こんばんは♪
寒くなりました。
北風が、きつくなって
外の木々が、ビュービューと音を立てて
さらに寒さに拍車をかけています。
木は、寒さ、暑さから逃げれないし、すごいなぁとおもいます。
今日は、木に心があるかどうかという話です。
謡曲に『芭蕉』という曲があります。
僧侶が『法華経』を読んでいると、何かの気配がします。
ある日、女の人が僧侶がいる庵に入ってきます。
それが、芭蕉の精なのです。
琉球の方では、芭蕉園に夜、娘が行くと美しい男性や化け物に会い、目が合う妊娠しまい、それで生まれた子どものは牙などがあり、鬼の形相になるので、熊笹を粉末にしたもので、処分しなければならないという逸話があります。
芭蕉の精は、物の怪として、扱われていたようです。
その芭蕉の精が、「非情の草木も成仏できるか?」を尋ねます。
それに答えるように、地謡が謡います。
「それ非情草木といっぱ、真は無相真如の体(てい)、一塵法界の心地の上に、雨露霜雪の形を見ず、然るに一枝の花を捧げ、御法(みのり)の色をあらわすや、一花開けて四方の春、のどけき空の日影を得て、楊梅桃李数々の、色香に染める心まで、諸法実相隔てもなし。」
木々は、非情だと言われているが、本当は、姿のない仏さまを宿している。吹けば飛ぶような一つの塵の中に、法界(宇宙全体)が含まれているのだ。
雨や露、霜、雪の形は見えない。しかし、それらがあって、はじめて枝に花が咲く。その花こそ、仏のみ教えに他ならない。
一片の花が咲くことは、すべての世界が春になり、のどかな陽射しのもと、楊梅桃李(やなぎ・うめ・もも・すもも)など様々な花が咲き、芳しい匂いが心を染めていく。そのことが、仏のすがたそのものとなる。
☆
仏教で、「情」というのは、「心のはたらきがあるもの」という意味です。
心あるものを「有情(うじょう)」
心のないものを「非情」と言います。
木々は、有情です。それどころか、一つの塵に至るまで、有情。
山川草木すべて、心があるのです。
その一つひとつが、宇宙全体に繋がっている。
ただ、草木の心のあり方と人間の心のあり方が違うので、わかりにくいだけなのです。
戦国時代から江戸初期に活躍した僧侶 沢庵の『玲瓏集』には
「栗柿の実をもってたとえ候。
いたみ、かなしみとは、人から見申したる分別にて候。
かれが上には、いたみかなしみも、自然とそなわり候とみえ候。
草木のいたみたる風情、人のいたみうれうる気色にかわる事なし。
或いは水を注ぎなどするときに出でたる、よろこばしき風情あり。
きりたれば、たおれころびて、葉しおしおと成りはて候てい、人の死にいたるにたがうことなし。
かれがいたみかなしびを、人知らず。かれまた人のかなしびを見ることも、人のかれを見るごとくに、いたみかなしみもなしとおもうべし。
只かれが上を我しらず、我が上をかれしらざるにぞありけん。」
と、あります。
栗や柿には 痛みも悲しみも「ない」というのは 人間の都合で見た見方です。
栗や柿にも、 痛みも悲しみは、あります。
草木が痛がっている様子は、人間が痛みを憂えている様子と同じです。
水を注いであげるとよろおび、切られてしまうと葉も萎れるのは、人間が死んでゆくのと同じです。
草や木の痛みや悲しみを、人間は感じません。草や木もまた、人の悲しみを知りません。だけど人も草木も同じように、痛み、悲しみがあります。人間は草木のことを知らず、草木も我々のことを知らない、ただそれだけのこと。
情がないのではなく、情のあり方が違うから、わからない。
と、言っているのです。
それぞれの立場、ありようの違いを理解し、思いやり、真心を尽くしていくところに、人の真の生き方があると沢庵は言っています。
木々に心などあるものかと思えば、木々と感応することはできない。
しかし、木々にも心はあるとおもい近づいていくとき、木も花も草も人に対して心を開いて見せてくれるものです。
その奥には、一塵の中に、法界の心地がある。
宇宙全体が、小さいすべての人、木々、もののなかにおさまってしまう心の有り様の大切さを感じていれば、すべてのものが繋がり、諸法実相の世界を感じられてくるのです。
(*^_^*)
☆
一塵の中に、宇宙全体があるということは
私の中にも宇宙全体があるということ。
全てのもののなかに宇宙全体がある。
そこにオモイを馳せることができれば、
自分の周りの人、もの、すべてが仏さまと同様に丁寧に扱えるはず。
大切にできるはず。
そうできるように、日常生活を送ることが、修行だとおもいます。
一年の終わりが見えてきて、何かと騒がしくなってきますが、、、
目の前のこと、大切に。
一日一日を、丁寧にいきましょう。
お風邪に注意して、ご機嫌よう!
けいくう
☆☆
奥ふかき 心にのみと思ひしに 庭の花さへ さとりひらきつ
(弁栄聖者道詠)
我がみ仏の 慈悲の面 朝日のかげに うつろひて
照るみ姿を おもほへば 霊感極まり なかりけり
春の気にあう桜花 ものこそ言わね 楽しさは
色と香りを 現るわ 弥陀に触れたる 心かな
(弁栄聖者詠 三相の聖歌「諸根悦予讃」より)