こんばんは♪
世間は
コロナウイルスの影響が
大きいですね。
早く終息するように
願っています。
通照院でも
一ヶ月前には
想像もしていませんでしたが
来週の
春のお彼岸法要について
今日、役員方と話合って
中止になることが
決定しました。
仕方がないですね。
ご高齢の方が多くて
100人以上の方が
集まりますので
自粛せざるを得ないです。
残念です。
(;_;)
☆☆
今日の日曜日
お念仏会は
いつもの半分ぐらい
10名ほどのご参加でしたが
開催しました。
そして
第3日曜日の法話は
皆さま、お楽しみ
通照院のK尼さんなのです。
彼女は
画家さんなので
板書の絵が、大好評。
今日は
お相撲さん
の絵でした。
観客がいない土俵。
味気ないですよね。
(>_<)
からお話がはじまりました。
(*^_^*)
☆
ケンカをする
相手が悪いと思っていたけど
実は
一人相撲を
とっていたと気づきました。
話の中で
K尼さんは
いっていました。
それに
気づけることは
素晴らしいことです。
相手を指さして
あの人が悪い、、、
あの事さえなければ、、、
ついつい
やってしまいますが
相手に指を指しているときは
そこから
学ぶことは
難しいです。
自分は正しい!
と
思っていますから。
正しい → 直す必要がない!
→ 自分を変えようとしない
→ 自分は変わらない!
→ 成長しない!!
ということに
なってしまうのでは。。。
相手と思っていたのは
実は
「もう一人の自分」なのだ!
その自分を
大切にすること。
そうすると
憎たらしそうに
見えていた相手が
だんだん
仏さまのように
見えてくるから
不思議ですよね。
観音さまは
三十三の姿に身を変えて
私の前に
来てくださる。
そして
私を成長させてくれるのです。
(*^_^*)
☆
煩悩(ぼんのう)
サンスクリット語でklesa(クレーシャ)
辞書によると
身心を乱し、悩ませ智慧を妨げる心の働きのこと。
お釈迦さまは
これを
コントロールする術を
教えてくださいました。
しかし
しばらくは
煩悩はダメなモノ。
取り除かないと
イケナイモノ。
自分が乱れる、悩むから
イイコトナイと
嫌っていました。
しかし
大乗仏教になると
「煩悩即菩提」
とかと
いうのです。
自分のこと
ばかり
考えると
煩悩しか見えません。
だけど
目の前の人
(それは
もう一人の自分かもしれません)
を
良くしてあげよう
愛を持って接してあげよう
よろこんでもらおう!
と
生きていくと
次第に
相手が観音さまになり
そして
自分も観音さまに
ならせてもらっているのです。
周りの方が
あなたは、観音さまみたいな人ですね〜。
と
よろこんでくださいます。
煩悩があるから
やさしくなれ
傷つけたことがあるから
あたたかくなれ
救われたことがあるから
困っている人には
微力ながら
手を差し延べたいとおもう。
その原動力なるというのが
「煩悩即菩提」
です。
相手を指さして
アナタが悪い
では
煩悩ばかりの世界から
抜けだしにくくなるのです。
(>_<)
自分のことも
大切。
だけど
自分のことを
一旦横に置いておいて
目の前の人の
幸せをのみ
願って行動することの
気持ちよさも
大切。
相手に都合良く
使われる
あっしーくん
や
めっしーくん
(今、こんな言葉あるのかなぁ?)
とは
少し違うことは
ご理解していただいていると
おもいますが。
少しずつでも
一緒に
手を取り合って
成長していきましょう!
けいくう
☆☆
かじり得し
エサは
幸か災いか
知らぬネズミを
ネコは狙えり
正しきを
むら無理のなく
おこないて
成るも
成らぬも
慈悲のみちびき
散らば散れ
やがてみのらん
梅の花
うたえ鶯
「時」の魅力を
(田中木叉上人道詠)