2016年12月更新

西浦 聖史(にしうら せいし)様

我が家の仏壇を神戸に越して以来20年間、護持会メンバーとしてお世話になっております。

当時のご住職のご意向をうかがうべく、初めて通照院を訪れた時、たまたま山門前の道路で現住職に、また境内で現住職のお母さんにお会いしました。
明るく親しみのある、しかも毅然とした姿勢に接し「もう打診は不要」と思いましたが、折角のアポイントでもあり、数日後に当時のご住職に面談し、入会の承諾を得ました。

幼少の頃は信仰篤い両親に連れられ、神社仏閣詣でもしましたが、それまでの私にとって「お寺」は、子供の頃は友達と走り回る遊び場。中高校生の頃は朝夕の通学路。
夏休みは古寺巡礼する場所。あるいは露店で賑わう縁日を楽しむところ。そして社会人になってからは、墓参と年忌法要をするところでした。

信仰が本格的に芽生えたのは、通照院に通い出してからです。
ここは今を生きる人々の拠り所。お寺を対象化するのではなく、お寺と一つになるところです。

自ら一つになることが難しいときには、お寺から自分に入ってきてくれます。
境内に入ると清々しい、そして自身も清々しくなります。
部屋に入ると自分と法友に境を感じません。
ただひたすら念仏し、また、次々に生きるための課題を提供してくれますので飽きません。

しかし、もうそろそろですね。
挙句は未完成交響曲でよいのではと思っています。南無阿弥陀仏。

啓空より〜

西浦さまは、英語が堪能で、仏教のお話を英訳するときにはいつも、この上ないアドバイスをしてくださいます。
その翻訳の過程で、仏教について真っ正面から取り組まれました。
内容が理解できていないと、訳すことなどできませんから。

西欧とは文化的背景が異なるため、そのものをあらわす単語もなく、表現には限りがあり、大変なご苦労をおかけしました。
西浦さまのおかげで、西欧の方々に、誤解の少ない英文書を数冊発刊できましたことは、後の世の方々の希望の光になることとよろこんでおります。

西浦 聖史さま