2018年4月更新

熊丸 哲夫(くままる てつお)さま
熊丸 幹子(くままる みきこ)さま

「やっと着いたばい、神戸は遠かった!」
筑後弁丸出しの両親が神戸で暮らし始めたのは、2005年5月の連休でした。

当時、父親が82歳・母親は78歳。
二人とも福岡県久留米市で生まれて育ち、故郷から出た経験がありませんでしたから、
神戸で教職についていた私たち家族と同居するために、高齢で転居するのはたいへんだったでしょう。

しかし、知らない土地での不安より、転居の話を最初に理解してくれたのは母でした。
息子家族と一緒に暮らすという夢が叶い「うれしかった」ようです。

両親は敬虔深く、朝夕の「お参り」は欠かしたことがありませんでした。
事の良し悪しに関わらず、仏壇の前でご先祖様に伝える姿を、小さい頃から見ていました。
母親は「舌ガンの治療と回復祈願」に神社・地蔵尊をよく巡り、父親も「前立腺ガンの治療と回復」を願って各地を回っていました。

我が家が「浄土宗」であったこともあり、転居前に神戸の浄土宗のお寺を探し、
インターネットで通照院を知りました。

当時はお寺で公式サイトを持っている所は少なく、
『通照院』の活動をサイトで確認できたことは、私にとって魅力的でした。

早速電話で問い合わせをし、実際に『通照院』を訪ねました。
JRや山陽電車の駅に近く、何より、高台から明石海峡や世界一の吊り橋が臨める景色が気に入りました。
その後、両親も一緒に再訪し、お世話になることになりました。

仏壇の引越しで「魂入れ」の読経をしていただいたのが、啓空住職との出会いでした。
エネルギッシュで張りのある深いお経に感動しました。
中でも一番母が喜びました。

あれから長い時間が過ぎましたが、最近になって啓空住職が歌敷山中学校時代野球部のキャプテンだったことを知りました。
当時顧問をされていた岡田先生は、私が舞子中の教頭時代にお世話になった校長先生です。
人はいろいろなところで繋がっていることを改めて感じています。

通照院を通じて、また多くの方々との、ご縁をいただきたいと思っています。

啓空より〜

人と人とのご縁は、不思議ですね。
しかし、会うべき人には、どんなに離れていても会えるようになっているとおもいます。

熊丸先生・奥さまそしてご両親が、揃って通照院にお越しになってから、13年経つのですね。
その間、春秋の彼岸、お盆参り、ご法事にお参りさせていただいていましたが、
いつも丁寧にご挨拶くださるので、とても気持ち良くおつとめさせていただいています。

この度、護持会の役員をお引き受けくださり、本当に、うれしく頼もしくおもっております。
南無阿弥陀仏

熊丸 哲夫さま・熊丸 幹子さま