お日さまが輝いていますね」と。

だけど、まだ靄の中です。

すると檀上先生は

「9時をすぎたぐらいから、徐々に澄んでいって、雲海が見えてきますよ!」と。

先生の言葉のとおり、9時を過ぎますと、徐々に徐々に、靄が晴れていって、遠くの山々の頂きが見えだしました。9時半になると360度キレイに晴れ上がり、雲海を拝むことができました。

この時間、自分にとっては、とてもありがたい時間でした。

山々は、ずっと目の前にあったのですが、靄がかかっている間は、何も見えません。

だけど、時が来れば、ちゃんと見えます。

はじめから、そこにあります。

時には、時を待つことも必要だと気づきました。

(*^_^*)

『般若心経』の「不生不滅不垢不浄不増不減」の世界を体感させてもらえた朝でした。

自分の心の靄も、少し晴れたような気がします。

今朝も、名残の月を見ながら、自然ってすごいなぁ。

と、しみじみ感動していました。

紅葉もあちこちで目にするようになるとおもいます。

小さい感動積み重ねていきましょう!

(*^_^*)

今週もお元気で!

けいくう

☆☆

ふところの 中とも知らで 眠り子は 生死の夢に うなされにける

月をみて 月に心の すむときは 月こそおのが すがたなるらめ

み名をよぶ 声にこころの 雲はれて さやかに見ゆる 月の面かげ

              「仏教聖歌 法のともしび」弁栄聖者道詠