2020年9月20日

<第865話 やまもみじ>

こんばんは♪

「暑さ寒さも彼岸まで」

とは、よく言ったもので、あれだけ暑かった夏の暑さはどこにいったのというぐらいさわやかな風が吹き、クーラーなしで眠れるようになりました。

新米もいただきました。  秋! ですね。

(*^_^*)

今日は、通照院の秋彼岸法要でした。

コロナの影響で、午前の部と午後の部に分けて、法要をつとめました。

午後の席の法話で、童謡「もみじ」を皆さんと歌いました。

彼岸法要で、法話する啓空住職

「あ~きのゆうひ~に て~るぅや~ま もぉみぃじ~♪♪♪」

(*^_^*)

僕の大好きだったお祖母ちゃん、「もみじ」が好きで、良く歌っていました。

皆さま「もみじ」の2番の歌詞、覚えておられますか?

たにのながれに 散り浮くもみじ 波にゆられて 離れて寄って

赤や黄色の色さまざまに 水の上にも 織るにしき

です。

散ったもみじの葉が、谷川にしずんだり浮いたりして、そこでまたキレイに錦を飾っている!

木から、はらはらと散って終わりではないのです。

そこでまた人々を感動させる錦を飾っているのです。

沈んでも、失敗しても、挫折しても

その後、浮いたらいいんです。

沈むことがダメなのではなく、沈みっぱなしが残念なのです。

どうすれば、浮くのかは、ご存じですよね。

力を抜くことです。

(*^_^*)

自分が、自分が、という我の力を手放すことです。

そうすると、どこからか救いの手がやって来て、引き揚げてもらえるかもしれませんよ。

苦しいこと、悲しいこと、辛いことの渦中にあるときは、力を抜いています!とおもっていても、力が入っています。

(^_^;

それを確認する方法があります。

たとえば、小さい頃、親とか兄弟にいじめられていた。それがトラウマになって、、、という方が居たとします。

その方に、おつらいでしょうけれど、その時のことをビデオを見るように思い出してみてください。

と、お願いします。

皆さまも、何か思い出してみて下さい。大切な方とお別れした葬儀の様子や、会社を辞めなければならなかったこととか、、、

思い出すのも、つらいでしょうが、、、

その時の辛さを受け止められた方と未だ渦中の方とでは、ビデオの中身が違うのです。

どう違うのか?

それは、そのビデオに自分が写っているか、どうか です。

自分が写っている人は、大丈夫。その出来事を客観的に捕らえていて、受け止められていることが多いです。

自分が写っていなくて、相手ばかりが見える人は、まだお辛い最中です。お辛ければ、お寺に来て、ご本尊さまに手を合わせて下さい。そうすると、仏さまがそっと手を差し延べて、彼岸(ひがん)・仏さまの世界へ導いて下さり、そこから今の自分を見れるように手伝って下さるとおもうのです。

お彼岸にお寺に来て、手を合わせてくださっていると、ご先祖のオモイが伝わってくることがあります。仏さまに見守ってもらっているということを感じることがあります。

それこそが、自分のことしか考えられなかった小さい視点から、仏さまの大きな視点への転換になります。

そうして、仏さまやご先祖に護られて、育ててもらっている自分に気づけたとき、状況が変わらなくても、受け取り方が変わってきます。

ストレスや恐怖から、解放されて、力が抜けてリラックスした状態になります。

そうしたら、「沈んでいても」→「浮ける」ようになるのです。

(*^_^*)

その結果、イロドリのある人生となり、振り返ったらきれいな錦が織れているでしょう!!

辛いこと、悲しいこと、痛いこと。 また うれしいこと、たのしいこと、気持ちの良いこと。

そのどれもが人生の味わい、私の人生の味となる。

力を抜いて、楽しく、いきましょう!!

特に、お彼岸中は(今年は9/25まで)。仏さまの視点で生活できるように、心がけましょう!

温度の変化が大きいです。体調崩されませんように。

お元気で、ご機嫌よう。

けいくう

☆☆☆

のぼり来し 疲れわするる 山もみじ 入り日にはえて 錦織る道

念に染む みすがた通し すがたなき み光われを 照らすみすがた

                      (田中木叉上人道詠)

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