2020年4月2日

<第838話 一人相撲>

こんばんは♪

世間は
コロナウイルスの影響が
大きいですね。

早く終息するように
願っています。

通照院でも
一ヶ月前には
想像もしていませんでしたが
来週の
春のお彼岸法要について
今日、役員方と話合って
中止になることが
決定しました。

仕方がないですね。

ご高齢の方が多くて
100人以上の方が
集まりますので
自粛せざるを得ないです。

残念です。
(;_;)

☆☆
今日の日曜日
お念仏会は
いつもの半分ぐらい
10名ほどのご参加でしたが
開催しました。

そして
第3日曜日の法話は
皆さま、お楽しみ
通照院のK尼さんなのです。

彼女は
画家さんなので
板書の絵が、大好評。

今日は
お相撲さん
の絵でした。

観客がいない土俵。

味気ないですよね。
(>_<)

からお話がはじまりました。
(*^_^*)


ケンカをする
相手が悪いと思っていたけど

実は
一人相撲を
とっていたと気づきました。

話の中で
K尼さんは
いっていました。

それに
気づけることは
素晴らしいことです。

相手を指さして
あの人が悪い、、、
あの事さえなければ、、、

ついつい
やってしまいますが

相手に指を指しているときは
そこから
学ぶことは
難しいです。

自分は正しい!

思っていますから。

正しい → 直す必要がない!

→ 自分を変えようとしない

→ 自分は変わらない!

→ 成長しない!!

ということに
なってしまうのでは。。。

相手と思っていたのは
実は
「もう一人の自分」なのだ!

その自分を
大切にすること。

そうすると
憎たらしそうに
見えていた相手が

だんだん
仏さまのように
見えてくるから
不思議ですよね。

観音さまは
三十三の姿に身を変えて
私の前に
来てくださる。

そして

私を成長させてくれるのです。
(*^_^*)


煩悩(ぼんのう)
サンスクリット語でklesa(クレーシャ)

辞書によると

身心を乱し、悩ませ智慧を妨げる心の働きのこと。

お釈迦さまは
これを
コントロールする術を
教えてくださいました。

しかし
しばらくは
煩悩はダメなモノ。
取り除かないと
イケナイモノ。

自分が乱れる、悩むから
イイコトナイと
嫌っていました。

しかし
大乗仏教になると

「煩悩即菩提」
とかと
いうのです。

自分のこと
ばかり
考えると
煩悩しか見えません。

だけど
目の前の人
(それは
もう一人の自分かもしれません)

良くしてあげよう
愛を持って接してあげよう
よろこんでもらおう!


生きていくと
次第に
相手が観音さまになり

そして
自分も観音さまに
ならせてもらっているのです。

周りの方が
あなたは、観音さまみたいな人ですね〜。

よろこんでくださいます。

煩悩があるから

やさしくなれ

傷つけたことがあるから

あたたかくなれ

救われたことがあるから

困っている人には
微力ながら
手を差し延べたいとおもう。

その原動力なるというのが

「煩悩即菩提」

です。

相手を指さして
アナタが悪い
では
煩悩ばかりの世界から
抜けだしにくくなるのです。
(>_<)

自分のことも
大切。

だけど
自分のことを
一旦横に置いておいて
目の前の人の
幸せをのみ
願って行動することの
気持ちよさも
大切。

相手に都合良く
使われる
あっしーくん

めっしーくん
(今、こんな言葉あるのかなぁ?)
とは
少し違うことは
ご理解していただいていると
おもいますが。

少しずつでも
一緒に
手を取り合って
成長していきましょう!

けいくう

☆☆
かじり得し
エサは
幸か災いか

知らぬネズミを
ネコは狙えり

正しきを
むら無理のなく
おこないて
成るも
成らぬも
慈悲のみちびき

散らば散れ
やがてみのらん
梅の花
うたえ鶯
「時」の魅力を
(田中木叉上人道詠)