こんばんは♪
今日は、通照院の秋の別時念仏会でした。
コロナの影響で、半日の開催でしたが30人ほどの参詣者があり、熱心にお念仏をしました。
その席で、少しだけお話をしました。
その内容の一つに
法然上人が12の質問に答える「十二箇条問答」の第8番目の問答を取り上げました。
質問:「念仏している者は、いつもどんな心で生活すればいいのですか?」
これに対しての法然上人のお答え
「あるときには世間の無常なることをおもひて、この世のいくほどなきことをしれ。
ある時には、仏の本願をおもひて、かならずむかへ給へと申せ。
ある時には、人身のうけがたきことはりをおもひて、このたびむなしくやまんことをかなしめ。
(中略)
ある時は、あひがたき仏法にあへり。このたび出離の業をうゑずば、いつをか期すべきとおもふべき也。
(中略)
ある時には、わが身の宿善をよろこぶべし。
(中略)
かようのことを、おりにしたがひことによりておもふべき也。」
ある時にはこの世が無常であることをおもいなさい。生まれたら死ぬ。形ある物はいつか壊れる。人生80年と言ってもあっという間!ということを知りなさい。
ある時には、仏さまがお救いくださることをおもって、念仏しなさい。
あるときには、こうして人間として生まれたことがいかに有り難いかをおもい、虚しく過ごさないようにしなさい。
ある時には、仏教にご縁があったこと、前世から受け継いだ善があったことをよろこびなさい。
このようなことを折りにしたがって、起こる出来事によって思い出しなさい。
と、答えられました。
「ある時には」が、私には何ともありがたいです。
質問者は、「いつも」どんな心で生活すればいいですか?と尋ねているのに
法然上人のお答えは「ある時には」です。
ある時にはって、「たまには」、「時々は」です。
サボリである私にズバッと「アナタは、いつも仏さまをおもっているなんて無理でしょう?」と見透かされているようです。
そういう意味で「ある時には」って、すごくやさしいお答えだなぁとおもいます。
別時念仏会の別時とは、この「ある時」なんです。
「時々、別時の念仏を修して、身をも心をも、励まし、整え、進むべきなり」
たまには、特別な集中念仏を行って、身を引き締めて、自分を調整して、日頃の生活をしなさいということなのです。
これをご覧いただいている皆さまにとっても、今日が「ある時」にしてみませんか?
自分が、人として生まれてきたこと、よろこんでいますか?
人生がいつまでも、あるとおもっていませんか?
今の状態が「当たり前」って、おもっていませんか?
まわりの人に感謝していますか?
自分がしていることだけが正しいとおもっていませんか?
自分勝手ばかりしていませんか?
私は、自分の胸に手をあてて、「いたたぁ!」とおもいました。
自分で、お話しながらです。
(>_<。)
ついつい自分のことばっかり。
先日も「いつも自分中心だね!」って注意してもらいました。
(>_<)
注意してもらえるのは、ありがたいこと。
病気になっても、ケンカをしても、それを将来に生かすように祈るんです。
まわりの皆んなと仲良く、楽しくするために、注意されたら気をつけて、あやまって感謝して、豊かな未来を作っていきましょう。
悪口を言われても、失敗しても、「いつか笑える日のために」進んで行きましょう。
生きているとは、動いていること。
すねてうずくまって、かたまっていませんか?
どんなに足が重くても、歩みをとめなければ、きっといいことありますよ!
(*^_^*)
今週も読んでいただき、ありがとうございました。
このメルマガもアナタの「ある時」に、少しでも役に立っているとうれしいです。
朝晩、寒くなってきました。
ご自愛下さい。
来週まで、ご機嫌よう。
けいくう
☆☆
足らぬ自分の力では 越すに越されぬ この峠 まもるお慈悲のみ力で 越されぬままに越せてゆく
有為の奥山 この山を こゆりゃふるさと 花の里 夕映えはゆる 雲のおく 大悲のミオヤ 待ちまもう
(田中木叉上人道詠)
秋の別時念仏会の法話を下記のアドレスよりご覧頂けます。
よろしければ、ご覧下さい。