こんばんは♪
今日は、通照院の春のお彼岸法要でした。
コロナ禍ではありますが、午前・午後の2部制にして
多くの方にご参詣いただき、おつとめさせていただけたこと
ありがたかったです。
今日は、
祈るということについて書きます。
祈ることは、生活に必要ですか?
祈るとどうなりますか?
祈っても、祈らなくても、わからないでしょう?
同じではないですか?
という方は、祈りの大切さがわからないから祈れないのかもしれません。
祈っていると感じるのです。
自分も祈ってもらっているということが。
たとえば、毎朝7時から、おつとめをしていますが、
通照院有縁の方々の幸せを祈っています。
有縁の方々には、この文章を読んでくださっている方のご家族、おじいちゃんやおばあちゃん、両親、子どもさんやお孫さんなども含まれています。
その方々は、毎朝自分が祈ってもらっていることを知らないとおもいます。
自分が知らないところで、自分が会ったこともない人が、自分の幸せを祈ってくれている。
祈りを捧げていると、それを感じるのです。
私も、祈ってもらっている。
誰かからおもってもらっている。
そう感じられると、生きていく力が湧いてきませんか?
先立たれた方も、おもってくれている。
そうした多くのおもいによって、支えてもらって、生きている。
ありがたいですよね。
祈りを捧げていると
周りの人が大切に思えてきて
そして
自分も大切に思えてくる。
多くのおもいに支えらえていることを
「仏さまに見守られている」と言ってもいいかもしれません。
神仏が加護してくださり、私を育ててくださっている。
そのことが、祈りを通じて、深く深く感じられていくのではないでしょうか。
それを感じると、祈らずには、感謝せずには、いられなくなってきます。
生活の中に、何気ない祈りの時間があることが、自分の生きていく力の源泉となり、励みになる。
だから
祈りって大切だとおもっています。
今は、ちょうど、お彼岸です。
ご先祖さまのことをおもい、手を合わすようところから
祈りをなさってはいかがでしょうか。
こころ豊かな日々をお感じいただけるとおもいます。
日常生活の中に、祈りを!
そう願っています。
三寒四温の日々、どうぞお身体、お大事に。
けいくう
☆☆
微妙荘厳(みみょうしょうごん) 無辺際 ひれ伏し拝む 尊さに
不思議ごころの 新天地 澄みし流れの 路かわる
紺青の海 金色に におう光の あさぼらけ
ひれ伏し拝む 大空に 今や日の出の 大日輪
(田中木叉上人道詠)